例年、私の受け持ちクラスでは受講生自身にセンター試験の解説作りを行わせています。自ら解説を作ることで知識が定着し、周辺事項を関連付けて覚えられるというメリットがあります。もちろん教員も作りますよ、ということで作りました。(※今回はあんまりネタに走っていません)
あと出題者の方々はリード文を一生懸命作っているのでしょうが、相変わらず出題内容とリード文がほとんど関係ないのでほぼ下線だけ見て解くことになります。もっとリード文読まないと解けない問題を作った方がいいのではないかと常々思ってしまいます・・・。
※見返したら誤字が酷い。誤字注意。
第1問 世界史上のマイノリティについて
- 【1】世界史上のキリスト教の異端について(正文判定)
- 1(誤文):ネストリウス派が中国に伝わったのは唐代中国(太宗の貞観年間)。大秦景教流行中国碑は資料集で見たことがあるでしょう。
- 2(誤文)フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議。トリエント公会議は宗教改革が行われていたカール5世の時で教皇の至上権が再確認された。公会議シリーズの識別は頻出。ニケーア、エフェソス、カルケドン、クレルモン、コンスタンツ、トリエントはきちんと識別できるようにしておこう。
- 3(誤文):三位一体説を唱えたのはアタナシウス派。アリウス派はイエスの人間性を強調したので異端とされた。
- 4(正文)【正答】:カペー朝のフィリップ2世は1209年からカタリ派(アルビジョワ派)に十字軍を行い、ルイ9世は1229年に撲滅している。
- 【2】アフリカ史(正文判定)
- 【3】地中海海域のキリスト教諸国(正文判定)
- 1(誤文)アラゴン王国とカスティリャ王国が統合されてできたのはスペイン王国。ポルトガルは1143年にカスティリャ王国から分離独立した。
- 2(誤文)ラテン帝国が建国されたのは第4回十字軍の時。聖地奪回は放棄し、東西貿易の要であるコンスタンティノープルを占領した。第7回十字軍は仏王ルイ9世がチュニジアを攻撃した最後の十字軍。
- 3(誤文)シチリア王国を建設したのはアヴァール人ではなくノルマン人。1130年にルッジェーロ2世が両シチリア王国を建てた。アヴァール人はモンゴル系騎馬民族でありフランク王国のカール大帝に撃退された。
- 4(正文)【正答】ビザンツ帝国のレオン3世は726年に聖像禁止令を出した。これにより聖像崇拝論争がおこりローマ=カロリック教会はビザンツ帝国に代わる世俗権力を求めてフランク王国と接近していくことになる。
- 【4】全インド=ムスリム連盟が結成された時期(年表挿入)
- 【5】ムスリムの君主や王朝(正文判定)
- 1(誤文)アイバクが創始したのはカージャール朝ではなく奴隷王朝。カージャール朝はアーガー=ムハンマドが創始。
- 2(正文)【正答】アイユーブ朝の始祖サラディンはイェルサレム王国のキリスト教軍を破って聖地奪回した。ちなみにこれにより第3回十字軍が引き起こされることになる。
- 3(誤文)ムワッヒド朝が進出したのはアナトリアではなくイベリア半島。ムワッヒド朝は上記【2】でも出てきたベルベル人の国家。アナトリアに進出したのはセルジューク朝である。1071年のマンジケルトの戦いの語呂合わせは受験世界史業界でも印象深い(いれない〔1071〕マン〔マンジケルトの戦い〕コ、アナ〔アナトリア〕ルにいれて)
- 4(誤文)アチェ王国はセイロンではなく、15世紀末にスマトラ島に建国されたイスラーム国家。1873〜1904年のアチェ戦争でオランダに敗れて植民地化された。スマトラ島の王国はシンハラ王国であり小乗仏教を信仰した。現在でも移住したヒンドゥー系タミル人と宗教的対立が問題となっている。
- 【6】海上交易(正誤組合せ)
- 【7】ロシアおよびソ連の対外関係(正文選択)
- 1(誤文)ロシアがアイグン条約を結んだのは明ではなく清。アロー戦争に乗じて締結し、黒竜江左岸のロシア領、ウスリー川以東は共同管理となった。
