個人的な目的と社会集団全体の夢の相克(『ハイパーインフレーション』30話)

貨幣経済を題材に資本主義の最高の段階としての帝国主義を扱う作品『ハイパーインフレーション』。
第30話では主人公が掲げる奴隷解放という公約が主人公の姉を助ける為の口実ではないかと糾弾される。
ここで扱われる問題が個人的な目的と社会全体の夢の相克に対してどのように正当化を図るかという問い。
作中では「家族」や「会社」が引き合いに出され自己の欲望が他者の為になることが説かれて行く。
最初は個人の欲望を叶える手段として大勢を巻き込んだが、その大勢の一人一人にも夢がったのだ。
「俺一人の夢が……俺だけのものじゃなくなった」と演説するシーンが今回のハイライト。
この個人的な目的と社会集団全体の夢の相克は普遍的な問題あるため多くの作品で題材とされやすい。
ゴールデンカムイの鶴見篤四郎が脳裡に浮かんだのも私だけではないハズ。

自己の欲望が社会全体と繋がるその瞬間を描いた場面

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  • 歴史における個人の役割
    • ハイパーインフレーション』第30話では、帝国に囚われた姉を助けたいという超個人的な目的から始まった主人公の行動が、奴隷を解放して新しい国を作るという社会全体の夢に接続する過程がドラマチックに描かれました。救世主とされた主人公に対し、大衆は自分たちを利用するためだったのかと糾弾するのです。それに対して主人公は説得をしなければならないのですが、個人の目的と社会の夢の相克を大衆に説明するのは難しく、言葉にあぐねることになります。そこへ登場するのが解放奴隷と奴隷商人。解放奴隷は還暦の時に解放されたが年齢による迷惑など省みず超個人的な欲望のために家族を作ったが、現在は家族の為なら命を懸けられると説きます。また奴隷商人はカネの為に会社を作ったが、社員を食わせる為に経営するようになったと説きます。それでもいまいちピンとこない大衆に対し主人公の説得が炸裂するという流れです。「人間には!!自分以外の者のために生きようと決意する瞬間がある!!初めは折れの身勝手な夢だった。ハル姉を助けたい……あとできれば奴隷を解放して建国できたらいいな……そう思って大勢を巻き込んだ。そうやって巻き込んだ人間一人一人にも夢があった!!俺一人の夢が……俺だけのものじゃなくなった!!〔……〕俺は命を捧げるぞ!!振り落とされずについてこいッッ!!」。この場面は個人の目的が主界全体の夢に繋がった瞬間を表現する名シーンなので是非お読みいただきたいところ!(ダイマ)

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他作品における描かれ方

  • ゴールデンカムイ』と『まいてつ Last Run!!』日々姫アフター
    • この「個人的な目的と社会集団全体の夢」を扱う作品のうち『ゴールデンカムイ』の鶴見篤四郎もまた有名なキャラ(鶴見中尉は『ハイパーインフレーション』の主人公と同じことを説きながらも、まだその裏に何かを隠しているかのように描かれていますが……)。鶴見中尉の場合は、北海道の自立を掲げており日露戦争で報われなかった第七師団の人々のために独立軍事勢力を築き上げようとしていました。しかしその背景には自分がスパイとしてロシアに送り込まれていた時に抗争に巻き込まれて死んだ現地妻と幼子への執念がありました。それ故、鶴見中尉を信奉していいのか疑っていいのかで迷いが生じるキャラとして月島軍曹が投入されスパイスを与える役割となっています。鶴見中尉は大きな全体の流れの中に自己の目的を位置づけ、自己の執着のために道を逸らすことは無いと説き、それを間接的に月島軍曹に聞かせることで、彼の感情を揺さぶってきます。ハイパーインフレーションとは違って、社会全体の夢に編熱的にならずまだ利用していることを窺わせる描き方です。
    • そしてこの「個人的な目的と社会集団全体の夢」について、完全に個人のエゴとして社会集団を利用する描き方をされてしまう作品があります。それが『まいてつ』シリーズに登場するヒロイン日々姫さん。この方は完全に自分の超個人的な問題のために市長となって市政運営を行い、公約を利用する(というような描き方をされる)のです。彼女は食堂車を設置した鉄道観光による経済振興を唱えて、社会全体を巻き込んでいくのですが……。結果として、「劣等感を抱いていた実家の姉に堂々と接するため」や「実家の酒蔵で活躍できなかったために別の仕事で番頭を見返すため」に帰結してしまうのですね。『ハイパーインフレーション』が個人の目的を社会全体の夢に上手く接続させたことや、『ゴールデンカムイ』が意図的にそれを演出しているのに対し、『まいてつ』日々姫√の場合は社会全体の夢を個人的なエゴのために利用したに過ぎないことが全面的に押し出されてしまうのです。読者として日々姫サイドの視点に立たされても違和感は拭いきれないのに、これ大衆の皆さんが知ったら真っ先に税金返せのオンパレードの対象となりリコールされそう。以上により個人的な目的と社会集団全体の夢の相克を扱う作品は多々あれど、その見せ方によって、読者に対して与える影響はこんなにも違ってくるのでしょう。

個人の目的のために社会全体の夢は揺らがないと説く『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉

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個人の目的のために社会全体を利用する『まいてつ Last Run!!』の日々姫

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