【感想】葬送のフリーレン11話「シュタルク、筋骨隆々なエルフのオッサンと同衾しその身体を讃えたため、フェルンに嫉妬される」

今回のお話は冬越えの話。アウラ戦の後始末を行い北国諸国へと旅立つも大雪で立ち往生し山小屋で越冬する。
視聴者たちはじゃあフツーに城塞都市で越冬すればイイジャンと思われたが筋骨隆々なエルフを前にして黙った。
この筋肉エルフ氏はエルフでありながら女神を信仰する修道士であり本作の宗教観が掘り下げられた。
長命種であるエルフにとって女神様など人間が創出した救済の手段にしか過ぎないがだからこそ信奉する。
長い時間の中で同族もおらず自分のことを皆が忘れていく中で孤独を癒すには信仰の道しか無かったのである。
越冬する中で皆が修道士の生活に慣れていき感化されて食事の前にお祈りをするようになっていくシーンが見所。
シュタフェルも満載でフェルン体臭ネタやBL展開を危ぶむフェルンの嫉妬、雪下ろしの屋根でのイチャラブが見られる。

長命種のエルフだからこそ信仰が無いと自我崩壊するという話

シュタフェル体臭プレイ

今回のお話では筋骨隆々のオッサン修道士がゲストキャラとして登場し、話を作っていく。前半は主にアウラ戦の後始末であり、死者の弔いや傷の治療、復旧作業や褒美の授与などが行われる。そして北国諸国は1級魔法使いが同行しないと移動できないと伝えられ、次なる目標としてフェルンの資格取得が提示される。一通りイベントをこなし、いよいよ北国諸国へ出発!……したのは良かったのだが、すぐに大雪に見舞われ進行できなくなる。魔力が無いためか状態異常に弱いシュタルクがまず倒れ、山小屋へ避難することに。
 

筋骨隆々の修道士と同衾するシュタルクとそれに嫉妬するフェルン

そこにはエルフの修道士がおり、半年以上彼と共に越冬をすることになる。この修道士を登場させたのはエルフの信仰を描くため。なぜ彼は長命種であり人類が救済の手段として創出したツクリモノに過ぎない女神を信仰するのか。それは虚構だと信じつつも信じなければ自我崩壊するからであった。一緒に住んでいる同族がいれば良いがエルフはほぼ絶滅しかけており、この修道士もフリーレンという同族に出会うまでもう既にエルフは絶滅したと思い込んでいる程であった。すなわち自分が何をやったとしても長い時の流れの中で忘れ去られてしまう。生きていることの虚しさ。ヒトが生きている意味が、自分の行いが未来へ継承されるということならば、自分が生きている意味などないじゃないか。そんな絶望を救済するのは信仰しかなく、たとえそれがツクリモノであったとしても、自分の生きた意味を肯定してくれるのは女神様しかいないのだと。そんな修道士はフリーレンに救いを齎すために「褒める」という行為を行おうとするのであるが、それはかつての旅仲間であるハイターがしてくれたのと同じ行為であった。フリーレンはあくまでも一歩引いた目で見ていながらも漠然と死後のセカイについてはあっても良いと思っており、そこでの再会が企図された。
 

雪下ろしでシュタフェル

以上のように今回も非常に真面目な雰囲気の中でシナリオが展開されたが、重くなり過ぎないようにギャグシーンも挟まっている。それを担うのが我らがシュタルクであり、デバフ耐性の無いシュタルクが真っ先に寒さで気絶しフェルンに担いで運んでもらうのだが、そこでフェルンの体臭を嗅ぐことになり夢うつつながらその匂いを褒めるのである。フェルンは口では置いていきますよというものの内心では満更でもなかったのであろう。それが明らかになるのが同衾への嫉妬。低体温症となったシュタルクを温めるため筋骨隆々の修道士が同衾するのであるが、起床後シュタルクがその筋肉を賞賛すると嫉妬したフェルンからツッコみを受けるのであった。またフリーレンと修道士が会話している間、シュタフェルコンビは屋根で雪下ろしをするのであるが、雪でずり落ちそうになったフェルンをシュタルクが助けるシーンもあり尊みを感じさせた。

葬送のフリーレン感想まとめ