【感想】葬送のフリーレン 第1話「冒険の終わり」

炉利ババアブームここまで来たか!旅仲間の死を契機に長命種が人間に積極的に関わることを目指す話。
これまで長命種であるエルフや妖怪(仙狐、猫又など)と人間の時間の違いは様々な作品で扱われてきた。
朝霧の巫女のこまさんなどを始めゼロ年代泣きゲー等では数多のヒロインが生み出されていったのである。
また近年では仙狐さんを始め、合法的に幼女に救いを求めることができる炉利ババアがブームとなっていた。
そうした文化的背景が結実した一種の到達点がこのフリーレン。種族による寿命の違いが良く描かれている。
長命種だからこそ精神的な成熟が人間よりも遅く命のかけがえのなさに気が付くギャップがいい味出してる。

仲間の死を眼前にして初めて炉利ババアが人と関わることの大切さを知る(だが同じエルフ族は他にいないのか?)

一緒に魔王を倒した勇者の老いと死

「種族間による寿命の違い」は「ゼロ年代泣きゲー」で大きなテーマとなり、死生観を描くための装置として数多の感動を生んできました。ニチアサの『おジャ魔女』では魔女の母親が長命のため子どもたちから忌避されるようになる様子が描かれました。『朝霧の巫女』では愛する人間に先立たれた猫又のこまさんが死姦をして子を孕み、さらに自分の息子に執着する姿が大きな影響を与えました。

また近年では炉利ババアが空前のブームになっていました。成人男性は孤独に陥りやすいのですが、その社会的地位により他者に甘えることなどできません。無条件に肯定してくれる存在など母親くらいなものですが、いい歳した男がいつまでも母親に甘えている姿など蔑視の対象となるでしょう。そんな成人男性の受け皿となったのが長命種の炉利ババア。一見すると二律背反な幼女とババアの性質を併せ持つが故に、矛盾を克服する存在となったのでした。その代表たる存在が仙狐さんというべきであり、多くの孤独な成人男性を癒したのでした。

このような「種族間による寿命の違い」及び「ロリババア」に「なろう系」風味を添えて「魔王を倒した後のファンタジー世界」で彩ったのが、本作『葬送のフリーレン』である。とにかくフリーレンちゃんがカワイイ。第1話ではフリーレンちゃんが初めて人間にもっと関わろうと思うようになるまでが丁寧に描かれる。フリーレンちゃんたちは「なろう系」よろしく魔王を討伐したパーティーなのだが、魔王討伐後のセカイを生きていくことになる。だが長命種であるフリーレンちゃんは人間と時の流れが異なっており、50年後にパーティーと出会った時には、皆は老い果てていた。姿かたちは変われどもフリーレンちゃんにとって仲間達はかつてのノリと変わることなく接するが、勇者にとって死ぬ前に皆で再び集まれたことは無常の幸せであった。

この時、勇者の気持ちに触れながらも、深く関わろうとしなかったフリーレンちゃんは勇者の死後に後悔することになる。仲間の中ではまず初めに勇者が老衰で死ぬのだが、死の実感が湧かないフリーレンちゃんは葬式の際、口汚く陰口を叩かれることになる。彼女が初めて死による離別を意識したのは勇者が埋葬された時であり、泣きながら勇者の事をろくに知ろうともしなかった自分の愚かさを知る。こうしてフリーレンちゃんは市井の人々となるべく深く関わるように行動に移し始めたのであった。

勇者の埋葬時に初めて人と関わろうとしてこなかった己の愚かさを知るフリーレンちゃん