水本邦彦『村 百姓たちの近世』(岩波新書 2015年)の個人的雑感メモ

  • この本のテーマ
    • 社会が村と百姓たちで満ちあふれていた近世とはどんな時代ったか。農業を中心的な生業とした私たちの多くの先祖(百姓たち)の暮らしぶりはどうだったか。村が近景であり日常生活の現場であった近世という時代。この時代の村と百姓の姿を観察すること。
  • 中世と近世の領主の違い
    • 中世領主の基本をなす地頭や荘官などの在地領主は、地元の農業生産現場近くに家来を従えて居を構え、フェース・ツー・フェースの関係において領地・領民に君臨していた。これと比較した時、そのほとんどが地元から遠く離れた城下町に暮らし、石高を介して領民を把握するという近世領主の在り方は至って対照的である。中世領主の基本形がナマの人と土地を所有する領主だったのに対し、近世の領主は、人と土地を石高に換算して所有するいわば数字所有の領主だった。
  • 近世村の起源
    • 「ムラ・ノラ・ヤマ」を村域とし、そのまとまりを「村高」として数量化された近世村は、信長に始まる新しい領主権力(公儀領主)の社会改造政策によって生み出されたものだった。その前史には、近世村の母体となるムラ(サト)を拠点とした村衆の活発な生産活動や生産条件の取り合いをめぐるムラ同士の紛争があり、また、そうした村衆の活動を背景にした地侍たちのタテ・ヨコに連なる各種の領主化運動や相互の抗争があった。公儀領主は、こうした社会変動の過程で生まれた権力であり、地元の個別利害からの離脱や、武士と百姓という身分的な峻別などの厳しい自己変革を行いながら、新しい社会の仕組みを作ったのである。
  • 草山景観に象徴される近世農村の在り方
    • 伝統的な草肥農業を継承し発展させた近世農業においては、肥料源として大量の草や柴を必要とした。そのため人々は、山焼きや樹木伐採などを通じて山野に対して草・柴状態を強制していたのである。「自然にやさしい循環型社会」の象徴とも見られる近世の里山は、じつは人間の生業と自然の遷移との厳しいせめぎ合いの場であり、その景観は人間仕様に改造した状態だった。
  • 近世農業の変容
    • 系外から入力された日光および雨水をエネルギー源とするこのシステムは、牛馬を駆使した百姓たちの能動的な働きにより、急速に出力を増大させ、また新田開発により同型モデルを全国各地に量産していった。だが、このシステムは発展するにつれて自然との関係において行き詰まりを見せるようになり、新たに金肥という資源を系外から導入する形へと変容していかざるをえなかった。その結果、このシステムは、村を単位にした閉じられた形から、都市の肥料問屋を介して全国の流通世界とつながるオープンなシステムへと転換する。