ギャングスタリパブリカの感想・レビュー

ギャングスタリパブリカは「思想対決」がテーマで「ループ」で味付けがなされている。
第一部では少し変わったキャラがダラダラと日常を繰り広げるだけだが、そこはぐっと我慢。
第二部では物語の世界観が明かされていき、ヒロイン達が自分の思想信条を引っさげて対決する。
自分が大切にしているものをさらけ出し、相手と議論を重ねることで、お互いを理解していく。
大人の世界では自分を偽り仮面をかぶってコミュニケーションを取るため「子どもの国」を表している。

ループについて


  • アホ毛
    • この物語では各個人が「ループ」出来るようになっており、最後のループを抜けた時の事象が確定されます。このループから抜け出すためには「精神的昂揚」が必要であり、ループ抜けすると「アホ毛」が立つというぶっ飛んだ設定になっています。またループ時間が他人より長い人間は他人を「共有ループ」に巻き込むことができ、集団でループをすることが可能になっています。しかし、主人公くんだけはループができません。主人公くんはかつて世界のために犠牲となり、そのループ時間を奪われたのでした。そのため主人公くんだけはループをしても記憶を保持できず、常に1週目からスタートするという解釈になります(こおり√で落とし物を探すイベントでループできるのに主人公くんだけひたすら同じ台詞を繰り返すことに違和感を感じることや、ミソギ√で8ヶ月ループを繰り返しているのに初めての8ヶ月ループと感じることから類推できる)。そう考えるとループするごとに、その時間軸を経てきた主人公くんは消滅すると考えられて少し恐ろしく感じもしますね。



  • ミソギendにおける8ヶ月ループ
    • ミソギシナリオではひたすら8ヶ月ループを繰り返します。ミソギの気持ちを理解するために。8ヶ月ループというのは物語世界の中でも異常とされる存在です。普通の場合はループは時間単位で示されますので、それが8ヶ月ともなると、周囲から排斥されるレベル。ミソギが超越的に救世主を志向する理由を共有するために、ミソギの孤独を知るために、仲間全員でミソギの共有ループに入り込むことになります。ですが、ループを繰り返し続けるということは、「精神的昂揚」を覚えないということ。ミソギを選んだとしても、ドキドキしてはいけないのです。このため、最終的にミソギは拗ねてしまい、自分は主人公くんから恋人として扱ってもらえず、救世主になるための道具にすぎないのではないかと懐疑的になりもするのです。
    • 主人公くんはそんなミソギを受け入れようとするのですが、性的衝動を敢えて無視し続けてきたので「ドキドキする」ことは難しいことでした。そして精神的昂揚を覚えてしまえば共有ループから抜けることになるし、それはミソギの孤独に添い遂げられないことを意味します。この状況に対し、部活の仲間達に卒業しても就職しても自分たちのために集まって欲しいと宣言し、覚悟を示すのでした。こうして第二部ミソギ√では妊娠が発覚してループから脱し、二人で生きていくことになったのでした。
    • けど主人公くんはループできないから、結局1周目なんですよね・・・?そう考えると、主人公くんはループしていないことになりミソギとループしないから孤独や悲しみは分かち合えないんじゃないか?常に1周目なんだから・・・。あれ?共有ループの中では固有ループに入れないんだっけ?



  • こおりendにおけるループの終焉
    • ループしないことを選ぶ
      • こおり√ではミソギ√とは異なり、8ヶ月のループを繰り返すのではなく、ループをしないことを選択します。つまりは1周目で精神的昂揚を常に引き起こし、ループに入らないようにするのですね。なぜそんなことをするかというと、主人公くんがループできないから。幼少の頃、主人公くんは世界を維持するための生け贄にさらされ、ループできなくなりました。大衆が助かるために、個人が犠牲になったのです。この存在のありようは、ミソギとかぶっているのですね。統治者として個を殺し責務を負おうとするミソギの在り方と似通っているわけです。だからこそ、こおりはミソギを許すことができないのですね。ミソギの魂の在り方を認めるということは、主人公くんを孤独にするのと同じことになるからです。そんなわけでこおりが出した結論とは、主人公くんと寄り添うために常に性的興奮を覚えてループしないこと。第二部では性交表現がカットされているのですが、こおりが精神的昂揚を覚えるために性交をねだりまくります。そして、ループしない者もループする者も共存できる社会を志向することになります。そう、それがいつまでも子どものままで居られる社会の建設、つまりはギャングスタ・リパブリカ(子どもの国)というわけだったのです。
    • 思想対立と子どもの国
      • ここでいう「子どもの国」というのは本編第二部のように自分の思想信条をさらけ出し、お互いにぶつかりあうことのできる世界を意味しているのでしょう。同じ共同体内部を構成する成員の大人達は共同体内部で生きなければならないので自分の価値観を貫きとおし、相手の考え方とぶつかり合うことはなるべく避けるでしょう。例えば職場や地域などで、同僚や近所の人と価値観や考え方が違っても、自分の価値観をさらけだして相手と意見をぶつけ合うことなどしないでしょう。それが出来るのは子どもたちだけ。一見口げんかや口論に見えるかもしれないやりとりは魂のぶつかり合いの思想対立。自分がどのように考えていて、どのように感じているかは察しろと言われても無理なもの。自分の正当性を論理だて、相手の矛盾を指摘するなかで、思考がブラッシュアップされて、お互いを高め合うことができるのです。そんな空間を作り出すことこそ「子どもの国」といえるでしょう。

