毎日キスしてロリータ (夜のひつじ)の感想・レビュー

人生をうまく生きられぬ男が、生きる事に苦しむ少女らと、壊れながら生きることに、実存を見出す話。
人生は緩慢なる自殺。そこに何も意味は無く、生きる事は希薄化し、ただ死に向かって生きていた。
生きるためには労働が必要だが、労働は人を磨り潰し、次第に摩耗させ、生きる意味を失わせる。
だがそんな男の前に、生きる事に苦しむ少女たちが逃げ込んで来て、関係性を構築していく。
しかし本作は日常的セカイ系なので、具体的な問題点は何も描かれないし、描かれる必要性も無い。
ただ関係性だけが生きる事のよすがとなっており癒されること無く壊れながら生き続けるのみ。

大事なのはこの壊れから癒えることではなく、壊れながら生きることなんだろう。……だめになっても。灰になるまで。

資本主義に磨り潰される成人男性シリーズ

今回のテーマは「壊れながら生きる」です。人生を上手く生きられない成人男性をコンセプトにしている「夜のひつじ」の炉利シリーズ。今回の主人公もイイ感じに壊れており、資本主義社会に磨り潰された残滓が如実に表現されています。合間合間に挿入される壊れた男性のモノローグは破壊力バツグンであり、これを読むためだけに毎回炉利シリーズを買っているといっても過言ではありません。

働いて、寝起きして、買い物して。社会的に過ごしているが、社会性は無い。

――やることがない。ただそれだけだ。つまらない人生だったということだ。自由だ。しかしこれは糸の切れたタコのような自由だった。風に乗ってどこまでも、行きたい方角に飛びたい角度で飛んでいく鷹の自由が本当の自由だろう。僕のような人間が得られる自由とは、空から落ちて砂地で朽ちて、風に吹かれる自由でしかない。暇だな。それでいい。良くはないかもしれないが、良くないかもしれないことまで含めて別にそれでいい。

仕事から帰ると丸太のように眠る。そして泥のように起きる。自分を削って差し出さなければ満足いく仕事ができないのがいつも気にかかる。やがて丸太のように死ぬはずだ。葉も枝も樹皮もなくしてやっと使い物になる。こういうものなんだろうか、と思う。樹のままではいられないのだろうか。もっと器用になれればよかったのになと思いながら、水の一杯を飲むのも面倒で渇いたままソファに横たわった。

社会という牢獄からの脱出

はい、今回もキレッキレであり、これらを読むたびに、この夜のひつじの炉利シリーズ主人公はまさに私だと思わずにはいられません。社会に磨り潰されても生き続けなければならないが、そこに意味など一つもなく、それは緩慢なる自殺。そんな主人公に実存を与えるのが、どのシリーズも壊れた少女たち。今回は主人公の再婚先の義妹と、その友達で家庭環境の愛に圧し潰されてしまったであろうメスガキがヒロインとなります。炉利シリーズのお約束として日常哲学的セカイ系路線が取られているため、主人公の仕事の中身や少女たちが抱えている個別具体的な問題は徹底的にスルーされています。セカイ系は主人公とヒロインたちの関係性を描く事だけが全てであり、その背景は所与のものであり、詳述される必要はないというノリ。寧ろ問題を詳述しないのに浮き彫りにしながら、その生き辛さを表現していく手腕は巧みと言えます。特にメスガキによるドラえもんのび太君に対する解釈とシルバニアファミリーを用いた例え話は、少女が抱える問題や生きる苦しみを察っせさせるものとなっており是非読んで欲しいところ。

人生。切っちゃお。ちょきちょき

そしてフラグ構築の手段となるのが、家出の家出をした義妹を探すという行為。隠れるのは見つけて欲しいからで探してもらうことで承認欲求が満たされるの。主人公はいなくなった義妹を探すために仕事を休んでまで奮闘します。この探すという行為を経て主人公とヒロインの関係性は深まるというワケ。さらには義妹プレゼンツによる探している主人公を探すイベントも挿入されます。こうして主人公は少女たちによって人生を破壊されていくのですが、主人公もまた少女たちの人生を破壊することで彼女らに実存を与えることになります。壊れながらも死ぬわけにはいかず、それでも人生を生きることの尊さが今回の炉利シリーズでは描かれています。

不幸に幸福が一滴でも混ざれば、生きていける気がする。
僕 も みはと も かざり も 壊れている。
大事なのはこの壊れから癒えることではなく、壊れながら生きることなんだろう。
……だめになっても。
灰になるまで。
だめな自分がいる所与の場所。愛の場所。探してもらって、追い付かせて。

夜のひつじ名物 ポエム集

人生は緩慢なる自殺
労働疎外
壊れながら生きる

夜のひつじ作品感想集