雑録

2017年1月14日実施 大学入試センター試験国語はこんな感じ

本文や設問をネタにしながら、どんな感じのものだったかを紹介するものです。きちんとした解説が読みたい人は予備校のサイトを見てください。

  • 2017年センター国語の全体の概要
    • 2017年のセンター国語は以下のような感じ。評論は「科学社会学の新規性と限界」に関する文章、小説は「秋という季節における女性の感受性」を描いた話、古典が「側近の屋敷を訪れたら隣家で若い尼を垣間見たので歌を送ったんだが」という展開、漢文が「これから江戸に関する文章を書くんだけどなぜ書くのかその意図を説明するぜ」という内容です。
  • 入試国語は「出題者の意図」を読み取る(毎回言ってますが国語の注意点のおさらい) 
    • 2017年1月13日(金)朝日新聞天声人語で「自分の作品を出題された遠藤周作が設問を解いたけれども答えられなかったよ問題」を引き合いに出しているが、あくまでも国語の試験問題というものは、「文章を書いた人ではなく、【出題者】がどのようにその文章を【解釈】しているか」を読み取るのであることを受験生は忘れてはいけない。

評論 小林傳司「科学コミュニケーション」

  • 要旨
    • 科学社会学を引用しながら従来の科学を批判しつつも、その科学社会学も大衆が無知であることを所与のものとしている点で従来の科学と同様に限界があることを指摘した文章。
  • 科学社会学の新規性〜従来の科学批判〜
    • 現在「科学が問題ではないか」という問題意識が生まれてきている、しかし従来の科学者は「もっと科学を」という発想に馴染んでいる。ゆえに従来の科学者たちは、上記の問題意識が発生してしまう要因を、大衆が科学に対して無知だからと捉えてしまう。
    • 科学社会学は従来の科学者が持つ「もっと科学を」という発想を批判する。科学は全面的に善なる存在ではないし、無謬の知識でもないという。現実の科学は新知識の探求を通じて人類に寄与する一方で制御困難な問題も引き起こす存在であると主張した。
  • 科学者社会学の限界〜大衆が無知であることを所与とする〜
    • 科学社会学は大衆啓蒙において「科学の内容ではなく、専門家と政治家やメディア、そして一般市民との関係について伝えるべき」と言う。しかし、この点において、科学社会学は大衆を科学の「ほんとうの」姿を知らない存在として見なしてしまっている。この大衆に対する態度は科学社会学も従来の科学と同様である。科学社会学は、科学を正当に語る資格があるのは科学社会学としてしまう点に限界がある。

小説 野上弥生子「秋の一日」

  • 概要
    • 20世紀初めの日本における人妻で幼児を持つブルジョワ階層の女性の感受性を「秋の日のぶらぶら遊び」を通して読み取る問題。
  • 話の流れ
    • 病床にあった時夫に買ってもらった籠を眺めて秋のピクニックに行きたいと思っていたものの、健康になったらなったで特別に出かけようという気にもならず伸ばし伸ばしになっていた。ある時全く偶然に夕焼け空を見て明日の秋日和を想像すると、上記の籠をもってぶらぶら遊びながら展覧会に出かける気になった。で、翌日に食料の支度をして女中と子どもを連れてピクニックへ。上野公園や本郷区の運動会、文部省美術展覧会などのイベントが発生。それぞれの出来事ごとに女性がいろいろと思いを巡らせる。受験生たちは、出題者がこの女性の心情をどのようにとらえたのかを読み取る。女性が感受性により流す涙の解釈、美術品を見て女学校時代を想起する韜晦、幼児を持つ女性の心持などがポイントになっている。

古典 『木草物語』

  • 大まかな内容
    • 主人公の菊君が側近の蔵人の屋敷を訪れると隣には尼が二人住んでいた。老いた尼と若い尼の二人。菊君は若い尼を垣間見ると恋情慕情を抱く(はかなきことに御心とまる癖なれば、いとあはれと見捨てがたう思す)。菊君は童から色々と事情を聞くと、こころみに和歌を詠んで使わす。しかし返歌は老いた尼からのものであり、「ここは尼の住む粗末な家であり、あなたの恋の相手となる女性はいない」と切り返されてしまうのだった。菊君は恋しい人の近くにいながら、逢えないつらさをひとりごちるのであった。
  • 当時の文学作品における魅力的とされるキャラクター表現について
    • 女性を垣間見て好感を抱いたら和歌を送って関係を持ちたい当時の風潮がテーマとなっているわけだが、ここで出題作品の若い尼がどのような描写で表現されているかをメモしておきたいと思う。

…奥の方よりほのかにゐざり出づる人あり。年のほど、二十とばかりと見えて、いと白うささやかなるが、髪のすそ、居丈ばかりにこちたく広ごりたるは、これも尼にやあらむ、たそかれ時のそらめに、よくも見わき給わず。片手に経持てるが、何ごとやらむ、この老尼にささやきてうち笑みたるも、かかる葎の中にはにげなきまで、あたにらうたげなり。

漢文 新井白石『江関遺聞』(『白石先生遺文』による)

  • 概要
    • 漢文は様式美のパターンであり、最初に例え話や故事成語などの具体例から入って、その具体例が抽象化されて一般化された視点が語られ、最後にオチがあるという展開となっている。今年は江戸期の新井白石の文章が出題されているが、文章構造はほぼパターンどおりであり、最後のオチは『江関遺聞』をどうして書くに至ったかとなる。センター漢文のラストの問題は思想史知ってれば解ける道徳・思想問題というのは毎度おなじみであり、2017年は江戸時代の社会背景と江戸儒学思想を知ってればフツーに「1」を選べてしまう。
  • 物的な距離感から時間的な距離感へと繋げる構成
    • 本文ではまず物的な距離感についての例え話が挿入され、遠い距離で見聞きすると本来は大きなものも小さく感じられることが説かれる。続いて「刻舟求剣」の故事により物的な距離感から時間的な距離感へと繋がっていく。そして段落チェンジで江戸の話となり、昔の江戸と今の江戸は異なり、未来の江戸も現在の江戸とは異なると語られる。故に、後世の人々が時間的な距離感を越えて事実をよりよく理解できるように「江関遺聞」が書かれたと執筆の理由が述べられてオチとなる。