<論文概要>
- 「知識偏重の教育に対する批判が高まる中で、中等社会科教育においては、主題学習・事例学習が重視されるようになってきたが、系統学習とそれらの学習法との関係が十分には整序されておらず、その意義づけも不明確である。ドイツにおける高等学校教育の革新の中で形成されてきたエクセムプラリッシュ方式を手掛かりにして、主題学習について実践的な検討を加えようとするものである」
1.はじめに
- 主題学習とその問題点
- 従来の知識偏重の教育が批判され、生涯学習の基礎を培うという観点から学校教育においても「自己教育力」の育成が改めて注目されてきているが、そうした中で重要視されてきているのが主題学習
- 主題学習と系統学習の関係をどのように考え、主題学習を授業構想の中にどのように位置づけるかが、現在の中等社会科教育の一つの大きな問題になっている
- 本稿の目的
- 主題学習について、それと密接な関係を持つドイツのdas Exemplarische Verfahren(エクセムプラリッシュ方式、範例方式)と関連させながら考察を加え、中等社会科教育において主題学習の積極的位置づけをなそうとする試み
2.中等社会科教育における主題学習の導入
- 主題学習の導入
- 平田嘉三氏と主題学習
3.主題学習とエクセムプラリッシュ方式
- 主題学習とエクセムプラリッシュ方式
- 主題学習の理念・方法を深化させる際に、参考になるのが、西ドイツの教育改革の中で定式化されたエクセムプラリッシュ方式(das Exemplarische Verfahren)
- 三枝孝弘氏による定義
- 「模範的事例、典型的模範的教材の設定による教材制限、あるいは一種の単元学習と考えられる範例教授の主張」
- エクセムプラリッシュ方式とは
- 1951年に高等学校の教育改革を討議するためにテュービンゲンのライプニッツ・カレッジで開催された会議で採択されたテュービンゲン決議が契機となって定式化された
- 「ほんとうの身についた学力は『基礎的なもの(Gundlichkeit)』なしに可能でなく』、『基礎的なもの』は、科学の発達に応じて量的につけ加えられた既製知識の盲目的受容においてではなく『自己限定』において始めて成立し得る。精神的知的世界の根本的諸現象は、生徒が日常的で把える『例』であきらかにされうるのに、生活から離れた抽象的な教材が教授内容を支配している。知識の量的拡大より、『本質的なもの(das Wesentliche)』の十分な深化が重要である」
- 「隙間への勇気(das Mut zur Lucke)」(マルティン・ワーゲンシャインが定式化)
- 教材の中から基礎的・本質的なものを精選し、他の部分を抜き去る
- 「個において全体を求める」という視点から以下を精選して学習内容を組み立て、深く徹底して学習させる必要
- 1)効果的・要素的な基礎的教材
- 2)それ以上のものを開示・解明する教材
- 3)段階ではなく全体を照明する教材
- 4)比較的複雑で子どもの自発的活動を刺激するような教材
- 5)本質的・代表的な教材
- 三枝氏によるエクセムプラリッシュ方式の主張
- 「範例を用いて」と言う意味だけではなく、「範例を獲得するため」という意味を持つことに注意を喚起
- この方法が内容の精選・集約の側面のみならず、方法の学習という側面を持つことを強調
- ワーゲンシャイン自身が述べたエクセムプラリッシュ方式の学習方法の整理
- 1.各教科には、その教科が一般的にどのような教科であり、何をするのか、それは世界とどのようなかかわりを持つのか、ということを照明する素材と方法がある
- 2.徹底的に取りくめるようなテーマを正しく選択するならば、そのテーマにそって学習される内容は、他の部分に加算されるような「部分」にとどまっていない。それは全体を代表されるようになり、したがって全体に向かって放射するものとなる
- 3.個々のテーマから全体に向かって進むことが、学習の徹底化の方法である。しかも実際には、テーマは徹底的に深く考えることによって人間全体を求め、また例が代表的であるかぎり教科の(状況に応じては精神界の)全体をも照明するのである
- エクセムプラリッシュ方式と系統的学習
- 学習とエクセムプラリッシュ方式
4.主題学習にとり決定的意味を持つ主題の設定
- 主題学習を学年計画に組み込む場合、テーマの数とテーマの設定が重要になる
- ⇒ワーゲンシャインの適切なテーマが選択されることの学習上の意味
- 徹底的に取り組めるようなテーマを正しく選択するならば、このテーマにそって学習される内容は、他の部分に加算されるような『部分』にとどまっていない
