ハロー・レディ!の感想・レビュー

学園異能バトル×復讐譚×世界変革。
一族を滅ぼされた主人公の個人的な復讐が世界を変える革命へと繋がる。
全体的な印象としては、コードギアスを類推させる。
グローバル資本主義による世界の黄昏と落日のはなしは面白かった。
個人を飲み込む「世界の在り方」に対して反逆するという設定は割と熱い。

面白かった所とか


  • 主人公くんの復讐譚
    • 主人公くんは幼少の頃、由緒ある家系に生まれましたが、家臣から謀反を受け一族は全滅してしまいます。運良く生き残った主人公くんは復讐をすることを生きる理由にして命をつなぎ、ひたすら自己研鑽に努めてきたのでした。主人公くんは中央アジアやインドを放浪して武技を磨き、資本蓄積を行いながら経済基盤を確立し、精神干渉できる異能を身につけたのです。これらを引っさげて、徳島県に舞い降り、一族を滅ぼした復讐を成し遂げようとしたのでした。ですが、この世界に正しいものなどはありませんという展開。家臣から謀反をうけたのも、家老の女を頭首が寝取ってしまったがためであり、反乱を起こされる理由などどこにでも転がっていたのです。また当初は個人的な復讐劇だったのですが、強大な権力を保持する対象者に迫るには、世界の権力構造を変えることにつながり、個人の問題が世界の在り方へと繋がっていくことになります。最終的には主人公くんは念願の復讐を果たすのですが、そこは二段構え。なんと死んだと思ってた妹が実は生きていて主人公くんたちに立ちはだかります。自由になりたかったと強大な異能を振るうイモウトに対して、ヒロインズは死力を尽くして大団円。権力者なき後の世界で、メインヒロインの世界を変えたいという願いに、主人公くんは新たな生きる理由を見出して、物語は終わります。



  • グローバル資本主義の黄昏と落日
    • 主人公くんの「個人的な復讐」が「全体的な世界の在り方」に結びついていくのですが、ここでの「世界の在り方」は「グローバル資本主義」として設定されています。一部の経済エリートが世界を支配し、残りは少数のテクノクラートと大多数の大衆労働者という構造にはとても共感できてしまって困りますね!たぶんきちんとした正社員だったら、はいはい妄想乙と一笑するところなのでしょうが、非常勤講師で糊口を凌ぐこの身にとっては、まさに現実の構造に当てはまってしまっているのですよね―。学校法人を運営する経営者の支配、一部の管理職の独裁体制、残りの人材は公立を停年した再雇用老人と非常勤の使い潰される若者という構造。いくら個人的技能を高めて仕事を熱心にやっても全ては無駄なことで使い潰されるだけだと最近になって初めて分かりました・・・。大切なことは賄賂とおべっかとコネなんです。腐敗してやがりますね!!私にはそんなことは無理なので一生うだつのあがらん便利屋の非常勤講師なんでしょうな。そんなわけでグローバル資本主義の黄昏と落日についての「黒船演説」を割と熱中して読んでしまいましたとさ。以下に抜き書きをしておきます。

世界のシステム化による新たな貴族制と絶え間ない紛争による閉ざされた社会。それが半世紀という近未来、高い確率で確実となる人類の落日の姿だ。

国家に代わる次世代支配者の代表は企業帝国だ。グローバルな活動領域と特化したシェアを独占するカタチをとる21世紀型の企業形態。現在世界で支配的な企業のほとんどが既にこの形態を取っている。

それは単に支配者がすげ替わるということではない。システムに組み込まれるということだ。彼らの領土は政治ではない。経済であり、人々の生活のあらゆる側面だ。

現代では、そんな複雑な工程も単純化した労働の組み合わせで実行可能だ。一部の職人の技量に頼る分野も今後50年のテクノロジーの進歩でほとんどが不要になる。

つまり次の世代とは中間層が壊滅し、システムの創造者であり管理者、膨大な富を手にする1%未満のグローバルエリートと99%以上の部品に断絶された世界だ。

今やあらゆるツールが個人の行動と情報を記録するようになった。集約されたデータが、より密度と精度の高い管理と支配を可能にする。

99%の人々が貧しさを強要され、創造性を剥奪される時代が来る。個人の自由意志では総意であるシステムを打ち破れない。シェアの独占で選択肢を奪われ、思考を誘導されるからだ。私はやがて来る落日を必ずしも
『悪』だと言いたいわけではない。現代の社会が先進国による富の簒奪であるとすれば、次の世界は全員が平等に貧しい世界だ。人間が利益を求め続ける生物であり、多くの人々にとって安価な快楽こそが正義である以上、これは正しい結末。当然の成り行きだ。

落日の時代は、現在と言う黄昏の延長だ。より徹底してより完全に管理されただけの閉じた卵の中。人類はかつて夢を見て割った卵の中に、自ら進んで帰って行こうとしているのかもしれない。

そこにあるのは閉塞であり、停滞だ。そんな未来に満足できるのか?閉じていく可能性を許せるのか?人類はもっと輝ける明日を探せるはずだ。



  • 「世界の無意味さ」に対する個人の反逆
    • 世界に意味などありません。人間が生きていることに何ら意味など無いのです。ただ地球に生まれた生命体が本能の赴くままに子孫を残し続けるだけです。しかし、そこに意味を見出そうとするのが人間という生き物なのですね。無価値な犬死に耐えられないからこそ、国家や民族や家族などに生きる理由を託して自己を肯定しなければならないのです。この物語の主人公くんは復讐に身をやつして生きる存在です。しかしながら主人公くん自体が己の行動の無意味さを十分に自覚していることが、面白さを引き立てているのだと思います。主人公くんが許せないのは一族を滅ぼされたことではないのだと。何の意味もなく進んでいく世界の無意味さだったのだ。このように述べていくシーンは結構好ましく感じてしまいます。以下に抜き書きをしておきます。

全ては在り来たりのことだ。世界を巡れば悲劇はどこにでも数限りなくあった。自分の悲しみなど取るに足りない一個にすぎない。命の本質はあまりに軽く、何の意味もなく、容易く人は死ぬ。成し得たことも灰となって消える。自分たちの拠って立つ平穏が神の振る采配の目一つに崩れ去る。―――薄氷にも劣る脆い儚さの上にあるのだと、誰もが知りながら目を逸らし、見えないフリをする。そんな過酷な真実に人の正常さは堪えられない。成田真理が本当の意味で許せなかったのはそんな恥知らずな『世界の在り方』だったのだろう。我々は残酷な舞台の上で這い回る影にすぎない。愚かさで役を与えられ、踊るだけの道化だ。手の中にあるのはこの小さな意志だけ。成田真理にとっての復讐とは、死者たちへの鎮魂の祈りであると同時に無慈悲な偶然へのささやかな反逆だ。与えられた役を演じるしかなくとも壇上で叫ぶのだと。そのために多くの悲劇さえ生んで。