夏空のペルセウス 遠野恋ルート「イモウト的実存」の感想・レビュー

夏空のペルセウス実妹;恋ルートは「イモウト的実存」について。
もはや古代神話からゼロ年代セカイ系までで散々やりつくされたテーマである!!
今回はゼロ年代に流行った「近親相姦の禁忌が社会に受け入れられなかった」パターン。
社会参加から逃れ、兄妹だけがいればそれで良いという結論に至る。
クロポのよるよる、さくらむすびのビターエンドを思い出します。

遠野恋シナリオの概要

遠野恋は毒舌で斜に構えたブラコンお兄ちゃん大好きっこツンデレ。親戚中をたらい回しにされた結果、廃村寸前の限界集落にまでやってきた。世界の果てで安住の地を求めようとする主人公くんに対し、安住の地を見つけたらお兄ちゃんを独占できなくなるという妹。二人の思惑が交差していく。実妹の恋はお兄ちゃんに自分だけを見て欲しいわけだが、定住の地をみつければそこに女は必ず存在しているわけで、自分以外を選んでしまうかもしれない。そう思った恋に、兄を本気で独占するという決意を生ませたのは初潮であった。これで自分は「女」であると確信した恋は、兄の倫理観・常識・理性を奪い去り、自分の身体を肉欲として貪らせていく。そして、主人公くんに「社会」か「実妹との近親相姦」かを選択させる。その手法は、親戚でもありクラスメイトでもある翠に、自分たちの性行為を見せ付けること。我にかえり、理性を取り戻した主人公くんに、恋は選択肢を突きつけるのであった。


選択肢を突きつけられた主人公くんは苦悩する。「社会か、妹か」、「あれか、これか」の実存主義キルケゴール。つまり、実妹;恋との肉欲生活は「美的実存」である。性行為という快楽生活に身を委ねていったが、この状態は享楽の奴隷であって、真の主体性はなく、絶望に陥る。そこで、社会と結びつき善良な市民として生活を送る「倫理的実存」が求められる。つまりは、他ヒロインルートで、一人のヒロインを選び取って愛を深め、社会に参加して生きていくことである。サルトルだったらアンガージュマン。だが、そこに満足しても、確信を得ることのできない自己を感じ取っていた。そこで、第三段階の実存として「イモウト的実存」(ホントウは「宗教的実存」)を選び取る。倫理的に生活してもイモウトが大好きな主人公くんは絶望せる孤独な単独者である。しかし、その孤独の極限に至ったとき、最後の支えとしてイモウトを信ずることになる。これが「イモウト的実存」である。これは単なる「イモウト関係性変化」と理解されてはならない。すべての客観的真理が示されても、なおそこにおさまりきれない自己の存在をキルケゴールはイモウトとの関係で説明したのである。