各ヒロインの思想信条について


  • 禊(みそぎ)…統治者としての超越性
    • 救世主を志向するミソギちんは、衆生を救済することを望んでいます。そのぶっ飛んだ願望は地元の共同体の閉鎖性に求められます。ミソギちんの地元は人口200人に満たない田舎の小さな村で、家系は代々神社として信仰心を集めてきたのです。小さな共同体の信仰を管理すると言うことは、統治者として民衆を導くと言うこと。ある時、才能に恵まれたミソギちんは、大衆の前で霊的な神楽を披露します。そのミソギちんの超越性に触れた百姓は、自分も周囲からは超越したと思い込んで、独自農法を展開した結果、農業経営に失敗してしまうのです。このことを気に病んだミソギちんは、自分が大衆の目線を引き上げてしまったせいだと嘆き、氏子の霊的な幸せを願わなければならない統治者として、孤独であろうとしていくのです。上記がミソギちんが「統治者としての超越性」に固執する理由なのですが、その孤高さ故に仲間と「思想対決」を繰り広げることになるのです。自分を犠牲にして、大衆を救おうとするその態度が独善的と指摘されるわけですが、そこで主人公くんの過去との類似性が見受けられるのです。



  • こおり…世界と自分を結びつけることができない
    • こおりは現在生きている共同体を愛している少女です。自分を育んでくれた地元に活かされ地域共同体に支えられることで生きていると感じています。そのため、地元に尽くそうとボランティアに励むことになるのですが、実はこおりは世間に馴染むことができなかったのです。なぜなら世間は自分たちの集団以外の第三者をけなすことで連帯することが多々あるからです。その人と面しては普通に接するのに、裏では陰口をたたき、その陰口で仲間との共同意識を濃くしていくのです。誰もがやっている当たり前のことだけれども、こおりはこのことに慣れませんでした。地元のご近所さんたちが、ボランティアをする主人公くんにお礼を述べる一方で、子どもと一緒になってバカ騒ぎをする主人公くんを蔑視する陰口を叩くことに耐えられなくなっていきます。そのため、自分を形作る共同体から排斥されているように感じアイデンティティ拡散の危機が増していくのです。
    • 世界と繋がれない少女は主人公くんという男と舫いを結ぶことで、現世において自己の魂をとどめさせるのでした。こおりは、自分は地元という共同体によって形作られた存在であると認識しており、他者の評価を気にする反面、主人公くんの仲間たちに劣等感を感じていきます。なぜなら主人公くんの仲間たちのヒロインズは強固な自我を確立しており、世間からの評判など気にせず己の信じた道を突き進んでいたからです。ヒロインズを持てる者、自分は持たざる者として劣等感や羨望、嫉妬、怨恨、怨憎に駆られるこおりちゃん。ですが、そんなヒロインズは逆に言えば孤独であるため、こおりの在り方を許せなかったのですね。こうしてこおりとヒロインズの思想対立が展開されます。



  • ゆとり…支配階級の資質と純粋無垢な永遠
    • この作品では各個人が固有ループを有しているという設定です。そのループからは精神的昂揚を覚えると抜け出せるのですが、ゆとりはこの精神的昂揚を覚えることが極端に少なかったのです。そのためゆとりはループからなかなか脱することができず、一万回もの時を繰り返したこともあったほどなのです。このように永遠に近い時間を経験した少女は何にも染まらない純粋無垢な資質を身につけていきます。自分が支配階級であることを当然として受け止め、他者にかしずかれることを当たり前とする王女として君臨することになります。そのカリスマ性からくる超越者としての態度は、救世主として超越者を志向するミソギや、共同体の束縛により自己を構成するこおり、世界の論理とルールをあやつる希を非常に苛立たせるので思想対立が深まるのですね。ゆとりを相手にすると自己が重要視する価値観が取るに足りないものとして無効化されるように感じてしまうのです。


  • 希…世界の普遍的な論理で世間の因襲を踏みつぶす
    • 希は天才ちびっこ先生。主人公くんの妹ながら教鞭をとる『ぱにぽに』のレベッカ宮本みたいな設定です。希が手にした武器は世間を踏みつぶす世界の武器。秩序だった論理展開により普遍的な価値観を提示し、世間における因襲を瑣事として蹂躙していく姿は無双状態です。オブラートなど捨て去り、思想信条をさらけだして、かかってこい!が前提な希先生大活躍。
    • ギャングスタ・リパブリカの思想対立を読んでいて思ったのが、大学の演習の授業の雰囲気と似ているなぁということ。もはや過去の出来事ですが、院にいたとき、ゼミで教授や研究室に所属している学生を相手取っている時と似ているなぁと。それもそのはず、希自身の口から学究の場は子どもの場であると説明されます。すなわち、一端社会にでれば、自己の思想信条などさらけ出すことはできず、エートスやシステムに面従腹背しながら生きていかなければなりません。しかし、学究の場では自分の論理展開を武器に普遍的な価値観を構築して相手と思想対立するわけです。まさに子どもの国といえるでしょう。
    • そんな学究の場に長く身を置いた希だからこそ、救世主としての因習にとらわれるミソギや共同体の束縛を存在理由の根拠とするこおり、論理展開を無効にするゆとりとは相容れないわけです。そんなわけで希はヒロインズたちと思想対決を繰り広げることになっていきます。