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  • 鈴木亮『日本からの世界史』大月書店 1994年

    第一章 世界をどうみてきたか

    日本人の世界観としては入欧脱亜、興亜対欧、それらに対するもう一つのものがある。入欧脱亜の思想についていえば、日本では世界といえば西洋のこととなる。世界は大国・強国だけを意味し、小国は眼中にない。世界=外国=西洋=大国という図式、世界は日本を除いた外国。欧米崇拝、アジア・アフリカ蔑視をする傾向にある。福沢諭吉の著作物における人種観を引用、脱亜入欧の傾向は現在までも続く。日清戦争で勝利し植民地を得た日本はイギリスやフランスの植民地政策に学ぶようになり、アジア・アフリカ蔑視はますます高まる。日清戦争に勝利した日本は広く民衆にいたるまでシナ人を蔑視。興亜対欧の思想では、日本人が白人を凌駕するために黒人革命であるハイチ革命が紹介される。明治期にあらわれたヨーロッパ中心批判、ヨーロッパ近代批判は、脱亜と興亜を共存させながら、昭和になって「大東亜共栄圏」というスローガンをつくりあげていく。ヨーロッパ近代批判は、アジアの主体性を全く無視することの上に成り立つ。西洋近代はモデルであり、ライバル。もう一つの伝統では柳宗悦・槙村浩・石橋湛山の三人の人物は朝鮮・中国に対し好感度が高かったことが紹介される。このことから明治以来の日本の歴史のなかに、政府の政策、ゆがんだ世界像を批判し、ゆたかな国際感覚をもって、アジアを世界をみすえてきた伝統のあることを知ることが出来る。

    第二章 自立の世界史像をもとめて

    世界史とは何か
    • 吉田悟郎の主張;世界史の教育が欧米中心の世界史像を作るような構造・組み立てになっているとの指摘
      • 歴史教育は最初から世界の中で、日本はじめに諸民族の歴史を全面的に発展的にとらえなければならない。特に植民地・従属国の歴史を重要視して、その中で近代日本が一面従属的、一面侵略という歪んだ道を歩んだことがはっきりと浮き彫りにされる。そこから脱却するためには、東欧、アジア・アフリカ、中南米とのつながりの上で歴史的に自覚する必要がある。そういう歴史教育をとおしてはじめて、今日の国民的危機の自覚をさまたげている支配者根性、植民地保有国家の精神を抜け出すことができる」
      • 「いままでの『世界史像』概説は、かいつまんでいえば、西欧中心であり近代主義であるか、また無原理であり、戦前の『東洋史』・『西洋史』の編年風な折衷・混合であるかであったようだ。そこでいままでたかだか伝達するにとどまっていた世界史の知識というものは、けっしてどんな歴史意識も歴史的自覚もそだてなかったわけではなく、かえって、欧米中心、近代市民社会至上、西欧文明・西欧民主主義絶対視の歴史意識を強め、今日を卑俗に『二つの世界』の対立の時代だとし、日本は西欧陣営の一翼に加わり、封建制を克服し、欧米なみの『近代化』をおこなうことが唯一の課題であるかのような歴史的自覚をうえつける役割をはたしたところに、さらに考えるべき問題があった。発展段階的考え方や社会経済史的説明がいかに新しく取り入れられていようと、この特徴は本質的にかわっていない」
    • 上原専禄の主張;第二次世界大戦とその後の世界と日本の大きな変化のなかでの世界史でなければならない
      • 「戦後の日本人の自覚の構造として、世界史的認識というものを要求しているという、そういういわば主観的な要求というものと、それから、客観的に、ヨーロッパ中心ではない、地球的世界史というものがはじまりつつあるという客観的な歴史現実への洞察というもの。この二つが結びついたかたちで、われわれの世界史研究への要請の根底に存在していることを意識すると、世界史構成の方法というものも立ってくるんじゃないか」
    「自分の世界史」

    日本史とか、世界史とかいえば、もうすっかり出来上がっていて、それが書物になり、教科書になっているのだとか思われがちだが、歴史というものはそういうものではない。私たち一人ひとりが「自分の世界史」をつくりあげていくもの、世界史像を各自描き出していくもの、しかもそれは一度できたらそれでよいというものではなくて、描いては消し、描いては消していくもの。

    「世界史の流れ」という幻想

    俗に言う「世界史の流れ」は、ヨーロッパ中心の世界史なのである。この「歴史の流れ」からはみだしているのが、太平洋や東南アジア。ヨーロッパ中心、大国中心の世界史の構成では、アフリカ史ははみだしてしまって身の置き所が無い。ヨーロッパと日本以外は皆はみだしものになる可能性。いまどきアフリカについて全く書かないわけにはいかないから書いてあるが、ついでやつけたしとして書かれる。「本流」はあくまでも西ヨーロッパの歴史。「本流」以外のものは、あるとき突然あらわれたり、いつのまにか消えたりする。読むもの、学ぶものの印象に残らない。寧ろ、マイナス・イメージになることもある。

