ヴィンランド・サガ奴隷編 第6話「人間の欲望と資本主義経済の虚しさ」の感想・レビュー

富を増やしては失うことを怖れ、怖れを和らげるためにカネを使い、また稼ぐ。
資本主義経済の虚しさと人間の欲望の愚かさを批判したスヴェルケルさんの言葉である。
開墾を進めるトルフィンたちだが切り株を掘り起こすには人力では限界があった。
奴隷身分から解放されるためには、畑をやって作物を売り、自分の身を買い戻さねばならない。
奉公人たちがウマを貸してくれず途方に暮れていた所、スヴェルケルさんに声をかけられる。
野良仕事を代償にウマを貸してもらう契約を結ぶことになり、開墾は一気に進んで行く。
そんな中、スヴェルケルさんは大旦那であることが判明し旦那様と犬猿の仲でもあった。
スヴェルケルさんは息子が分を弁えず農場を拡大し続けることに否定的であった。

人の欲望には際限がなく、ひたすら利潤を求めて経済成長を目指す

人力での開墾は一苦労
  • 大きな赤ちゃんトルフィンの成長を描く一方でケティル農場襲撃フラグが立つ
    • 農地の開墾を進めるトルフィンたちだが、切り株を掘り起こす作業は人力では莫大な労力が必要であり、どうしてもウマが必要であった。整地作業だけでなく畑を耕すための重量有輪犂を使うためにもウマが要る。そんなわけで奉公人たちと交渉するも、ウマは貸してもらえずに終わる。トルフィンは整地は諦めて伐採を進めることを提案するが、エイナルは了承せず。それには理由があり、エイナルは奴隷身分からの早期の解放を目標としていて、そのためには畑をやって作物を作って販売し、自らの身を買い戻す必要があったのだ。そんな二人を見ていたのがスヴェルケルさんであり、ウマを貸してくれることになる。最初は足元を見られて雑用をやらされているだけではとエイナルは訝しむが、ウマを借りる代償として労働力を提供するという契約であり、きちんとウマを貸してもらうことに成功する。中世ヨーロッパというば契約だもんね。そんなわけでウマによってどんどん開墾が進んで行く。さらには重量有輪犂も貸してもらえて畑作業も進んで行く。奉公人からはウマを盗んだとイチャモンを付けられるが、その際にスヴェルケルさんが大旦那であり、旦那様であるケティルの父親、即ち農場で一番偉い人物だと知る。
    • ケティルとスヴェルケルさんは不仲であり、それは農場経営の方針を巡る対立から来ていた。ケティルは農場をひたすら拡大しており、投資を惜しまない。その象徴がトルフィンたち奴隷であったり重量有輪犂であったりするワケ。そんな豊かな農場があったら侵略を受けそうなものであるが、ケティルは莫大な財を貢納しており、それと引き換えに庇護を受けていた。一方でスヴェルケルさんは農夫としての分を弁えており、大きすぎる富は禍を呼ぶことを危惧していたのである。それは「富を増やしては失うことを怖れ、怖れを和らげるためにカネを使い、また稼ぐ。」という言葉に集約されていると言えよう。これは現代の資本主義社会にも当てはまることであり、再現の無い欲望の追求が生き辛さを生んでいることへの警鐘でもあろう。こうしていつかはケティル農場が襲われてしまうことが匂わされる。
    • 一方でトルフィンはエイナルとの農業生活により様々なことを学んでいく。これまでトルフィンの出身地であるアイスランドには畑が無く、幼少の頃から戦働きをしていたため、農作業のことはまるで分らない。いやホント農業ってかなり知識や経験が必要な高度な分野だよ。エイナルの指導により一から技術を習得することはトルフィンにとって喜びでもあった。ウマや重量有輪犂に感心するトルフィンかわいい。そして今回のハイライトはトルフィンがエイナルをトモダチだと思えた事。これまでずっと戦場にいたトルフィンにはトモダチなんていなかったもんね・・・。トルフィンが少しずつ呪縛から解放されていく姿が描かれていく。
馬耕と重量有輪犂
農場経営方針を巡って対立するスヴェルケルとケティル

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