「高校世界史の学力をどのようにとらえるか」という雑談をしたので思いついたことを書きなぐっとく

高校世界史の学力はどのようにとらえることができるだろうか。
学校現場で学力をとらえる際には観点別学習状況の評価規準というものが存在する。
すなわち「思考・判断」「知識・理解」「技能・表現」「関心・意欲・態度」の4観点である。
ここでは、「思考・判断」、「知識・理解」の観点から具体的にどのようなことが達成されれば学力が身についたといえるかについて述べる。

「思考・判断」

高校世界史の学力において一番重要だと思われるのは、歴史的思考力、つまりは歴史的なものの見方考え方である。歴史的思考力については諸説あり、因果・比較・推移・変化・関連などが挙げられると思うが、ここでは歴史事象の抽象化と転移について述べていく。例を挙げるなら日中戦争がある。1930年代における人びとは日中戦争をどうとらえていたか。日中戦争を戦争の形態という見方で抽象化すると、「国民政府を対手とせず」という声明のように当時の人びとは日中戦争を報償・討匪戦ととらえており、これは悪いことをしたのだから武力行使をするのは当然であるという見方があったことが分かる。当時の人びとは戦争として捉えていなかったのである。この歴史的な見方から9.11をとらえるとどうだろうか。9.11では「テロとの戦争」であることが強調された。内部から日常生活密着の場で攻撃を受けたアメリカ、相手国が戦争を仕掛けたというよりは国内にいる無法者が善意の市民を皆殺しにした事件で、国家権力によって鎮圧されてよいと見なされた。つまりここでも、悪いことをしたのだから武力行使をするのも当然だと世論が盛り上がり、イラクに懲罰を与えることが当然視されたことが分かる。つまりは、1930年代の日本における個別具体的な歴史事象から一般的なものを抽象化し、転移を図ることで、2000年代のアメリカと共通性を見出すことが出来るのである。このように歴史的なものの見方・考え方を身に付けることができれば「思考・判断」の学力が身に着いたといえる。

「知識・理解」

歴史的思考力が重要であるからといって、知識がないがしろにされるわけではない。知識は重要であるが、「暗記地獄」や「馬鹿暗記」などは否定されるべきである。重要なのは「体系化」された知識である。では体系化された知識とはどうすれば身に付けることができるのであろうか。それは、歴史的思考力のなかで身に付けることができる。歴史事象の抽象化・転移を試行錯誤する上で、歴史事象は何度も異なる文脈に置かれる。そして様々な関係の中で考えられ、他の出来事と結びつけられ繰り返し熟考され、多くの結びつきを形成していく。その多くの結びつきがひとつの体系となる。体系の中では、ある歴史事象は他の歴史事象と、また考えられた事象と連絡されている。その結果として、全ての事実はその体系の中の他の全ての事実の持つ総合的暗示力によって保持される。こうして詰め込みではない、暗記地獄ではない、馬鹿暗記ではない知識が身に着くのである。歴史的思考力を鍛えれば、体系化された知識が身に着くといえる。

具体的にどのような手段で評価できるか

では世界史の学力観=歴史的思考力として捉えるなら、どのような手段で評価できるか。歴史的思考力を評価するには、事象と事象の因果関係を結びつける際の解釈の妥当性を一つ一つ確認する必要がある。確認するには、論述させて、頭の中の考察の過程の巧みさ、正しさ、妥当性を見る必要が出てくる。例えば環大西洋革命について1776年のアメリカ独立宣言と1789年のフランス革命の関係性を問うとしたら、この2つの事象についていくつかの史料を用いて論述させる問題を出すことが考えられる。またこの歴史的思考力を育成するのが主題学習である。