1.はじめに
- 本稿の目的
- 日本における高校世界史教育の現状とその問題点を整理する
- 本稿の手段
- 世界史教育の内容と方法を分けた上で、さらにそれぞれの現状と課題について分析を加える。
- 世界史教育の内容と方法とが必ずしも分かれないが、それでもなおこのような体裁をとるのは、いままでの世界史教育に関する論説や批判があまりに教育内容に集中していることに、筆者は危機感を持っているから。
2.高校世界史教育の現状
世界史教育内容の現状
- 世界史必修
- 地理歴史科は1994年度から実施(1989年版学習指導要領)され、世界史は他科目と異なり必修のため、中心的な位置づけ。
- 近現代史を扱う世界史Aと通史を扱う世界史Bがあり、高校生は必ずどちらかを履修しなければならない。
- 2003年度実施(1999年版学習指導要領)でも地理歴史科のなかでの世界史の位置づけは同様。
- 学習指導要領 目標
- 世界史A
- 1989年版「現代世界の形成の歴史的過程について、近現代史を中心に理解させ、世界諸国相互の関連を多角的に考察させることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に生きる日本人としての自覚と資質を養う」
- 1999年版「近現代を中心とする世界の歴史を、我が国の歴史と関連付けさながら理解させ、人類の課題を多角的に考察させることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本人としての自覚と資質を養う」
- 世界史A
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- 世界史B
- 1989年版「現代世界の形成の歴史的過程と世界の歴史における文化圏の特色について理解させ、文化の多様性・複合性や相互交流を広い視野から考察させることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に生きる日本人としての自覚と資質を養う」
- 1999年版「世界の歴史の大きな枠組みと流れを、我が国の歴史と関連付けながら理解させ、文化の多様性と現代世界の特質を広い視野から考察させることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本人としての自覚と資質を養う」
- 世界史B
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- 1989年版と1999年版の相違点
- 1989年版ではA・Bともに「現代世界の歴史的過程」を学ぶ対象としていたが、1999年版ではAでは「近現代を中心とする世界の歴史」をBでは「世界の歴史の大きな枠組みと流れ」を学ぶ対象としている。
- A・Bともに「我が国の歴史と関連付けながら」という文言が新たに入った。
- Aでは「世界諸国の関連」を考察させることから、「人類の課題」を考察させることが重視されるようになった。
- 1989年版と1999年版の相違点
- 学習指導要領 内容
- 世界史A
- 1989年版:18世紀までの世界史をいくつかの文明圏に分け、その文明圏の概要を述べた後に、2世紀や8世紀のといった特定の時代を取り上げ、その時代の文明圏間の交流を扱い、19世紀からを世界が一体化する時代とする。
- 1999年版:「世界商業の進展と産業革命後の資本主義の確立を中心」とした「世界の一体化」の始まりを16世紀に求め、それ以前の世界史を「地域世界」という概念でいくつかの地域に分け、そして地中海域や内陸アジアなどを例にあげ、これを諸地域世界の「交流圏」として述べる。
- 世界史A
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- 世界史B
- 1999年版では1989年版と同じく、18世紀までのを諸地域世界に分けて語りつつも、古代から8・9世紀あたりまでを「諸地域世界の結合と変容」期、そこから15世紀までを「諸地域世界の交流と再編」期、それ以降を「諸地域世界の結合と変容」期、「地球世界の形成」期に分けている。
- 「世界史への扉」という項目が新設され、「世界史における時間と空間」「日常生活に見る世界史」「世界史と日本史のつながり」が世界史への導入として位置付けられるようになった。
- 世界史B
- 教科書
- 世界史の教育内容を検討する際には、教科書の検討がより重要。
- なぜなら個々の教科書の世界史像は、指導要領のそれと必ずしも合致したものではないし、むしろある教科書の世界像が、次期の指導要領に大きな影響を与えたこともしばしばあったから。
- 決定的なのは、実際に生徒が獲得する世界史像は、教科書によって大きく影響される。
- ここでは1999年版学習指導要領に対応する教科書23冊(世界史Aで9社から11冊、世界史Bでは7社から12冊)を取り上げ、そこでどのような世界史像が描かれているのかを比較検討する。