- それは全体を代表するようになり、したがって全体へ向かって放射するものとなる
- 個々のテーマから全体へ向かって進むことが、徹底化の仕方である
- しかも実際には、テーマは徹底的に深く考えることによって人間全体を求め、また例が代表であるかぎりで、教科の(状況に応じては精神界の)全体を照明するものである
- 主題学習のテーマを考えるときに、役に立つシュテンツェルの研究
- ⇒範例方式を4つの段階に分けて考える
- 1.個(individum)がエクセムプラリッシュに解明される段階
- 個々の範例の具体的、直感的把握によって事実連関の本質を把握すること
- 2.類型(Typus)、類(Cattung)がエクセムプラリッシュに解明される段階
- この認識を類型概念などの更に大きな関連の中で明らかにすること
- 3.法則的・範例的関連(der gesetzmassing und kategorial Zusammenhang)がエクセムプラリッシュに解明される段階
- 2の根底にある法則や範疇的関係を基本的な法則として理解すること
- 4.世界及び生活関連の経験(Erfahrungeines Welt-und-Lebens-Zusammenhanges)がエクセムプラリッシュに解明される段階
- 3の法則の連関、結合により世界が成り立っており、範例と自己ならびに自己を取り巻く世界とのつながりを認識すること
- シュテンツェルの考え
- 個々の事象のイメージ・認識が、類型、概念、体系、法則、更には自己を取り巻く世界へと広がる認識の変化を学習過程としてとらえ、それらの各認識段階においてゲシュタルト全体を構成する範例が満たされなければならない
- ←これは教育学的な一般原理であり、個々の範例を考える場合には、地理、歴史、政治・経済、倫理などで範例を設定する基準、観点などが違わなければならないことに留意する必要
- 平田嘉三氏の範例設定の留意点
- 1)こどもによる、こどもの思考力の伸長の尊重
- 2)それぞれの教材(地理、歴史、政経社、倫理)独自の論理性と本質の尊重
- 3)各学校段階における方法(学習形態、授業形態、基本的事項への迫り方)の多様性の尊重
- 平成元年版学習指導要領における「世界史」、「日本史」、「地理」の主題学習
- 通史学習を重視する歴史学習では主題学習は補助的色彩が強く、地理学習ではかなり大胆に内容の本質的部分を事例学習で代置している
- 生徒の発達段階、現代とのかかわり、歴史の系統を配慮しながら、学習の過程に「全体が担われる重心」のような「節(プラットフォーム)」としての主題学習を設ける配慮が必要になる
- エーベリングの「島教育」に参考すること
- 「歴史的体験という大きな流れから"島"をつかみ出し、それを生き生きと具象的に生徒の前に提示し、生徒に島の回りを歩かせ、その詳細について発見させ、十分に学習しなければならない」という視点が必要になる
- 主題学習の連鎖を通史に代置するとか、通史と主題学習を組み合わせることにより内容を構成することが検討されてよい
- テーマ選定
- ただ単に通史学習の中に社会史、庶民史、人物など興味深いテーマをちりばめるのではない
- 歴史の本質的理解、現代世界の理解などにつながるテーマが適切に選ばれなければならない
- 興味深く、かつ本質的、照明的、現代的なテーマが設定されなければ、主題学習そのもので歴史認識を掘り下げ、広げることはできないから
5.高等学校の歴史学習におけるエクセムプラリッシュ方式の応用―単元「アフリカ分割」を例にして―
- フリットナーの凝縮の原理
- エクセムプラリッシュ方式と凝縮の原理
- しかし、通史のいくつかの部分を膨らませて学習させるのがエクセムプラリッシュ方式であるということにはならない
- 範例を深く探求する中で、教科の原理的部分に立ち返ったり、現代的視点から検討を加えたり、自分とのかかわりを考えたりして、教科内容全体の中に範例を位置づけることが必要になる
- 「島」のようなかたちの範例をつないで通史に代えたり、通史の一定部分をそっくり範例に代置することが必要になる
- 具体例:高等学校「世界史B」において通史学習の単元「アフリカの分割」を「コンゴ問題とベルリン会議」というテーマの主題学習に代置
- この場合「アフリカの分割」については通史の授業ではほとんど触れず、生徒自身に学習させることになる
- 通史の一部分を世界史の本質の部分の理解につながる主題学習に置き換えよということ
- そのため従来の世界史学習で同単元の中心部分に位置づけられていた、「ファッショダ事件」、「ボーア戦争」などについては、生徒自身が学ぶことになる
- 具体例における授業の内容の要約
