2017年センター試験世界史解説

例年、私の受け持ちクラスでは受講生自身にセンター試験の解説作りを行わせています。自ら解説を作ることで知識が定着し、周辺事項を関連付けて覚えられるというメリットがあります。もちろん教員も作りますよ、ということで作りました。(※今回はあんまりネタに走っていません)

あと出題者の方々はリード文を一生懸命作っているのでしょうが、相変わらず出題内容とリード文がほとんど関係ないのでほぼ下線だけ見て解くことになります。もっとリード文読まないと解けない問題を作った方がいいのではないかと常々思ってしまいます・・・。


※見返したら誤字が酷い。誤字注意。

第1問 世界史上のマイノリティについて

  • 【1】世界史上のキリスト教の異端について(正文判定)
    • 1(誤文):ネストリウス派が中国に伝わったのは唐代中国(太宗の貞観年間)。大秦景教流行中国碑は資料集で見たことがあるでしょう。
    • 2(誤文)フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議。トリエント公会議宗教改革が行われていたカール5世の時で教皇の至上権が再確認された。公会議シリーズの識別は頻出。ニケーア、エフェソス、カルケドン、クレルモン、コンスタンツ、トリエントはきちんと識別できるようにしておこう。
    • 3(誤文):三位一体説を唱えたのはアタナシウス派アリウス派はイエス人間性を強調したので異端とされた。
    • 4(正文)【正答】:カペー朝のフィリップ2世は1209年からカタリ派(アルビジョワ派)に十字軍を行い、ルイ9世は1229年に撲滅している。
  • 【7】ロシアおよびソ連の対外関係(正文選択)
    • 1(誤文)ロシアがアイグン条約を結んだのは明ではなく清。アロー戦争に乗じて締結し、黒竜江左岸のロシア領、ウスリー川以東は共同管理となった。
    • 2(誤文)ロシアがアラスカを売却したのはカナダではなくアメリカ。1867年に財政難に苦しむアレクサンドル2世がわずか720万ドルで売却したが、直後に金鉱が発見されたのは有名な話。
    • 3(正文)【正答】:ラトヴィアはロシア革命におけるレーニンの「平和に関する布告」で民族自決の原則が打ち出されたため1918年に独立を宣言した。しかし1939年の独ソ不可侵条約バルト三国ソ連に併合されることになっており1940年にソ連に併合された。
    • 4(誤文)アフガニスタン撤退はフルシチョフ政権ではなくゴルバチョフ政権。1988年に決定され89年に完了した。そもそもソ連アフガニスタン侵攻は1979年のブレジネフ政権なので1953年に第1書記となり63年に失脚したフルシチョフには不可能。
  • 【8】1890〜1940年の銑鉄生産量(グラフ読解・正誤組合せ)
    • a(誤文)ドイツの銑鉄生産量が初めてイギリスを上回った時期を読み取る問題だが、実質的には第一次世界大戦が勃発した年を知っているか知らないかであろう。1914年以前に上回っているので誤文
    • b(正文)第二次五か年計画の時期を知っているかどうか。第二次五か年計画は1933〜37年の間であり急激に伸びている。しかし「大幅に伸びている」という言葉ってのはどうとでもとれてグラフでは1920〜35年過ぎまで結構な傾きで伸びているので「大幅な」という言葉をどう解釈するかだよなぁと思わなくもない。