- 2(誤文)ロシアがアラスカを売却したのはカナダではなくアメリカ。1867年に財政難に苦しむアレクサンドル2世がわずか720万ドルで売却したが、直後に金鉱が発見されたのは有名な話。
- 3(正文)【正答】:ラトヴィアはロシア革命におけるレーニンの「平和に関する布告」で民族自決の原則が打ち出されたため1918年に独立を宣言した。しかし1939年の独ソ不可侵条約でバルト三国はソ連に併合されることになっており1940年にソ連に併合された。
- 4(誤文)アフガニスタン撤退はフルシチョフ政権ではなくゴルバチョフ政権。1988年に決定され89年に完了した。そもそもソ連のアフガニスタン侵攻は1979年のブレジネフ政権なので1953年に第1書記となり63年に失脚したフルシチョフには不可能。
- 【8】1890〜1940年の銑鉄生産量(グラフ読解・正誤組合せ)
- a(誤文)ドイツの銑鉄生産量が初めてイギリスを上回った時期を読み取る問題だが、実質的には第一次世界大戦が勃発した年を知っているか知らないかであろう。1914年以前に上回っているので誤文
- b(正文)第二次五か年計画の時期を知っているかどうか。第二次五か年計画は1933〜37年の間であり急激に伸びている。しかし「大幅に伸びている」という言葉ってのはどうとでもとれてグラフでは1920〜35年過ぎまで結構な傾きで伸びているので「大幅な」という言葉をどう解釈するかだよなぁと思わなくもない。
第2問 世界史上の革命や政治体制の変化について
- 【10】世界史上の憲法(誤文選択)
- 1(正文)日本国憲法の三本の柱は、国民主権・戦争放棄・基本的人権の尊重なので、主権在民をうたっていることは正しい。
- 2(正文)アメリカ合衆国憲法の3つの要点は人民主権・連邦主義・三権分立。よって三権分立の原則は正しい。アメリカ大統領は議会に出席できないし法案提出権もない。
- 3(正文)ヴァイマル憲法は男女平等普通選挙による議会政治、国民の直接選挙による大統領制、社会権の保障など民主的な憲法だった。しかし大統領の任期が長く権限も強かったのでヒンデンブルク大統領ががヒトラーを首相に任命することになる。
- 4(誤文)【正答】ミドハト憲法はインドではなくオスマン帝国。ミドハト=パシャが制定したアジアで最初の憲法。しかし露土戦争勃発を口実にアブデュル=ハミト2世により停止された。青年トルコ革命で復活。
- 【11】世界史上の議会や集会について(正文選択)
- 1(誤文)メッテルニヒが失脚したのはフランクフルト委国民会議ではなくウィーン3月革命。フランクフルト国民会議では小ドイツ主義によるドイツ統一となったがプロイセン皇帝に拒否された。
- 2(正文)【正答】重装歩兵民主政。アテネ民主政は国防を担う者に参政権が与えられた。そのため、「成年男性」「市民」であり、女性や在留外人には参政権が与えられず奴隷制度も存続した。
- 3(誤文)模範議会はフランスではなくイギリス。エドワード1世が貴族・聖職者、州代表騎士、都市代表の市民を招集して議会を開催したが、これが身分制議会の「模範」とされたため模範議会と呼ばれる。フランスの議会は三部会である。
- 4(誤文)ドゥーマはハンガリーではなくロシア。第一次ロシア革命に際して、ニコライ2世は十月勅令を発し、国会の開設を約束した。この国会のことをロシア語でドゥーマという。
- 【12】世界史上の共和政や共和国(正誤組合せ)
- 【13】古代ローマの政治体制(正文判定)
- 1(正文)【正答】エトルリア人は前6世紀末にローマを征服して王政を行い、一時期イタリア全土も支配した。しかし前509年にエトルリア人の王は追放されることになる。
- 2(誤文)共和政ローマで平民は身分闘争により貴族との関係が対等になったのであり、要職を独占したのではない。
- 3(誤文)帝政が始まったのは元首政期のアウグストゥス(オクタヴィアヌス)からである。コンスタンティヌス帝はディオクレティアヌス帝が創始した専制君主政を確立した。
