2009-04-21 手塚章「国境都市からトランスボーダー都市へ(1):ストラスブールの事例」人文地理学研究 30 113-125 2006 地域 レジュメ 社会 この文章の趣旨 ライン川をはさんで隣接するストラスブールとケールについて、国境都市の性格とトランスボーダー都市を志向する整備計画や都市建設事業について考察する。 1.はじめに 国境都市:国境がその都市の性格を規定していること 180度の大都市圏 国境が障壁になって中心都市の影響力が360度に展開できない トランスボーダー都市 シェンゲン協定(1985)が1995年に具体化→国境の自由通行・国境の物理的な障壁効果の消滅 5つのトランスボーダー都市 ストラスブール・リール・ザールブリュッケン・バーゼル・ジュネーヴ 2.民族の境界と国家の境界 2-1:国境都市ストラスブールの形成(第1図) 起源:自然国境都市境界線、異なる政治勢力・民族の接触地域 古代ローマの殖民都市:アルゲントラテ アルゲントラテ→ストラスブール(ゲルマン系言語で「道路の町」の意)の名称変更 cf.古代起源都市の多くはガリア部族名で改称(ルテティア→パリ、ドゥロコルトルム→ランス) 旧来の住民を駆逐して大量のゲルマン人が フランス勢力の進出 17C以降フランスがアルザス地方に進出、ヴォーバンの大要塞(ルイ14世治下1681年) 明確な国境線:ファルツ継承戦争の講和条約ライスワイク条約(1697年)→フランス領 ドイツ領時代 1871-1918:普仏戦争〜WW?終結 国力顕示:ストラスブール大学、大規模な都市建設事業 1941-1944:WW?中 2-2:国境の港湾:ストラスブール港とケール港 ライン川に設定された国境の作用を如実に示す例:ストラスブール港とケール港 都市を規定するライン川 現在のライン川幅は250mであるが、19世紀前半まで2km近くあり一定しない乱流帯であった。 ストラスブール旧市街はライン川の乱流帯と氾濫を避けて西側の大地沿いに形成された ほぼ現在のライン川が現れたのは1838年から1876年にかけての河道整備事業後のこと 両都市の成り立ち:ライン川中流の地溝帯には広域な政治単元が形成されなかった。 ストラスブール;ライン川左岸の農業地域を基盤 メロヴィング朝アルザス公国 ヴォージュ山脈とライン川沿いの森林地帯に挟まれた地域 レス土壌におおわれたイル川の段丘や山麓地帯にそって延びる肥沃な農地を中核 ケール 軍事的な橋頭堡 ライン川右岸の農業地域に立脚していない ストラスブールの飛び地的性格で、ライスワイク条約後も政治情勢に応じて仏領へ 近代的な港湾整備 ライン川河川整備の後、本流に即して港湾整備がされたのは独領時代の19世紀末 左岸:工業港・商業港の建設 右岸:バーデン大公国による港湾施設 20世紀初頭にはストラスブール港とケール港はほぼ匹敵していた。 2000年時点での格差(第一表) 現在では大きな格差→ストラスブール仏領時代に大きな港湾整備 ライン川左岸には大きな港湾地区、ストラスブール市街地とライン川を完全に遮断している ライン川河畔を憩いの場とするため、港湾地区の扱いが今後の都市計画の課題。 ライン川国境であることがもたらした特徴 ストラスブール 地元の財政会が港湾管理に発言権を持つ(cf.フランスは中央集権国家で他の港湾は中央政府の管理) ケール 地元ケール市の発言権が弱くバーデン州が権限を握る(cf.ドイツでは地方分権が根強く地元が港湾管理をするのが普通) 3.ヨーロッパ統合時代の都市発展戦略 旧市街の北東に位置するヨーロッパ地区の整備事業 旧要塞施設の何縁ゾーンを対象とするストラスブール・ケール軸構想 3-1:ヨーロッパ首都としてのストラスブール ストラスブールの発展を支える原動力:「ヨーロッパ首都」 ex.ヨーロッパ評議会、ヨーロッパ人権委員会、ヨーロッパ人権裁判所→「ヨーロッパ地区」;都市イメージ・経済利益 「ヨーロッパの首都としてのストラスブール」は旧市街の北側を北東方向にかけての地域で取り利用や景観を位置づけている EU統合への積極的な国民意識 マーストリヒト条約調印;仏全体では賛成51%、反対49% ストラスブール市内では賛成72.2% ストラスブールの弱点 人口規模が少ない 鉄道交通や航空交通におけるアクセシビリティが低い。 3-2:ストラスブール・ケール軸の都市整備事業 従来の状況 ヨーロッパ型ストラスブール開発は独仏国境を意識したものではなかった ライン川沿いには既にストラスブール港が広大な敷地を有しており、市街地の発展・拡大をブロックしてしまった。 ストラスブール・ケール軸byカトリーヌ・トラウトマン社会党市長 ストラスブールとケールを結ぶ軸=旧市街の南側、ローヌ・ライン運河の東西沿い(写真1) 特別に認可された都市計画事業(グラン・プロジェ)のみこの地を利用できるので、南部ゾーンは最大のオープン・スペース ライン川を軸に将来を構想するという態度が生まれたことに歴史定義がある。 開発事業の障害 ストラスブール市街とライン川及びケール市街の間には大きな港(港湾施設・工業地区・コンテナヤード)が存在している。 ストラスブール・ケール軸開発計画7地区の様子(第2表) エトワール地区:旧市街の延長線上にあり近接性・インフラに恵まれており、公共交通機関の結節点として重要性がある。 ライン河畔地区:7地区のうち唯一仏独両国にまたがりライン河畔公園整備が計画されているが、広大な港湾地区と交通アセスの不便さからストラスブール市民にとって遠い存在でしかない。 3-3:トランスボーダー的な都市計画への取り組み 国境を越えたライン川両側にまたがるさらに包括的な総合計画=地域整合プラン(SCOT)←都市の変革と強調に関する法律(SRU法) 従来のプラン=都市整備マスタープラン(SDAU)=ドイツ側の状況を無視 ストラスブール地域整合プラン(SCOTERS):トランスボーダーの視点からの計画づくり ドイツ側のオルテナウ郡とともに「トランスボーダー白書」を策定している トランスボーダー白書が対象とする地→第2図 ストラスブール・ケールの二自治体間の協力関係 4.むすび 仏の国境都市ストラスブールがトランスボーダー都市へ展開する過程をヨーロッパ地区の建設、ストラスブール・ケール軸構想、トランスボーダー白書という3つの側面からの考察した。 フランス側とドイツ側の最も大きな差異(SCOTER協議会会長:ミシェル・ルベルディ) 意識や文化の差 フランス側では理念的な議論が重視され、ドイツ側では実際的な側面が重視される トランスボーダー都市への期待 ストラスブールの都市発展はEUやヨーロッパという国際的な役割にかかっている ライン川を表玄関とする大都市圏の整備が必要