【巡検】官設鉄道釧路線を行く(浦幌・音別・白糠とその周辺)

浦幌町立博物館、音別町郷土資料展示室、白糠町郷土資料室&白糠炭田石炭資料室に行ってきた。
ついでに浦幌~庶路までの各駅を見学した。
そもそもの目的は浦幌町立博物館の企画展「十勝の鉄道120年」の見学であったが沿線施設にも寄った。
音別町郷土資料展示室は学芸員もおらずほぼ利用者もいないのに施設の規模・設備的には立派だった。
白糠町郷土資料室は社会福祉センターの教室の一角が展示室になっており少量の民具が置かれている。
白糠炭田石炭資料室は西庶路コミセンの2階にあり比較的広いが壁面年表がメインというような感じ。

【目次】

浦幌町立博物館企画展「十勝の鉄道120年」

浦幌町立博物館企画展「十勝の鉄道120年」

浦幌町立博物館で「十勝の鉄道120年」なる企画展をやっているとのことで行ってきた。官設鉄道釧路線は明治34年(1901)に釧路駅-白糠駅間が開業されたことで始まる。明治36年(1903)に3月1日に白糠駅から音別駅まで延伸、さらに同年12月25日には音別駅から浦幌駅までが延伸された。この浦幌駅の設置が十勝地方初めての鉄道ということで、「十勝の鉄道120年」とのことであるそうな。

企画展では「浦幌町は、鉄道によって生まれた町と言っても過言ではありません」とし、その起源を浦幌駅の設置に求めている。一体これはどういうことなのだろうか。結論をあらかじめ述べれば、鉄道開通以前は水運の拠点である生剛村に戸長役場が置かれていたが、駅が浦幌に置かれたことで役場を筆頭に住宅・商店などが移動し、村名も改称されたからとのことである。これを理由に博物館の展示パネルでは、浦幌町は鉄道の開業により誕生した町であると説明されていた。ただ町としては、生剛村に戸長役場が設置された明治33年(1900)を町の始まりとしているらしく、旧役場跡地に「浦幌発祥の地」の記念碑が建っていることも紹介されていた。

個人的に面白かったのは鉄道路線の変更。官設鉄道釧路線は当初浦幌を通る予定はなく、厚内からそのまま沿岸を進み、十勝太駅が作られる予定だったのだという。展示パネルでは資料の検証を進めているところだとしながらも、その要因として①「旭川から釧路への最短ルートの選定」、②「白糠丘陵を抜ける為の勾配やトンネルの数」、③「沿岸域や湿地帯を通過する事の工事上の懸念」、④「大津から十勝太への移住政策の失敗」などを挙げていた。

また浦幌町の駅ではないが、釧勝国境の地であった直別に置かれた「直別駅」、浦幌炭鉱-浦尺隧道-尺別炭鉱-尺別鉄道で接続された尺別駅が推されていた。

音別町郷土資料展示室

音別町郷土資料展示室

図書館の2階にある。説明書きには見学の際には図書館職員に声をかけるようにと書いてあるが、図書館の職員に申し出るとたらい回しにされることになる。学芸員はおらず、常に開館されているわけでもなく、鍵を開けて貰って入る。だが設備自体は立派なものでスペースも広く、①大昔の音別(考古・先史・アイヌ)、②開拓のころ(幕末・入植・炭鉱)、③村の暮らし(農業開拓)、④街の暮らし(市街地)とゾーニングされており、しっかりと作られている。音別町は沿岸部は近世から和人が進出し尺別に番屋が置かれたこともありかつては尺別村であった。だが官設鉄道釧路線は音別に駅が設置され、軍馬補充部も置かれたためか、町の中心部が音別に形成されて行き改名されて音別村となった。尺別炭鉱の展示が充実しており、浦幌町博物館の展示よりも詳しいかもしれない。尺別炭鉱の炭鉱町の様子とその直別駅を繋ぐ路線図が良く分かる。個人的に気になったのは、なぜ最初から番屋があった直別に官設鉄道釧路線の駅を設置しなかったのか。用地買収とかの問題か?疑問に思ったので職員に聞いたが、学芸員がいないからよく分からないので、釧路市立博物館に聞けとのことであった。釧路市って市立博物館に何人も学芸員がいるけど、合併した旧自治体の郷土館とか資料室って放置状態なんだろうか。釧路市阿寒町郷土資料収蔵室は今回行かなかったけどどうなんでしょうね。

白糠町郷土資料室&白糠炭田石炭資料室

白糠町郷土資料室

ネットでは郷土資料室は公民館(図書館)にあるという情報なのだが、社会福祉センター内にある。スペースとしては教室の一部屋が郷土資料室と名付けられ、展示が置かれている。真ん中にジオラマが置いてあり周囲の壁面に民具などを配置している構図である。ジオラマ的には沿岸部と川岸が切り拓かれていることが分かる。白糠は南北長い川が3つ流れており、和天別川、茶路川、庶路川に沿いに開拓が進んだ様である。場所請負制、八王子千人同心、殖民地区画、軍馬補充部、白糠線あたりが注目ポイントか?

白糠炭田石炭資料室は西庶路のコミセンの2階にある。設備的には資料室よりも広い。壁面一体に年表が張り巡らされており1周する形式になっている。あとは炭鉱で使った道具とか。やはり年表だけだと事実の羅列になるので、歴史叙述が必要だよなぁとか思う。

白糠炭田石炭資料室

立ち寄った駅

浦幌駅・厚内駅・直別駅跡
尺別駅跡・音別駅・古瀬駅跡
白糠駅・西庶路駅・庶路駅