歴史資料をよみとき,複数の歴史事象を関連付けながら,多面的・多角的に考察して仮説を設定し,論拠に基づいてその適否を判断する問題。
まずグラフの判別。ここでのポイントは18世紀まで中国が世界最強だったこと。そしてヨーロッパは産業革命を契機に中国を追い抜いたということ。これを念頭におけばAが中国、Bが西欧、Cが日本だと分かる。
大問? 異なる地域の長期変動に関する歴史資料をよみといたうえで,関連する出来事を多面的・多角的に考察することを要求する問題例
問1.選択肢?〜?を分析すると以下の通り。
- ?16世紀にはこの地域の人々がアメリカ大陸を含む世界各地に進出し,世界の貿易・商業を活発化させた。
- 16世紀にアメリカ大陸を含む世界各地に進出したのは西欧。よってA地域(中国)ではなく、B地域のことである。よって不適切。
- ?17世紀には大規模な農民反乱や,東北から侵攻した異民族王朝への抵抗戦争などによって,人口が減少したと考えられる。
- 正しい。農民反乱は李自成の乱(1631)や東北から侵攻した異民族王朝(=後金)を思い出そう。
- ?17世紀には,宗教対立や王位継承紛争もからんで各地で不況や戦乱・社会的迫害が生じた。その背景には地球の寒冷化もあった。
- ?18世紀には急激な人口増に農業集約化や商工業の発展が追いつかず,辺境部の開発や海外への移民が活発化した。
- ?18世紀には租税が銀納化される一方,人頭税が廃止され,経済成長にもつながった。
- リード文そのものが間違っている。地丁銀のことを指しており一見正しそうに見えるが因果関係が逆。地丁銀により経済成長につながったのではない。経済発展により人口が増加したため、人頭税を徴収するのがが煩雑となり、地丁銀が実施された、これによって登録人口が爆発的に伸びたのも受験世界史でお約束の知識である。
- ?18世紀には輸出が低迷するが,その一方で国内の商業・手工業が発展し輸入品の国産化にも成功したので,全体として外国貿易に依存しない経済の仕組みが成立した。
- ?18世紀には農業技術が向上して大規模な農業生産・経営が可能になったため,競争に敗れ土地を失った農民は都市に流入して,工場労働者となった。
問2 まず問1の選択肢の検証。A地域を指している?と?は除外。そしてリード文そのものが間違っている?と?も除外できる。そのためA地域以外について正しく説明したものとして、?、?、?、?の4パターンが正答となる。
- ?は大航海時代だから、aのメキシコ銀とケの東インド貿易。
- ?は17世紀の危機だから、dの三十年戦争とオの魔女狩り。魔女狩りというと中世をイメージしがちだが膨大な犠牲者をだすようになったのは16・17世紀の近世になってから。宗教改革をきっかけにキリスト教の内面化・個人かが進み、国家や教会は民衆の土俗的な文化への規制を強めた。
- ?は日本の鎖国体制下の江戸社会経済史。国産化に成功した綿と絹を念頭に入れて選択肢を見るとi.の生糸が絹織物の原料。桑畑と蚕の養蚕業の発達。語群Yはもろにア.鎖国体制とある。
- ?は産業革命。人口移動の原因となった農業革命を想起できればc.の第二次囲い込みを選べる。あと語群Yにはもろに産業革命とある。
大問? 歴史的事象に関する仮説を立てて話し合う場面において,その仮説を裏付ける論拠を問う問題例
問3 仮説の論拠となるか否かの分析。ここでは18世紀におけるロシア帝国の拡大と関係ないものを選べばよい。
ネルチンスク条約は17世紀の出来事なので18世紀のロシア帝国拡大の論拠とはならない。
問4 「18世紀におけるロシアの経済成長の要因として工業化を挙げる主張」の正否を判断する場合、データの根拠づけとして役に立たないものを選ぶ。
- ?.18世紀ロシアの地域別農奴数の変動
- ?.18世紀ロシアの年次別戦死者数の変動
- 戦死者数の増減を比較して経済成長や工業化は証明しづらい。戦死者数が増加している年に戦争が起こっており、その戦局がどのくらい激しいのかくらいは読み取れると思うが。