網走市に行った時のメモ
モヨロ貝塚
貝塚が発見されたところに建てられた資料館。オホーツク文化を題材とした展示。東北地方出身で東京で理髪業を営みながら在野で考古学の研究を学んだ民間人が、アイヌに惹かれて渡道し、網走で貝塚を発見した。その貝塚はオホーツク文化の時代のものであり、モヨロとは地名である。館内の展示では土器、骨角器、葬儀などが特徴的。オホーツク式土器は刻文と貼付文に分かれる。海獣狩猟民であり投げ銛が使われたがその先端の技術がすごい。骨角器の先にさらに鉄器を組み合わせていた。後は頭に甕を被せる墓制などが印象的であった。
郷土博物館
1階は自然系で動物の剥製などの展示。2階は正面左側がアイヌの展示。右側は手前が網走市先史、奥が網走市近現代史。アイヌの展示はマキリの数が非常に多い。また、博物館の前身が開館した当初に作られたチセのジオラマが印象深い。昭和戦前期から見た明治時代のアイヌの住居の様子が垣間見られる。
2階正面右が網走市通史。先史時代は土器の数も豊富であり、キャプションも据えられ、網走市の先史時代がよく分かる。モヨロ貝塚と重複する部分もあり、やはりオホーツク文化の影響は深い。モヨロ貝塚の方が新しく小綺麗な施設で、郷土館の方が施設自体は古いのだが、オホーツク式土器の説明は郷土館の方が分かりやすかった。
近現代史についてはやはり沿岸部の港であることから近世かから漁場として栄えたことが影響を与えている。港から発展した場所は地域の土豪が社会的指導者層を形成し、地域を牽引していくことが分かる。昭和後期はかつての文化住宅が再現されているだけでなく、サブカルチャーも割とよく見られた。ゲーム&ウォッチとかファミコンとかももう既に貴重な文化財となりつつあるんだよなぁと。あとはテーマ史の展示。農業、漁業、林業などそれぞれの分野ごとの歴史を語ることの重要性。
北方民族博物館
立地も高いが敷居も高い。北方少数民族って一般的ではなくテーマ的もかなり狭い門。日本でどれくらい北方少数民族の研究者がいるのだろうか。アイヌだけに特化しているのではなく、アイヌは北方民族の中の一部として取り上げられるのであり、ユーラシア北部から北アメリカ大陸北部まで様々な民族が扱われている。
第一の展示は民族ごとではなく、衣食住などの主題が決められ、それぞれの北方民族が紹介されるという形式を取っている。こうすることで寒さの中で生きるための知恵と工夫が、各民族の少し似ていて少し違う箇所を浮き彫りにしている。第二の展示はやはりオホーツク文化であり、サハリンからやってきた怪獣狩猟民族によって形成された文化が扱われていた。