- 世界史の教育内容を検討する際には、教科書の検討がより重要。
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- 世界史A
- (1)「諸地域世界と交流圏」にあたる部分で、指導要領の東アジア・南アジア・イスラーム・ヨーロッパだけを地域世界としない教科書の存在 →「アフリカ・アメリカの世界」として「ブラック・アフリカの文明」と「アメリカ大陸先住民の文明」を述べる(斉藤孝他『世界史A』桐原書店 2004)。「アメリカ・アフリカ・太平洋地域」と題してオセアニアの歴史を語る(二谷貞夫他『世界史A』一橋出版 2004)。東南アジアの独自の地域世界として語る(柴田三千雄他『世界の歴史』山川出版 2004・岡崎勝世他『世界史A』帝国書院)。
- (2)「一体化する世界」すなわち16世紀以降の世界史像が教科書によって異なる →「一体化する世界」の始まりを、いわゆるヨーロッパの大航海時代に求める教科書と、大航海時代を用意したのはアジアの繁栄と交流の深化であるという解釈から「アジア諸帝国の繁栄」から始める教科書が存在している。(木村靖二他『要説世界史』山川出版 2003、柴田三千雄他『世界の歴史』山川出版 2004・岡崎勝世他『世界史A』帝国書院)
- (3)20世紀史を扱う「現代の世界と日本」における指導要領の「米ソ冷戦とアジア・アフリカ諸国」の部分で、教科書では工夫が見られる。 →戦後史を米ソ冷戦という概念で捉えることは間違いではないが、あまりに大国中心・ヨーロッパ中心であるので、この時代を「あらたな国際秩序の形成」と「諸地域世界の変容世界」というタイトルで語る教科書がある(加藤晴康他『世界史A』東京書籍 2004)。「冷戦の終結と世界」だけで戦後史を語らない工夫が今後とも必要。
- どのような地域世界を設定し、どのように語るかは、現代の高校生の世界認識のために重要な問題。
- 世界史A
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- 世界史B
- 世界史Aと共有の問題:(1)前近代の地域世界をどう設定するか(2)16世紀の世界をどこから語るか(3)戦後史をどう語るか
- 世界史B固有の問題:指導要領の示す大きな時代区分とは異なる時代区分の提示
- 固有の問題(1):1999年版指導要領では「諸地域世界の結合と変容」というタイトルのもとに16〜19世紀の世界史が語られているので、二重革命は以前ほど重視されなくなったが、以前として二重革命を区切りとしている(鶴間和幸他『世界史B』清水書院 2003;指導要領の時代区分を組み替え、「地域世界の形成と交流」「地域世界の変容と世界の一体化」「近代と国民国家」という区分で広い意味での19世紀を語ろうとしている)。
- 固有の問題(2):二重革命という名称に変わり「大西洋革命」「環大西洋革命」という用語を採用する教科書の登場(鶴見尚弘他『世界史B』実教出版 2003や川北稔他『高等世界史B』帝国書院 2003 ;ヨーロッパの発展におけるアメリカ・アフリカの犠牲、主権国家体制の拡大といった部分が強調される)。
- 固有の問題(3):「諸地域世界の結合と変容」の後半部分と「地域世界の形成」を結合させ、「工業文明の世界支配と諸国民総力戦の時代」と題して、一時代を語る教科書(川北稔他『高等世界史B』帝国書院 2003)。
- 教科書には色々な点で指導要領とは異なる世界史像を描こうとしているものもあるので、世界史教師は十分検討し、自らの世界像を不断に見直していくべき。
- 世界史B
- 世界史教育の内容の現在的特徴
- 近現代史を学ぶ生徒の増加 →世界史Aを選択する学校が増えている。1999年版学習指導要領下では、Aが2種増え、Bが7種減少した。
- 教科書のカラー化;生徒の反応は「いままでの教科書よりは読む気になる」
世界史教育方法の現状
- 教職志望の学生の現状
- 「高校の世界史教育で、指導要領のような目的を感じ取ることは出来なかった」し「世界史の授業で歴史的思考力が培われたかと思うか」という問いに肯定する者は皆無。
- 高校における世界史教育
- 授業
- 大半は講義形式のみ;教科書を読んで板書を写すか、教師作成のプリントの穴埋めをする。授業はとても静かで、世界史が好きなものは熱心に聴くが、内職をしたり、寝ている。
- 試験:暗記勝負、教科書の太字の用語やプリントの穴埋めの語句を必至に覚える。
- 従前の世界史教育に疑問を感じ、色々な実践を試みる例もある(鳥山孟郎『考える力を伸ばす世界史の授業』青木書店 2003年)がその実践は広まっていない。
- 授業
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- 通史を全部終わらせることへの妄執
- 通史を終わらせるためには「効率のよい」講義形式やプリント穴埋め方式を取るしかないとの言い訳 →現実には全然通史終わらない。多くの大学生は、現代史(特に戦後史、場合によっては20世紀全体)を学校では学んでいない。