- 4(誤文)帝国が東西に分裂したのはテオドシウス帝死後。ユスティニアヌス帝は6世紀のビザンツ皇帝であり、ビザンツ帝国の地中海支配を一時期復活させた。ユスティニアヌスは元ダンサーの妻テオドラでも有名。
- 【14】中世ヨーロッパにおいて東方貿易に従事し、香辛料の取引で栄えた都市とその位置を示す場所(地図)
- 【15】ロシア革命(誤文選択)
- 1(正文)レーニンはロシア革命の基本施策として「土地に関する布告」で地主的土地私有を無賠償で即時廃止した。これにより都市労働者主体の革命に農民の支持を取りつけようとした。
- 2(誤文)【正答】キール軍港での水兵反乱が革命のきっかけとなったのはロシアではなくドイツである。ちなみにロシアの水兵反乱で有名なのは戦艦ポチョムキンの反乱とクロンシュタット反乱である。前者の戦艦ポチョムキンの反乱は第一次ロシア革命中における黒海艦隊での反乱であり、これにより日露戦争を継続することができなくなった。後者のクロンシュタット反乱は戦時共産主義に反発する水平反乱であり、これによりネップに転換した。
- 3(正文)露暦2月革命後には臨時政府が成立しソヴィエトと二重権力状態となったので、封印列車でスイスから帰ったレーニンが「全ての権力をソヴィエトへ」を訴えるため「四月テーゼ」を掲げた。
- 4(正文)ケレンスキーは臨時政府に法相として加わっており、諸党派の寄せ集めで統一が取れず自壊した後、首相に就任した。ソヴィエトの多数派であったエスエルとメンシェヴィキに支持されたので二重権力は解消されたのだが、戦争継続を選んだために労働者大衆の不満が高まった。7月暴動でボリシェヴィキを弾圧したが、帝政復活を目指すコルニーロフ将軍の反乱を鎮圧できず、ボリシェヴィキが反乱軍を鎮圧したので勢いを盛り返され、露暦10月革命で逃亡した。
- 【16】メキシコ革命(空欄補充)
- メキシコ革命はディアス独裁政権の打倒を目指したが複雑な展開をする。1911年〜13年のマデロ政権はディアスを打倒するも土地改革に否定的でサパタらの農民勢力と対立し、政情が不安定化した。1913年にはウェルタがクーデタを起こして政権につくも翌年に打倒され、国内では内戦が続いた。農民運動指導者としてサパタやパンチョ=ビリャも活躍する。1914年、メキシコ革命の勝利者となったのはカランサ政権(1914〜20)であり、アメリカの介入もあり1917年に民主的なメキシコ憲法を制定した。しかしカランサは忠実に実行せず民衆の指示を失って暗殺される。
- フランコはスペイン内戦の人物。人民戦線内閣に対してモロッコで挙兵し、内戦に勝利している。第二次世界大戦は巧みに外交政策を展開して戦後は終身大統領として全体主義を続け75年まで独裁を続けた。
- ペロンは戦後のアルゼンチンでポピュリズムを展開したことで有名。
- 【17】国民政府が統一した後の中国政府(正文選択)
- 1(誤文)カイロ会談に参加したのは米英中。ソ連は日ソ中立宣言があったので対日処理方針を決めたカイロ会談には不参加であった。
- 2(正文)【正答】日本は重慶政府を落とせなかったので反蔣介石派工作を行い、中国国民党副総裁の汪兆銘を離脱させた。汪兆銘は孫文の後継者とされていたが上海クーデタ後に蔣介石に主導権を奪われていた。日本軍の工作を受けた汪兆銘な南京国民政府を樹立したが、傀儡政権であった。
- 3(誤文)重慶は南京陥落後に中国国民党が移った。中華ソヴィエト共和国臨時政府が成立したのは瑞金である。
- 4(誤文)八・一宣言を出したのは中国国民党ではなく中国共産党。コミンテルンの反ファシズム統一戦線を受けて発せられた。中国国民党の蔣介石は安内攘外で共産党打倒を優先したが、張学良に西安事件を起こされ第二次国共合作に転換した。
- 【18】民主化政策・民主化運動(正文判定)
- 1(誤文)東欧革命でチャウシェスク政権が崩壊したのはポーランドではなくルーマニアである。ポーランドではヤルゼルスキ政権が「連帯」と交渉をおこない民主化が具体的に始まった。