第2問 世界史上の革命や政治体制の変化について

  • 【11】世界史上の議会や集会について(正文選択)
    • 1(誤文)メッテルニヒが失脚したのはフランクフルト委国民会議ではなくウィーン3月革命。フランクフルト国民会議では小ドイツ主義によるドイツ統一となったがプロイセン皇帝に拒否された。
    • 2(正文)【正答】重装歩兵民主政。アテネ民主政は国防を担う者に参政権が与えられた。そのため、「成年男性」「市民」であり、女性や在留外人には参政権が与えられず奴隷制度も存続した。
    • 3(誤文)模範議会はフランスではなくイギリス。エドワード1世が貴族・聖職者、州代表騎士、都市代表の市民を招集して議会を開催したが、これが身分制議会の「模範」とされたため模範議会と呼ばれる。フランスの議会は三部会である。
    • 4(誤文)ドゥーマハンガリーではなくロシア。第一次ロシア革命に際して、ニコライ2世は十月勅令を発し、国会の開設を約束した。この国会のことをロシア語でドゥーマという。
  • 【12】世界史上の共和政や共和国(正誤組合せ)
  • 【15】ロシア革命(誤文選択)
    • 1(正文)レーニンロシア革命の基本施策として「土地に関する布告」で地主的土地私有を無賠償で即時廃止した。これにより都市労働者主体の革命に農民の支持を取りつけようとした。
    • 2(誤文)【正答】キール軍港での水兵反乱が革命のきっかけとなったのはロシアではなくドイツである。ちなみにロシアの水兵反乱で有名なのは戦艦ポチョムキンの反乱とクロンシュタット反乱である。前者の戦艦ポチョムキンの反乱は第一次ロシア革命中における黒海艦隊での反乱であり、これにより日露戦争を継続することができなくなった。後者のクロンシュタット反乱は戦時共産主義に反発する水平反乱であり、これによりネップに転換した。
    • 3(正文)露暦2月革命後には臨時政府が成立しソヴィエトと二重権力状態となったので、封印列車でスイスから帰ったレーニンが「全ての権力をソヴィエトへ」を訴えるため「四月テーゼ」を掲げた。
    • 4(正文)ケレンスキーは臨時政府に法相として加わっており、諸党派の寄せ集めで統一が取れず自壊した後、首相に就任した。ソヴィエトの多数派であったエスエルとメンシェヴィキに支持されたので二重権力は解消されたのだが、戦争継続を選んだために労働者大衆の不満が高まった。7月暴動でボリシェヴィキを弾圧したが、帝政復活を目指すコルニーロフ将軍の反乱を鎮圧できず、ボリシェヴィキが反乱軍を鎮圧したので勢いを盛り返され、露暦10月革命で逃亡した。
  • 【16】メキシコ革命(空欄補充)
    • メキシコ革命はディアス独裁政権の打倒を目指したが複雑な展開をする。1911年〜13年のマデロ政権はディアスを打倒するも土地改革に否定的でサパタらの農民勢力と対立し、政情が不安定化した。1913年にはウェルタがクーデタを起こして政権につくも翌年に打倒され、国内では内戦が続いた。農民運動指導者としてサパタやパンチョ=ビリャも活躍する。1914年、メキシコ革命勝利者となったのはカランサ政権(1914〜20)であり、アメリカの介入もあり1917年に民主的なメキシコ憲法を制定した。しかしカランサは忠実に実行せず民衆の指示を失って暗殺される。
    • フランコはスペイン内戦の人物。人民戦線内閣に対してモロッコで挙兵し、内戦に勝利している。第二次世界大戦は巧みに外交政策を展開して戦後は終身大統領として全体主義を続け75年まで独裁を続けた。
    • ペロンは戦後のアルゼンチンでポピュリズムを展開したことで有名。
  • 【17】国民政府が統一した後の中国政府(正文選択)
    • 1(誤文)カイロ会談に参加したのは米英中。ソ連は日ソ中立宣言があったので対日処理方針を決めたカイロ会談には不参加であった。
    • 2(正文)【正答】日本は重慶政府を落とせなかったので反蔣介石派工作を行い、中国国民党副総裁の汪兆銘を離脱させた。汪兆銘孫文の後継者とされていたが上海クーデタ後に蔣介石に主導権を奪われていた。日本軍の工作を受けた汪兆銘な南京国民政府を樹立したが、傀儡政権であった。
    • 3(誤文)重慶は南京陥落後に中国国民党が移った。中華ソヴィエト共和国臨時政府が成立したのは瑞金である。
    • 4(誤文)八・一宣言を出したのは中国国民党ではなく中国共産党コミンテルンの反ファシズム統一戦線を受けて発せられた。中国国民党の蔣介石は安内攘外で共産党打倒を優先したが、張学良に西安事件を起こされ第二次国共合作に転換した。