    第三章 日本史と朝鮮史のあいだ

    歴史教育の欠陥

    朝鮮史については、日本史でも世界史でも扱わない。朝鮮史を日本史で扱わなければという観点がない。世界史で、朝鮮史を取り上げる必要性・重要性を認めていない。朝鮮史を日本史あるいは中国史の「つけたし」とか「中国と日本のあいだにはさまった国」「中国と日本のあいだの橋渡しとしての朝鮮」としかみない。朝鮮史をとりあげるだけでは、世界認識は育たない。問題は世界史像。朝鮮史が世界史像をつくる一環として位置付く世界史の創造が必要。東アジア世界史としてその構造をとらえる必要。東アジア世界史の形成は、朝鮮も日本も中国もヴェトナムもモンゴルも内陸アジアもシベリアも対等の価値を持って参与する必要。そのような東アジア世界史を構成する諸民族の構造的な把握がなされないために、大小、強弱、軽重、中心・周辺、中央・地方、先進・後進といった観念でとらえ、国や民族のあいだにランキングが出来る。世界史認識を、日本史・世界史の学習のなかでどうつくっていくかという問題をぬきにしては朝鮮認識の問題は解決しない。

    民族問題

    民族問題は、政治的に歴史的に科学的に把握すればすむことではない。その民族がはじめからあったのではなくて、長い歴史のなかでできていった、作られていったものだという把握、文化が歴史的に創造されていったのだという理解、自民族形成の理解ができるような歴史教育が必要。日本史にとっての朝鮮史の問題の追究は、日本人の日本認識の問題であることを教える。自民族の自立なしに、諸民族との共存とか、連帯は生まれない。必要なことは、民族の実感にささえられた異質への理解。

    第四章 長い道のりと短い時間

    認識は変わる

    昔はそうではなかったことが長い時間を通して当たり前になる。MSAはアメリカ相互安全保障協定法。アメリカが外国に軍事的・経済的援助を与え、それを受ける国が、軍事的・政治的義務を負うという協定について定めた法律。MSA協定の下相談が1953年池田・ロバートソン会談。随員兼通訳として従うのは宮沢喜一アメリカの軍備増強の要求に対し、日本政府は教育と広報により、日本に愛国心と自衛のための自発的精神が清涼するような空気を醸し出すと答える。政府は時間をかけて国民を教育し直していこうとする。次第に日本に軍隊がいることが当たりまえになる。(警察予備隊は戦力ではない→保安隊は「我が国の平和と秩序を維持し、人命と財産を保護するため、特別の必要がある場合に行動する部隊」だから軍隊ではない →自衛隊は、憲法9条の下でも自衛の為なら軍隊を持ってもいい)。1958年の自衛隊海外派兵問題では「自衛隊は、外部からの直接侵略、間接侵略について日本の平和と安全を守るという使命しかもっていないから、いかなる意味においても国連警察軍に参加することは現行法ではできない」→1992年には自衛隊PKO部隊がカンボジアに派兵。

    平和学習のための世界史像

    朝鮮・中国に対する行為も当時の日本では当然のものだとみなされるようになる。そういうなかで日本人の国際感覚は作られ、世界像が形成される。韓国併合に対する列強の承認がある。強国・大国だけを世界とみて、そのなかでの日本の国際的地位は向上したととらえるのではなく、第三世界をふくめた世界全体のなかで考える。いままでの帝国主義諸国の力は弱まり、国際的地位は低下し、反対にアジア・アフリカ諸民族の国際的地位が向上してきたと見るべき。そうみることで、現在の、全てを視野にいれた世界像形成につながる。世界といえば大国だけ、国際的に孤立するなどというと、大国ににらまれることだけを気にする国際感覚でよいのか。教科書に書かれれば、授業で取り上げられるとは限らない。取り上げられさえすればよいのではない。問題はその中身。どんな取り上げられかたをするか。たしかな世界感覚、アジア認識にささえられた平和学習、日本民族の主体性、独立、自立の意識にささえられた平和学習が必要。

    雑感・コメント

    本論の構成としては1章で日本人の世界観を紹介し、2章で世界史像を自らの歴史観のもとで形成していく必要性を述べていく。3章、4章では、この著者の歴史観の下での歴史教育が述べられている。2章は参考になったが、3章・4章は偏っている。著者は大国・先進国・日本だけでない全体的な世界史像を提唱している。しかし、その背景には帝国主義批判・侵略批判・日帝批判が根底にあり、それらを批判するための手段として世界史像を提唱しているようだけのように感じられる。史料に基づく論証もせず、日帝・侵略・植民地支配が悪だと決め付け、思い込みで内容が書かれている。戦争=悪の一点張りで、どうして戦争が起こったのか、植民地支配にいたったのはどうしてかという根本的な問題に一切触れず、著者の固定観念だけで叙述されている側面が強い。たしかに、著者の世界史像は参考にならないこともないが、やはり著者自身の主張を正当化するためだけの、手段としての世界史像に過ぎない。著者自身、表紙で「世界史に既製品はない。それは各自が描き出していくもの」と述べているように、この書物で論じられている世界史像というものは、著者が自身の日帝批判による平和学習を行なうためだけの世界史像なのであるように思われる。寧ろ著者の意図的には、著者の世界史ということで、それはそれでよいのかもしれない。