(1)
- 「主題学習」の登場
- 主題学習の基本的な性格をめぐる問題
- 「通史学習とは別の視点から歴史的な問題を捉えること」という世界史教育の内容について解釈するもの
- 「生徒に主題を与えて研究させ発表させること」という世界史教育の方法について解釈するもの
- 九里幾久雄の指摘「主題学習はいろいろな点で不幸な出発をした」
- 原因1)現場の先進的部分の模索とかみ合わない形で文部省告示として出されたことによって生じた反発と混乱
- 原因2)単位数の減少と同時に提示されたために、現場の教師にははじめから不可能と思われたこと
- 原因3)自己展開学習や発表学習とはじめから混同されてしまったこと
- この論文の趣旨
- 「主題学習」についての論理にはじめから混乱があることに気がつかれなかったという問題についての整理
(2)
- 「主題学習」の研究・実践報告
- 36年刊行文部省「学習指導要領解説」
- 「世界史Bは世界史Aの場合よりも深めて取り扱う」「その際たとえばシルクロードと東西交渉、(中略)などのような適当な主題を選び、(中略)それによって、歴史的思考力をいっそうつちかう」→授業全体の主題学習の位置づけははっきりしない
- 39年の文部省主催 教育課程研究集会(於東京)の報告討議の記録(中等教育資料臨時増刊号)→参加者も主題学習の性格にとまどい、文部省の見解も深化していない。むしろ主題学習への配当時間が最大の関心
- 40年〜47年、主題学習についての研究・実践報告の類が相次いで発表される
- 43年・44年、文部省教育課程研究会の記録が、それぞれ一巻の本として刊行される
- 45年、学習指導要領の改訂が告示、主題学習は一本化された世界史に踏襲され、日本史にも拡大
- 47年、明治図書刊「双書」は、主題学習について言うならば、数年間の総決算的な意味を持つ
- 36年刊行文部省「学習指導要領解説」
- 研究・実践報告・授業プランの特徴その1
- 主題学習の位置づけがはっきりしない
- 主題学習に対比する概念として、通史学習、系統学習、系統的学習、時としては一般学習なる用語が使われ、それとの対比で主題学習なる用語が使われる
- 主題学習のねらいとして歴史的思考力を高めることということと対比して、講義中心・受験本位・知識注入・事項解説主義なる用語が頻繁に使用される
- 主題学習の位置づけがはっきりしない
- 主題学習の位置づけがはっきりしない原因
- 学習指導要領を妄信
- 研究発表の多くが、学習指導要領にこう書いてあるということを唯一の根拠として論旨を展開している傾向があり、文部省の問題提起以上に論議を発展させることができなかった
- 学習指導要領もしくは学習指導要領で提起された主題学習の持つ問題を、自己の教育実践との対比の中で主体的に分析できない教師が、どうして思考力を育成する授業を生徒にすることができるか
- 学界レベルでの社会科教育研究との接点がない
- 「中等社会科教育概論」(日本社会科教育学会編、鳳文閣、49年)は学習指導要領に接着した記述なので、さすがに主題学習なる用語は使われている
- 「中等社会科教育研究」(森秀夫、学芸図書、50年)には系統学習に対比する概念として問題解決学習、両者を止揚するものとして提唱された発見学習なる用語は存在するが、主題学習なる用語はない
- 主題学習なる概念は、現在学界レベルの学習方法論とは無縁の所で論じられてきた
- 学習指導要領を妄信
(3)
- 研究・実践報告・授業プランの特徴その2
- 相変わらず自己展開学習ないしは生徒の発表学習なのかという問題、前述の九里氏の指摘:主題学習の不幸な出発となった誤解に決着がつけられていない
- 主題学習とは通史学習とは別の視点から歴史上の問題をとり上げていく、いわば内容構成上の概念なのか
- 主題学習とは思考力の育成手段として自己展開学習へとたどりついた、いわば方法論の概念なのか
