- この文章の趣旨
- 現代経済学は倫理学と全く関係ないものとして考えられているが、実際には両者は切り離せない。
- 現代経済学の性質
- 現代経済学への批判
- (1)経済学が研究の対象とする人間は、現代経済学が前提とする純粋かつ単純冷徹な人間行動の動機のみに終始できない。
- (2)現代経済学は意識的に「非倫理的」な学問のたろうとしてきたが、倫理学の支流として歴史的進化を辿ってきた。
1.二つの起源
経済学は「倫理学」と「工学」に二つの起源を持っている。
「倫理学」的な起源
「工学」的な起源
- 実証的な問題を主眼にし、直接的な目的を達成するための手段を見出す。
- ex1:工学的アプローチ, ex2:治国策に関する手法分析
- 人間行動の分析において、深い意味での倫理的思考に大きな役割は認められていない。
倫理学、工学、双方のアプローチ
2.成果と弱点
倫理学との乖離により経済学が失ったものとそれが突きつけている課題の分析の前提:誤解を避ける為の2つのこと
- 1.経済学における「工学的」アプローチは不毛なものではない。
3.経済的行動と合理性
経済的行動と動機の問題
- 現代経済学における「合理的行動」という仮定
- 人間は合理的に行動するものと見なされ、こういう仮定のもとで特徴づけられた合理的な行動が、現実の行動とは究極的には異ならない。
- 「合理的行動」の問題点
- 標準的な経済学における合理的行動の定義づけが正しいものとして受け入れられるものとしても、現実にそのように行動すると見なすことは、必ずしも妥当ではない。
「合理的行動」について明らかにしておくべき二つの点
- 1.合理的行動という見方をとっても、他にとりうる行動パターンが存在し、最終的な目標と制約条件が完全に明示されている場合でも、「必要とされる」実際の行動を特定するために合理的行動の仮定だけでは不十分。
- 2."現実の行動と合理的行動を同一視することの問題"と"合理的行動の内容の問題"とは区別されなければならない
4.整合性としての合理性
- 主流の経済学理論における行動の合理性の定義には2つの大きなアプローチがある。
- 1.合理性を内部的整合性とみなす
- 2.合理性を自己利益の最大化と同一視する
5.自己利益と合理的行動
合理性を自己利益の最大化と同一視する
- 個人が行う選択とその個人の自己利益との間にある外部的一致性を要求することに基づく
- 合理性を自己利益の最大化と同一視することについての問題点
- 他の全てを排除して自分自身の自己利益を追求することがいったいなぜ「一意的に」合理的となるのであろうか。
- 自己利益最大化以外はすべて非合理的であるとするのはまったく異常である
- 自己利益の最大化から離れることを全て非合理性の証拠と見なすことは、現実の意思決定における倫理の役割を排除することを意味する
「実際」の行動の決定要因として自己利益最大化を仮定することは、どれほど妥当なのか。
- 自己利益に基づく行動の問題において二つの異なる問題を区別することが重要
6.アダム・スミスと自己利益
自己利益
- 自己利益とその達成に関して、いわゆる「スミス派」の立場を取る多くの経済学者の著作において、スミスが「慎慮」(自制を含む)に加えて「共感」を重視している点がなぜ見落とされる傾向にあるのか。
- 経済の内外には単純な自己利益の追求だけでは説明しきれない多くの活動があり、スミスはその著作において自己利益の追求を他よりも上に位置するものとはしなかった。
飢饉と飢餓
スミスへの誤解
- 動機と市場に関するスミスの複雑な見解が誤って解釈され、また感情と行動に関する倫理的分析が看過されたことは、経済学の発展とともに生じた倫理学と経済学の乖離と呼応している。
- 現代経済学においてスミス流の幅広い人間観を狭めてしまったことこそ、現在の経済倫理の大きな欠陥の一つに他ならない。