バッタモンダー氏は「自分は自分でいいんだ」と肯定できたので、ましろんから祝福して貰えた!という話。
テレビ版エヴァの最終回かよ!と思った人たちは挙手。1995年から続く中学2年生の永遠のテーマだな。
前回のまし紋編で意味の無い人生を大義による価値づけに求めた脚本家の成田良美さん(今回の脚本は井上美緒さん)。
だが大きな物語の終焉を迎えた現代において大義といったものは相対化され無意味な価値づけと化した。
そんな現代において大切なものは自己肯定感と自尊感情。自分は自分でいいんだと認めることが肝要。
こうして自分の価値を自分で決めることの重要性を唱えたましろんは絵本コンテストで大賞を貰えた。
令和になっても「自分は自分でいいんだ論」に基づく脚本が飛び出るとは
自分は自分でいいんだ!自分の価値は自分で決める!……というのが今回のテーマ。ひろプリの敵側の帝国では強さという絶対的尺度が大きな物語として価値観を持っていた。そこでは強さが存在価値であり、弱いバッタモンダーは存在証明に失敗する。無価値な自分に苦悩していた際、ましろんは弱者は強者の養分になれるよ!と励ました。野球部やサッカー部でベンチに入れなかったスタンド応援の部員は競争社会の切磋琢磨の糧となったんだ!と肯定したり、戦略的には意味の無い特攻隊が国家のため民族のため家族のためと自己の死を肯定したりと同じようなノリ。しかしそれは大義が絶対的な価値観である際には自己肯定できるが、別にチームとか国家とか民族とか家族とかは絶対的な価値ではないのである。そのためバッタモンダーはましろんの思想を受け容れることが出来無かったし、ましろんも自分の考えを絵本のメッセージに乗せることができなかったのだ。じゃあ、意味の無い人生をどう価値づけするのか!?というのが今回のお話。
人生における意味についての苦悩に関する答えはもう既に何十年も前に手塚治虫先生が答えを出しており『鳥人大系』の幸せの青い鳥回で端的に示されている。それが「人生に意味なんてないさ。けどそれを探すのが生き甲斐ってもんさ」という言葉である。だが思春期の少年少女にとって自分の生きる意味・自己の存在証明・アイデンティティの確立は永遠のテーマであり、エヴァにおけるシンジくんも散々悩んだ挙句最終回で自分は自分でいいんだと肯定できたので皆から祝福して貰えたエンドを迎えるのである。「おめでとう」「おめでとう」。今回のひろプリもノリとしてはそんな感じであり、ましろんが最終的に自分は自分でいいんだと唱えだす。これを受けてバッタモンダーも自分の価値は自分で決めると覚醒し強さこそ絶対的価値と唱える上司に反逆する。最終的にバッタモンダーはプリキュアたちに浄化され、自分の価値を自分で決めるために去っていったのであった。ましろんはこの経験を糧にして「おちばくん」なる絵本を描き、落ち葉が自分の価値を自分で見い出していくテーマを唱え大賞を獲得してハッピーエンドとなる。