ひろがるスカイ!プリキュア 第41話「ましろと紋田の秋物語」の感想・レビュー

競争原理社会を成り立たせているという機能を持つという意味で敗者の存在意義を説く話。
敗者そのものには意味がないのだが競争が無い社会は停滞するのでシステム的には必要な存在。
紋田は自分を落ち葉に見立て落ちぶれて踏まれていくだけの存在であり努力は無駄だと自嘲する。
そんな紋田に対して落ち葉は木の栄養分になるため無駄ではないと励ましの言葉をかける。
だがそれはあくまでも木の側としての大観的な意味であって、落ち葉そのものの意味では無かった。
チームや組織や民族や国家のためという大きな価値観を唱え意味の無い生を正当化していった。

社会的敗残者における存在意義の苦悩を大きな価値観に縋ることで解消しようとする

落ち葉を自分に見立て社会的敗残者として苦悩するバッタモンダー氏

ひろプリでしばしばお当番回が回ってくるバッタモンダー氏。のっけから日本社会で生きるにはカネが必要であり、そのために労働をしなければならない過酷さを見せつけて来る。本当に生きているだけで住民税・年金・健康保険の3セットは徴収されるから、何もしなくても預金残高は減っていき、結局は労働に出なければならないのだ。バッタモンダー氏は表面的には愛想のよい笑顔を張り付けて接客業をこなしている。だがサービス業はそれに従事していても何か技術を習得できるわけでもなく、将来的なキャリアにつながるわけでもなく、単なる代替可能な大衆労働者にしか過ぎない。人生に目標も無く、糊口を凌ぐためだけに生きているバッタモンダー氏は、落ち葉に自分を重ねて社会的敗残者の悲惨さや虚しさを説く。努力をしても報われることなどは稀であり、成功するのは一部の特権階級のみであると自嘲するのである。
 

本質的には意味の無いことを巨視的な視点で価値づけし直すましろ

そんなバッタモンダー氏に対してましろんは詭弁を弄して敗者の存在意義を肯定する。ましろんが唱えるのはシステムとしての巨視的な視点。社会の発展には競争が必要であり、競争の無い社会は停滞する。ソ連の崩壊がそれを証明している。資本主義社会は利潤追求を第一義とする競争原理主義社会であり、競争するということは必ず負け組が生み出される。負け組そのものには意味なんてない。だが負け組は社会システムを構成する機能を果たしたという点から見れば意味はある。このことをましろんは木と落ち葉の比喩を用いて語るのである。すなわち落ち葉(負け組)は木(勝ち組)の栄養分になるから意味はあると肯定するのだ。
 

人は意味の無い生に耐えることができないため大きな価値観に縋りつく

たしかにこれは説得力があるように見える。だが本質的には意味の無いものを巨視的な視点に挿げ替えることで価値があると思わせているに過ぎない。サッカー部や野球部のベンチにすら入れないスタンド応援の選手だってチームの役に立っているという言葉で価値づけしている。戦略的には意味の無い特攻隊だって国家や民族の糧になると唱えることで価値づけしている。人間は意味の無いことに耐えることが出来ず、それゆえ大きな意味に縋りつくのである。
 

大きな価値観で自分の意味を肯定するのは麻薬に過ぎないため違和感を拭いきれないバッタモンダー氏

ちょうどタイムリーにそのことを描いていたのが2日前のフリーレンであり、最終的には生を肯定するための巨視的な意味付けを信仰に求めていた。ましろんの言葉は麻薬のようなものであり短絡的に苦悩を打ち消すことは出来る。だけれどもそれは本質的な解決にはなっていないので、バッタモンダー氏はそれを心から受け容れられずに納得しがたい様子を見せて去っていったのであろう。ニチアサは時折本当に重いテーマをぶん投げて来るよな!

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