第3問 国家が諸地域を統合するために採用した制度

  • 【19】土地の管理や租税徴収(正文選択)
    • 1(誤文)コロナートゥスが広まったのは共和政ローマではなく帝政ローマ共和政ローマでの土地形態はラティフンディアであった。コロナートゥスは小作人に土地を貸し付け地代をとる土地経営方式。ラティフンディアは奴隷を労働力とする大土地所有制。
    • 2(正文)従来イスラーム世界ではアター制をとっており、租税収入は現金化され予算に基づいて俸給として支払われていた。しかしそれは非常に手間でありアッバース朝が衰退すると俸給支払いは遅れるようになった。そのためブワイフ朝では現金俸給ではなく土地の徴税権を与えることとなり以後イスラーム各王朝に継承されるようになった。
    • 3(誤文)均田制は元ではなく北魏魏晋南北朝時代は豪族の大土地所有制にどのように対処するかが問題とされており、魏の屯田制、西晋の占田・課田法、北魏の均田制などが出されることになる。元の土地制度は宋代以降元・明・清と続く佃戸制。
    • 4(誤文)ティマール制はセルジューク朝ではなくオスマン帝国トルコ人騎兵に与えられる徴税権。セルジューク朝ブワイフ朝イクター制を継承した。
  • 【20】思想・言論・宗教に対する国家の介入(正文選択)
  • 【22】華北と華南の結合(空欄補充&地図)
    • 外れ選択肢選択肢ザル過ぎシリーズ。なんで華北と華南の結合なのに外れ選択肢が黄河の治水なんや!隋代に行われたのは大運河の建設。文帝時代には広通渠・山陽瀆、煬帝時代には通済渠・永済渠・江南河が整備された。学生時代は冒頭の文字を取って「降参強えぇコウ」と語呂合わせして覚えていた。
  • 【24】唐代中後期(正文判定)
    • 1(誤文)五胡が勢力を伸ばしたのは唐代以前の魏晋南北朝時代
    • 2(正文)【正答】唐代初期は均田制・府兵制・租庸調制であったが、均田制が崩れ募兵制・両税法となった。
    • 3(誤文)康煕帝ジュンガルと戦ったのは清朝。1758年に乾隆帝が滅亡させた。
    • 4(誤文)ロシアが沿海州を獲得したのは北京条約。アロー戦争の仲介の見返りに締結した。ロシアは沿海州ウラジオストクを建設。
  • 【25】世界史上の貨幣や貨幣制度
    • 1(誤文)五銖銭が発行されたのは東周ではなく漢の武帝。外征の出費で困窮した財政を立て直すための諸政策を行うには安定した通貨制度が必要であったため五銖銭を制定した。
    • 2(誤文)交鈔は北魏ではなく金・元で発行された紙幣。交鈔の乱発が元の衰退の一因。
    • 3(誤文)レンテンマルクを発行したのはストルイピンではなくシュトレーゼマン。第一次世界大戦後のドイツにおけるハイパーインフレを収束させるためにレンテンマルクを発行した。ストルイピンは第一次ロシア革命後の反動政治で有名。自作農創出のためにミールを解体したがあまりうまくいかなかった。
    • 4(正文)【正答】世界恐慌が起こるとヴェルサイユ賠償環が止まりイギリスでは債務が急増し国際収支が悪化した。こうして金融不安が高まるとポンド安となり金流出の可能性が高まった。こうしてイギリスのマクドナルド挙国一致内閣もついに金本位制を放棄した。
  • 【27】国家の統治制度や軍事制度(正誤組合せ)
    • a(誤文)プロノイア制が敷かれたのモスクワ大公国ではなくビザンツ帝国セルジューク朝の侵攻に悩んだアレクシオス帝が軍事奉仕と引き換えに土地の管理と徴税権を与えるプロノイア制に切り替え軍事力を強化しようとした。
    • b(正文)秦が郡県制を敷こうとして反発を受けたので、前漢高祖劉邦は秦の郡県制と周以来の封建制を併用した。

第4問 世界史における自然環境・資源と人間との関わり

  • 【31】自然哲学・薬学(正誤組合せ)
    • a(正文)ギリシア自然哲学シリーズ。ギリシアでは当初神話的世界観によりセカイの在り方を説明していたが、ロゴスによりセカイを合理的に説明するようになり自然哲学が発生した。彼らは万物の根源を求め、タレスは万物の根源を水とした。この根源シリーズは倫理では頻出でピタゴラスの数、ヘラクレイトスの火、デモクリトスの原子などが有名である。
    • b(誤文)宋応星の著作は『本草綱目』ではなく産業技術書『天工開物』である。『本草綱目』は李時珍の薬学百科全書である。
  • 【32】2世紀に成立したインド文化の影響を受けた東南アジア国家(国名・地図)
    • マタラム王国は16〜18世紀のジャワ東部のイスラーム教国であり2世紀ではない。ベトナム中部〜南部では2世紀にチャム人が活動するようになり、2世紀後半には日南郡から独立して林邑となった。
  • 【33】世界史上の船(正文選択)
    • 1(誤文)無制限潜水艦作戦を実行したのは帝政ドイツ。ユトランド沖海戦で善戦したが海上封鎖を打開できなかったので無制限潜水艦作戦を再開した。イギリスに大きな打撃を与えたが、再開以前にルシタニア号事件でアメリカ人を犠牲にしていたこともあり、アメリカの参戦を誘発してしまった。
    • 2(正文)【正答】サラミスの海戦テミストクレス率いるアテネが三段櫂船を用いた。「戦争と社会契約」の典型例として受験世界史では有名であり漕ぎ手となった無産市民の発言権が大きくなったことが強調される。
    • 3(誤文)蒸気船を実用化したのはフルトン。ハーグリーヴズはジェニー紡績機。産業革命織機&紡績機シリーズは「ジョンは握力ホイ」の語呂合わせが有名→ジョン(ジョン=ケイ)、ハーグリーヴズ、アークライト、クロンプトン、カートライト、ホイットニー。
    • 4(誤文)亀甲船を用いたのは李氏朝鮮李舜臣が秀吉の海軍と戦う際に考案した戦船である。琉球の船は進貢船。特徴は船首部の獅子の絵と舷側の目玉。
  • 【34】河川や水路の整備・開発(時系列整序)