- 通史を全部終わらせることへの妄執
- 高校における世界史教育の現状打破への動き(※これこそまさに主題学習)
- 1999年版世界史A
- 「地域世界と国際社会」「科学技術と現代文明」の項目で「生徒の主体的な追究を通じて認識を深めさせる」ことが求められている。
- 結果、世界史Aの教科書には課題が提示されるようになった。特にプレゼンテーションの方法やレポートのまとめ方にもページを割いた教科書や、教科書の随所に「自由課題のすすめ方」として調べ方や発表の仕方を載せる教科書が登場。
- 1999年版世界史A
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- 1999年版世界史B
- 内容「世界史の扉」の設置;生徒が歴史を追究する場としての位置づけ。教科書にも質問事項が並んでいるものが多い。
- 現代でも「国際対立と国際協調」「科学技術の発達と現代文明」「これからの世界と日本」と主題学習を設定。この部分でも教科書では問いを設定している。
- 「歴史的思考力を培」うためや、生徒が主体的に学ぶ教育への試みが少し具体化されつつある。
- 1999年版世界史B
3.高校世界史教育の課題
世界史教育内容の課題
- 「高校生は世界史でどんな内容を学ぶのか」
- 「何を学ぶのか」について、世界史教育に関わる者が総じて、あまりにも無意識すぎる。「世界史でどんな内容を学ぶのか」は、突き詰めていえば「世界史とは何か」ということになり、日本での議論の蓄積や成果は世界でも有数のものだが、高校教育の場では十分活かされていない。
- 指導要領は、「世界史とは何か」の一つの解釈であり、日本の世界史教科書の世界史像は多様なものである。日本の高校世界史教科書には「世界史とは何か」についての様々な解答例がある。しかし、そのような多様性が世界史教師には理解されていない。
- 江里晃「学校世界史ノート」(『歴史評論』613号 2001年5月)に対する批判
- 「学校世界史ノート」の趣旨
- 「民間教育団体などが追求してきた可能性としての世界史」像がありながら、指導要領によって世界史像は束縛を受け、さらに大学受験によってその束縛は強化され、民間教育団体の追求する世界史像教育は実現されていない、というもの。
- 「学校世界史ノート」の趣旨
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- 批判点
- 指導要領に基づく世界史像を「官製世界史」と名づけ、その原因をアメリカ的生活様式の普及によるヨーロッパ中心史観、大学入試、日本史と世界史の別置に求めることは間違い。
- 「教科書に沿って、学習内容を指導法を展開していくもの」を「官製世界史」として批判対象するのはおかしい。
- このような江里氏の問題設定と論旨展開が教科書の世界史像の多様性を理解していない、世界史教師の現状を暴露している。
- 吉田悟郎他「高校世界史」(実教出版 1984年)は、「官製世界史」に対し「可能性としての世界史」を提示するものであったので、教科書に基づく指導が全て「官製世界史」ではない。さらにこの教科書が採択されず結果的に消滅したことは、江里氏の論旨が正しくないことを示している。
- 「官製世界史」が蔓延っているのは、世界史教師が「官製世界史」を批判的に受け止めていないし、場合によってはそれ以外に世界史像はないと思っているから。故に、吉田悟郎氏らの教科書が採択されなかった。
- 批判点
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- 反論の予想とそれに対する反駁
- 予想される反論:「世界史教育は、世界史像の多様性を理解しつつも、受験のためにやむなく、『官製世界史』に近い世界史像をもつ教科書を採択しているのだ」
- それに対する反駁:「それでは全ての高校で世界史教育は受験を意識して行なわれなくてはならないのか」。全ての世界史教育の現場が大学受験を意識しなくてもいいはず。
- 反論の予想とそれに対する反駁
- 木下康彦「学習指導要領と世界史教科書の変遷」(『歴史と地理』576号 2004年8月)に対する批判
- この論文の趣旨:戦後できた世界史の指導要領を概観し、さらにいくつかの教科書内容を分析している。
- 批判点
- 教科書の世界像が多様性を持つことが意識されていない。
- 世界史教科書の分析が山川出版に限られている
- 山川出版の特定の教科書を「オーソドクスな世界史教科書」だとしている点。「オーソドクスな世界史」とは何か?どのような基準から、ある世界史がオーソドクスである世界史がそうでないと言えるのか。そのように言うのは、世界史像の多様性を認めていないから。
- 世界史の教育内容を語る論文の問題点
- 「世界史とは何か」、またその答えが多様であるということが極めて意識されていない。