- 2(誤文)朴正煕は開発独裁を行い79年に暗殺された。韓国の民主化が進むのは盧泰愚政権下であり、次の大統領選挙で金泳三政権が誕生し32年ぶりの文民政権となった。
- 3(誤文)9.30事件は中国ではなくインドネシア。軍部が共産党を排除しスカルノが失脚してスハルト独裁の契機となる。中国の民主化運動抑圧といえば天安門事件。
- 4(正文)【正答】戦後台湾は蔣介石-蔣経国が「反抗大陸」をスローガンにしていた。しかし蔣経国死去に伴い李登輝が副総統から総統に昇格すると、本省人として初めての総統となって(96年の台湾最初の国民の直接選挙でも総統に選出)、積極的な民主化を推進した。李登輝は日帝支配下の台湾で生まれ京大農学部で学んだことも有名。
第3問 国家が諸地域を統合するために採用した制度
- 【19】土地の管理や租税徴収(正文選択)
- 1(誤文)コロナートゥスが広まったのは共和政ローマではなく帝政ローマ。共和政ローマでの土地形態はラティフンディアであった。コロナートゥスは小作人に土地を貸し付け地代をとる土地経営方式。ラティフンディアは奴隷を労働力とする大土地所有制。
- 2(正文)従来イスラーム世界ではアター制をとっており、租税収入は現金化され予算に基づいて俸給として支払われていた。しかしそれは非常に手間でありアッバース朝が衰退すると俸給支払いは遅れるようになった。そのためブワイフ朝では現金俸給ではなく土地の徴税権を与えることとなり以後イスラーム各王朝に継承されるようになった。
- 3(誤文)均田制は元ではなく北魏。魏晋南北朝時代は豪族の大土地所有制にどのように対処するかが問題とされており、魏の屯田制、西晋の占田・課田法、北魏の均田制などが出されることになる。元の土地制度は宋代以降元・明・清と続く佃戸制。
- 4(誤文)ティマール制はセルジューク朝ではなくオスマン帝国でトルコ人騎兵に与えられる徴税権。セルジューク朝はブワイフ朝のイクター制を継承した。
- 【20】思想・言論・宗教に対する国家の介入(正文選択)
- 1(誤文)朱全忠は唐を滅ぼし後梁を建国した節度使。文字の獄は清朝における言論弾圧。
- 2(誤文)焚書・坑儒を行ったのは始皇帝。曹操は黄巾の乱平定に活躍し後漢末期に献帝を擁立して有力者で魏王に封じられる。
- 3(正文)治安維持法は普選の実施と日ソ国交樹立後の社会運動の活発化を取り締まるのが目的。
- 4(誤文)カトリック教徒解放法はイギリス。王政復古期の1673年、審査法が制定されチャールズ2世のカトリック復活策に対抗したが、非国教徒が公職につけなくなった。19世紀のイギリスで自由主義改革が進む中、1828年春に審査法は廃止され非国教が公職に就けるようになったが、カトリック教徒はなお除外されていた。1828年夏、アイルランド出身のオコンネルは当選したもののカトリック教徒であったので議席を認められなかったため、内乱の危機が発生したので、カトリック教徒解放法が制定された。
- 【21】未知なる世界への探検(空欄補充)
- 【22】華北と華南の結合(空欄補充&地図)
- 【23】諸勢力の交流・対立(正文選択)
- 1(誤文)契丹と燕雲十六州を争ったのは秦ではなく後周及び宋。どちらも奪還できなかった。燕雲十六州は後晋が後唐を倒して建国する際に契丹に援軍を要請したため、その見返りとして割譲した。
- 2(誤文)ネーデルラント北部がユトレヒト同盟を結成して独立したのはフランスではなくスペイン。スペインのフェリペ2世のカトリック政策に反発したネーデルラントはオランダ独立戦争を展開したが南部が切り崩されたのでユトレヒト同盟を結んだ。
- 3(正文)【正答】米州機構は1948年に南北アメリカが結成した地域同盟である。目的はアメリカの共産圏に対する封じ込め政策の一環。
- 4(誤文)ムガル帝国の衰退はアウラングゼーブ帝の宗教融和策の放棄。エフタルの侵入により衰退したインドの王朝はグプタ朝である。
- 【24】唐代中後期(正文判定)
- 【25】世界史上の貨幣や貨幣制度