アフリカ中南部を流れるコンゴ川(ザイール川)の流域は、上下流に急流や瀑布があるため、ヨーロッパ人にとって未知の領域であった。19世紀半ばに、イギリスの宣教師リヴィングストンがムスリム商人による奴隷貿易根絶とキリスト教の布教を目的としてアフリカ大陸の南部を探検した。それをついだアメリカの探検家スタンリーがコンゴ川の流域を探検して、その経済性を指摘すると、ベルギー王レオポルド2世は、その地域を独占しようと画策した。彼はスタンリーを雇ってコンゴ国際協会を組織し、人道的よそおいをこらしながら1883年にはコンゴの領有を宣言した。これに対してポルトガルとイギリスが強い不満の意をあらわすと、アフリカ進出の野心をもつビスマルクの仲介によって、1884年から翌年にかけてベルリン会議が開かれた。この会議で、アフリカは『無主の地』とみなされ、先に占領した国が領有できるという『占有権』が確認され、ポルトガルとフランスの一部領有とともに、ベルギー王の支配権が承認され、1885年にコンゴ自由国がつくられた。こうして、この年以降、アフリカの分割は急激に進んだ
- 学習する「アフリカ分割」の本質部分
- 範例の学習を、個、類・類型、法則的・範疇的関連、世界・生活関連の経験に拡大することが可能になる
6.社会科における思考力の育成とエクセムプラリッシュ方式
- 教育学的視点から社会家教育の再編を図る
- 中学校社会科、高等学校地歴科、高等学校公民科において、社会的思考力を育成することは重要な課題
- 知識注入型の授業は記憶中心の学習になるために思考力育成に役立たず、後に知識の剥落現象を呼び起こし易い
- 学習過程で生徒が主体的に「調べ」、「話し合い」、「考え」、「まとめる」、「自己自身の判断力を強める」ことが、市民教育の一環としての社会科では必要
- エクセムプラリッシュ式の学習観
- ワーゲンシャイン「範例教授は、均斉のとれた、まとまりをもった『教養人』を目指さない。青少年がどこかで真剣になって考え、そこから健全な方法で全体へいたるかれの陶冶の入り口を目指さざるをえないように、自由にさせることをめざすのである」
- 学習の陶冶的側面が重視され、生徒自らが学習の過程で「考える」ことが大切な学習要素になっている
- 主題学習におけるカリキュラム
- 主題学習における学習法
- 範例学習は探究の道筋、方法を学ぶための典型的実例を学習の対象としている
- 生徒が範例を学ぶことにより、他に転移させることにができる教科固有の方法を学ぶことに意義がある
- 生徒が範例を学ぶ中で具体的事象についての認識を獲得するのみならず、類似の事象への理解、教科の全体的体系の中での位置づけ、生徒を取り巻く環境との関連を把握するための、主体的な学習活動が組み込まれていくことが大切
- 学習過程における「考える内容」と多様なアプローチを可能にする学習法が組み込まれていく配慮が必要
- オリジナルな出会い
- 三枝孝弘氏:「単なる学問的成果の圧縮ないしは体系から出発するのではなく、生活における社会現象との子どもたち自身の直接経験を尊重する。社会現象とのオリジナルな出会いを強調する。ここで、生活における社会現象、ある意味ではそれは陳腐なものであるが、それをいかにしてオリジナルな出会いたらしめるか、が指導法の問題となる」
- 範例を考える場合には、生徒の体験、思考法など重視し、教材との間のオリジナルな出会いを教育的に組織することが必要になる。
- 主題学習においても、テーマの設定、教材の配列、学習過程を考える際に、学問の体系と生徒の状況からの複眼的な視点が求められる
- 主題学習を通史学習の延長線上にのみ位置づけるのではなく、エクセムプラリッシュ方式に見られるように学習法の発想を大胆に転換することで、主題学習が主題学習としての存在意義を増すことになるといえる
7.おわりに
- 通史学習の補完としての主題学習に陥った理由
- 教育は文化であり、歴史的に形成されてきた教育理念、教育方法を一挙に変更することは出来ないから
- 主題学習はトピックでありハイライト部分に位置づけられてはいない
- 通史からはみ出してしまう庶民生活の歴史、社会史、興味深い事象などが、多く取り上げられる傾向が強く、教科の構造を検討した上でのテーマの選択が十分になされていない
- 本稿の目的
- 主題学習の意味と本質を再検討するには、ドイツのエクセムプラリッシュ方式を再評価すべきとの視点から、高等学校世界史における主題学習の実際的な学習プランを例示し、その基盤となる理念を検討
- 結論
- かつて広岡亮三氏が問題解決学習と系統学習の統合を課題解決学習に求めたように、主題学習を創造的に日本の教育文化の中に定着させる多くの試みが求められている