- 内容構成上の概念なのか、方法論の概念なのか不分明で、不分明であるという意識すらほとんどない
- 相変わらず自己展開学習ないしは生徒の発表学習なのかという問題、前述の九里氏の指摘:主題学習の不幸な出発となった誤解に決着がつけられていない
- 文部省の見解との食い違い
- 文部省の見解
- 39年以来の文部省教育課程研究大会の記録を見ても、主題学習は自己展開学習であるということは一つも言われていないし、学習指導要領および同解説も同様
- 準公式的な解説書「改定高等学校学習指導要領の展開・社会科編」(明治図書、46年)には、主題学習においては、特に生徒の自発的な学習が望ましいとされるが、ある場合には教師の解説が中心となることもある、とある。
- もろもろの研究発表の大半
- 生徒の自己展開・発表学習が自明の理としてなされており、文部省との食い違いがまったく問題にされなかった。
- 自己展開学習でない研究報告もいくつかあるが、なぜそうでないことの意味に言及しているものはない。
- 文部省の見解
- 内容構成と方法論をめぐる不分明の3つの原因
- 1:一匹狼的な職人的技術の上に発表されている:学習指導要領および同解説の引用はあっても他人の研究の引用・相互批判がほとんどない
- 2:思考力の育成云々を冒頭に掲げながら、思考力育成の内容を具体的に追及し、その観点から授業実践を分析したものが少ない
- 3:35年学習指導要領に主題学習の例として出された「シルクロードと東西交渉」などの5例が与えた影響
- これら5例はむしろ通史学習ではないかという意見は早くからあったが、これら通史学習的テーマが主題学習であるとすれば、その区別として自己展開学習であると速断されたのも無理なし。
- 研究報告の総決算的な意味を持つ「双書2」の論旨の噛み合わなさ
- 内容と方法を切り離し、主題学習論がそのどこで論じられているかを明確にしなければ、今後の論議は深まらない
(4)
- 通史学習と主題学習の関係性
- 通史学習と主題学習を対比概念として位置づける考え方は47年ごろまでに定着し、内野智司氏が集大成した
- 内野氏の主題学習概念
- 主題学習の3類型:1)通史学習の終了後、 2)通史学習とは独立した形 、3)通史学習の中に有機的に組み込まれる
- 主題の選択についての条件を整理
- 主に通史学習と主題学習の重複や隙間を考慮し、3)を重視し2)を排斥する傾向にある。
- 通史学習を対比概念とすることの問題点
- 学習指導要領における主題学習のねらいのブレ
- 35年学習指導要領:歴史的思考力の深化
- 45年学習指導要領:文化圏学習によりこぼれ落ちた内容の補完
- 上記のようなねらいのブレと35年学習指導要領での主題学習5例が極めて通史学習的であったことがあいまって、一方では内容構造、他方では思考力育成の方法論と2つの関係を不分明なままにした
- 通史学習と主題学習の対比という図式の批判
- 内容構造としての主題学習をつきつめていくと、従来一般的であった通史学習の体系に大きな変更をせまることになるにもかかわらず、従前の通史学習の体系に大きな疑問を抱くことなしに、通史学習に主題学習を対比させてしまった
- 方法論においては、通史学習を講義中心、知識注入、事項解説と速断し、それとの対比で主題学習を自己展開学習ととらえてしまった
- 内容構造にしても方法論にしても、主題学習の位置づけは大きくことなるが、通史学習とは何かという検討が欠けていたことに共通点がある
- 主題学習が通史学習の体系に変更をせまるという意見
- 織本重義氏:「主題学習こそが系統学習である」ことを力説(42年文部省教育課程研究大会)「主題学習は日常の授業にとって特別のものではない」(43年同大会)
- 掛川西高グループ:課題学習論=「主題学習の日常化」→通史学習と主題学習の対比という図式は成り立たない
- 対比の図式が定着化=主題学習の論議を抑制する役割
(5)
- 今後の主題学習が喚起した諸問題についての研究の基礎となる文献