- 1(誤文)五銖銭が発行されたのは東周ではなく漢の武帝。外征の出費で困窮した財政を立て直すための諸政策を行うには安定した通貨制度が必要であったため五銖銭を制定した。
- 2(誤文)交鈔は北魏ではなく金・元で発行された紙幣。交鈔の乱発が元の衰退の一因。
- 3(誤文)レンテンマルクを発行したのはストルイピンではなくシュトレーゼマン。第一次世界大戦後のドイツにおけるハイパーインフレを収束させるためにレンテンマルクを発行した。ストルイピンは第一次ロシア革命後の反動政治で有名。自作農創出のためにミールを解体したがあまりうまくいかなかった。
- 4(正文)【正答】世界恐慌が起こるとヴェルサイユ賠償環が止まりイギリスでは債務が急増し国際収支が悪化した。こうして金融不安が高まるとポンド安となり金流出の可能性が高まった。こうしてイギリスのマクドナルド挙国一致内閣もついに金本位制を放棄した。
- 【26】世界史上の傭兵や兵士(正文選択)
第4問 世界史における自然環境・資源と人間との関わり
- 【28】インカ帝国の位置と征服者の名前
- 【29】アメリカ大陸の銀とその流通(空欄補充)
- 【30】世界史上の海戦(正文選択)
- 1(誤文)アクティウムの海戦で勝利したのはオクタヴィアヌス。アントニウスは敗北した。
- 2(誤文)トラファルガーの海戦では、ネルソン提督は死んだがイギリス艦隊が勝利した。
- 3(正文)オスマン帝国のスレイマン1世はプレヴェザの海戦で神聖ローマ帝国カール5世、ローマ教皇、ヴェネツィアの連合艦隊に勝利した。オスマン帝国が敗北した海戦はレパントの海戦である。
- 4(誤文)ミッドウェー海戦で敗北したのはアメリカではなく日本。空母「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の艦上爆撃機が空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻に致命的損害を与える。無傷で残された空母「飛龍」は空母「ヨークタウン」を大破させるが、米艦上機により「飛龍」も大破。結局、日本の空母4隻は沈没。「ヨークタウン」は潜水艦「伊168」の雷撃で撃沈。この海戦を境に日本は制海権・制空権を喪失していった。
- 【31】自然哲学・薬学(正誤組合せ)
- 【32】2世紀に成立したインド文化の影響を受けた東南アジア国家(国名・地図)
- 【33】世界史上の船(正文選択)
- 1(誤文)無制限潜水艦作戦を実行したのは帝政ドイツ。ユトランド沖海戦で善戦したが海上封鎖を打開できなかったので無制限潜水艦作戦を再開した。イギリスに大きな打撃を与えたが、再開以前にルシタニア号事件でアメリカ人を犠牲にしていたこともあり、アメリカの参戦を誘発してしまった。
- 2(正文)【正答】サラミスの海戦でテミストクレス率いるアテネが三段櫂船を用いた。「戦争と社会契約」の典型例として受験世界史では有名であり漕ぎ手となった無産市民の発言権が大きくなったことが強調される。
- 3(誤文)蒸気船を実用化したのはフルトン。ハーグリーヴズはジェニー紡績機。産業革命織機&紡績機シリーズは「ジョンは握力ホイ」の語呂合わせが有名→ジョン(ジョン=ケイ)、ハーグリーヴズ、アークライト、クロンプトン、カートライト、ホイットニー。
- 4(誤文)亀甲船を用いたのは李氏朝鮮。李舜臣が秀吉の海軍と戦う際に考案した戦船である。琉球の船は進貢船。特徴は船首部の獅子の絵と舷側の目玉。
- 【34】河川や水路の整備・開発(時系列整序)
- 【35】木材や鉄に関わる歴史(正文選択)
- 【36】植物学などの自然科学(空欄補充)
- 植物分類学はリンネ。メンデルはエンドウ豆の交配実験による遺伝の法則性。
- ファウストの著者は『ゲーテ』。シラーはゲーテと並ぶドイツ古典主義の文学者。『群盗』『ヴィルヘルム=テル』は有名。ゲーテ―とシラーは疾風怒濤の時代(シュトゥルム・ウント・ドラング)の代表。シュトゥルム・ウント・ドラングは2016年12月発売の『あきゆめくくる』でも引用されていたのでタイムリーなネタである。