- 「世界史とは何か」、これからの世界史像を考える際のポイント
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- ④世界史Aの実施の増加により、現代史とくに第二次世界大戦後の歴史を世界史教師が、どのように教えるべきかが問題になってくる
- 指導要領では「地球の一体化」ということのみ強調し、一体化における不均等さには言及がない。
- 大国中心の「冷戦体制」とその変化だけで、戦後史を語るのには大きな問題がある、
- ニュースに出てくる問題の歴史的根源としてのみ現代史を語るのではなく、生徒たちの生活認識に訴えかけるような現代史を、生徒が学べるように心がけなくてはいけない。
- ④世界史Aの実施の増加により、現代史とくに第二次世界大戦後の歴史を世界史教師が、どのように教えるべきかが問題になってくる
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- ⑤教科書の多様性
- 教科書のカラー化によりコストが増加し、世界史教科書を出版することが出版社にとって大きな負担となり、教科書が28種から23種に減った。教科書の改善への試みや世界史像の多様性が阻まれてしまうのも問題。
- ⑤教科書の多様性
世界史教育方法の課題
- 世界史教育の方法論的問題
- 「高校生は世界史で何を学ぶのか」という問いを「高校生は世界史をどのように学ぶのか」「世界史で高校生はどのような学力をつけるのか」という形で考える
- 「受験があるから、どうしても暗記重視になってしまう」という言説の検討
- 全ての高校生が大学受験をするわけではない、ましてや世界史を受験科目にするわけではない
- 受験に関わらない空間で別の世界史教育が展開されているわけでもなく、受験のための世界史教育と大きく変わらない教育を受けている。
- 世界史教育に関わる者は、ほとんどが地理や歴史が好きで、その意味では講義形式の授業に対応でき、暗記にも拒否反応を示さないという学生生活を送ってきている。従ってそのような授業形式に問題意識を持たないし、またそれ以外の授業形態を想像・展開できない。
- 「用語の暗記だけでは不十分で、流れの理解が必要だ」という言説の検討
- 「流れの理解」をするのは生徒だとしても、「流れ」をまず最初に語るのは教師であるという問題が批判されていない。生徒は教師の「流れ」という解釈を理解させられる。
- 「流れの理解」という作業は、「世界史用語の暗記」ではないかもしれないが、「世界史にかかわる長文の暗記」。
- 生徒が主体的に学ぶことが否定されているという点では、「単語暗記中心主義」も「流れの理解」も同じ。
- 「生徒が主体的に考えるというが、基礎知識がなければ考えられないのではないか。だから基礎知識をまず教えるべきだ」という言説の検討
- 「生徒が主体的に考える」ことを世界史教育の目標として否定しないのであれば、生徒に主体的に考えさせない世界史教育の現状を変えていく努力がなによりもなされるべき
- 現在のような講義形式でなければ、生徒が基礎知識を獲得できないのかという点が考慮されていない。
- 生徒が主体的に基礎知識を獲得していくプロセスを創造できないのか。
- 生徒に「あれゅ、不思議だな?」と思わせ思考させて、その疑問を解決し、思考を深めるために生徒自らが知識を獲得していくというプロセスはあり得ないのか。
- 教師が講義すれば、自動的に生徒は基礎知識を獲得するのか。生徒に「何故学ぶのか」という動機付けもせずに、ただひたすら板書したり穴埋めをさせて、それで基礎知識が獲得されると思うのは、あまりに生徒の主体性を無視した、教師の思いあがり。
- 生徒が主体的に学ぶ
- 生徒が身に付ける学力
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- ゴシック体について
- 日本の教科書の独特な教育方法が単語のゴシック体であり、重要な用語とされ、暗記の対象とされる(少なくとも学生はそのような強迫観念を植え付けられている)。
- 欧米のゴシック体は章ごとにそのKey Wordsを説明させることを求めているので日本のゴシック体とは違う
- ゴシック体について
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- 日本の教科書は問いかけの少なさでも世界で極めて例外的
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- 生徒の相互コミュニケーション
- 小グループで話し合って問題を解決したり、意見を出し合って思考を深めていくこと、さらにはグループで出した結論をクラス全員にうまく発表できるようにすること、また彼らの発表を正しく聞き取り、その内容をきちんと理解し、その上で質問や反論をすること、このような作業が世界史教育、地理歴史科教育では重要な課題。
- 生徒の相互コミュニケーション
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- 情報過多と娯楽
- 情報手段の発達で生徒は世界の様々な出来事に触れる機会は増えているが、ますます身近なことにしか関心を示さない。論理的に物事を考えたり、それを相手に伝えたりすることはほとんどしていない。情報過多のなかで、さまざまな娯楽のなかで、自分に直接関わると思われることのみにしか関心を示せない。受験競争の中で、共に学ぶということは幻想に過ぎないと思われている。
- 生徒の将来を考えれば、世界史に関心を持てる環境を作り、生徒の視野を広げる手伝いをしてあげること、情報過多のなかで情報を選別する力を育てること、協力して学ぶこと、コミュニケーションをしながら学ぶ力が育つように援助することが、大事。
- 情報過多と娯楽
4.最後に
- 深刻な問題点
- 世界史教育の現状と課題が大学入試と文部科学省の指導要領のみから語られてしまうこと。
- 現在求められていること
- 教師の世界史像、世界史学力観がどうなっているのかが深い問題であり、「教師が主体的に考える」ことが求めらている。
雑感・コメント
- 講義形式の授業について
- 大学進学するのは全高校生の約半分であり、受験科目に世界史を選ぶ学生は少数に過ぎない。必修である世界史は、受験が目的なのではなく、多様なものが実践されていると思っていたが現実はそうではないことが印象深かった。著者はその原因として、「世界史教育に関わる者は、ほとんどが地理や歴史が好きで、その意味では講義形式の授業に対応でき、暗記にも拒否反応を示さないという学生生活を送ってきている。従ってそのような授業形式に問題意識を持たないし、またそれ以外の授業形態を想像・展開できない」と述べていたが、的確な指摘だと思われる。講義形式を乗り越える授業が必要とされている。その点、私が大学院の講義で授業実践をしたのは進学校の高校3年の選択「受験世界史」だったので、従来どおりに陥ってしまった感じが否めない。日常の必修通史学習における授業形態を考え出さねばならない。
- 基礎的な知識について
- 基礎的な知識が講義形式でしか身につかないのは欺瞞だと思っている。記憶というものはどれだけそのことについて考えたかで定着が決まる。考察・思考の中で体系化された知識が獲得されるのである。つまり、日常の中で自分で調べたり考えたり話のタネにして他人に話したりすることで記憶が深まるのである。その点で、著者が「現在のような講義形式でなければ、生徒が基礎知識を獲得できないのか」「生徒が主体的に基礎知識を獲得していくプロセスを創造できないのか」「教師が講義すれば、自動的に生徒は基礎知識を獲得するのか」「生徒に「何故学ぶのか」という動機付けもせずに、ただひたすら板書したり穴埋めをさせて、それで基礎知識が獲得されると思うのは、あまりに生徒の主体性を無視した、教師の思いあがり」と述べている点は当然であるとも言える。
- 史料批判の重要性
- これは専門性の欠片もない底辺教員養成院生としては痛いところ。一次史料から歴史を組み立てたことなんてない。文学部史学科卒教員は、従来の講義形式しか出来ない再生産マシーンとか専門しか出来ないとか言われるけれど、ここらは史料批判の方法論を知っているところで有利ではある。「教科書をひたすら信じ、教師の言うことを覚えることが歴史であるとされてきた彼ら(※教職を志す大学生)には、歴史記述を批判的に読む能力が備わっているはずがないし、さらにはある歴史記述の信憑性について調べる手法を学んでもいない」との指摘は的を得ている。学部時代にクリティカルシンキングはやったが、今からでも教科専門の教員に一次史料から歴史を再現する方法論の教えを請うたほうがよいのか・・・?自分でやれるか?
- 主題学習の可能性
- 世界史教育における現状打破の動きで紹介されていたことが、主題学習そのものである。著者はあまり主題学習として認識していないように思われるので、主題学習という用語は全面的に押し出されていないが。著者が、問題意識としている教師の「世界史像の形成」と「生徒主体の世界史学力観」に答えるものが、主題学習である。主題学習では、教師自身の世界史像を形成することが可能であり、生徒主体の授業構成にもできる。内容構成面(世界史像の形成)にも指導方法(生徒主体)にも対応でき、まさに世界史教育の問題点を克服できる視点だといえよう。
- 修論との関係
- 現在までで分かってること
- 世界史教育が孕む問題点は何?→内容面「世界史像の形成」と指導方法「生徒主体」→主題学習なら応えられる→主題学習のどんなところが?→過去の主題学習の学習指導要領・先行研究の分析→主題学習で求められる歴史的思考力の質が変化している→どんな風に?→生徒の興味関心を引く・空間認識・時間認識・言語能力の重視・活動の重視・現代世界の諸問題の解決→では、実際にどんな「世界史像」を形成して、どんな「指導方法」を展開するのか。
- これからの方針
- 現在までで分かってること