2023年1月14日実施 共通テスト「国語」の概要をざっくりと紹介する。

  • 概要
    • 評論・小説・古文・漢文の形式は例年通り。「複数テクストの参照」があったのは評論と古文。評論の設問はテクストの引用において同じ著作物でも引用者によって異なる主題の論理展開に使われるということが示された。古文は連歌がテーマなのだが、一つの作品を理解するために同じ著者による同じテーマを扱った別の作品を読んで理解の一助とすることが扱われた。小説は戦後不況を扱う作品だが、出題者コレ令和衰退期の日本との類似性を示唆してるでしょ?(日本式雇用慣行が成立する以前の昭和敗戦期とそれが崩壊して以降の令和衰退期・資本主義による労働者搾取)。漢文は中国の官吏登用試験に白居易が自分で予想問題を作り自分で模擬答案を答えたというもの。漢文以外の評論・小説・古文では鑑賞・解釈系の授業を問題に入れているのに漢文のみフツーなオーソドックスな問題であった。

【目次】

【評論】 文章Ⅰ(柏木博『視覚の生命力―イメージの復権』)/文章Ⅱ(呉谷充利『ル・コルビュジエと近代絵画―20世紀モダニズムの道程』)

建築論においてル・コルビュジエの窓について論じる複数テクストを相互参照する。文章Ⅰではル・コルビュジエの窓を「視覚装置」、文章Ⅱでは「沈思黙考」として論じていく。文章Ⅰでは窓を限定するものとして捉えており、風景の範囲を定めることで外の世界を平面化されたイメージとして映し出し、風景に限定を施すことで広がりが認識されるとする。一方で文章Ⅱでは壁を設けることで風景は思索に向かい「沈思黙考」に至る。こうして「動かぬ視点」の意義を明確化していく。以上により文章Ⅰでは視覚装置として風景に向かい、文章Ⅱでは動かぬ視点として思索に向かうことになる。このように文章ⅠとⅡでは別々の解釈に至るのだが、最終的に文章Ⅰで具体例として出された正岡子規の解釈として、子規が外を見ながらも内側の生の実感を得ていたと論じ、根底的には同じであるという読解の試みが提示される。(文章Ⅰでは正岡子規を取り上げているのだが、そこでは子規が闘病生活中に硝子窓から外の風景を眺めることを生の実感として捉えていたことを紹介する)。その子規の硝子窓は文章Ⅱでいう所の「動かぬ視点」であり、外の風景を眺めることは沈思黙考の場として機能していたと解釈していく。

【小説】 梅崎春生「飢えの季節」

第二次世界大戦後の不況を題材にした作品だが、資本主義に搾取される労働者という観点からみると令和衰退期の現状とよく類似している社会状況である。令和衰退期は戦後不況期と似ている。空腹に苦しんでいた主人公は何とか就職にありつき、そこで自分の理想を求めるのだが、資本主義の前に磨り潰され、自分の考えが間抜けであったことに気付き腹を立てていく。それでも何とか生活の為に労働に従事していたのだが、給料日になって初めて理不尽な勤務条件であることが分かり、その場で退職。新たな人生を模索する覚悟を決める。終身雇用制と年功序列賃金制という日本式雇用慣行が固定化したのは高度経済成長期なので、それがまだ成立していない戦後混乱期。また日本式雇用慣行が崩壊して久しい令和衰退期。どちらも安定など存在せず、新たな生き方を模索しなければならないという意味でも同じであろう。そういった出題者の意図がヒシヒシと感じられる内容であった。

【古文】 源俊頼『俊頼髄脳』/源俊頼『散木奇歌集』

連歌やろうぜって安易に言ったら次の句が全然思い浮かばなくてしらけちゃった。こういう時には気負わずに句を付けろ。というお話。内容としては、舟遊びしていたら連歌で有名な良暹がいるのを見つけたから連歌やろうぜってことになったんだけど、良暹の上の句に対してすぐに下の句を付けられなかった。その上、時間が経っても池の周りを廻るばかりであり、ついには舟遊びお催しの雰囲気をしらけさせたまま帰り、宴を台無しにしてしまったというオチ。もう一つの文章も連歌やろうぜって言いだした別当法印光清が下の句を告げることができなかったという話になる。これらの文章を踏まえて、設問中では授業が展開され、先生が生徒に対して連歌の技法などをレクチャーするといった内容になっている。これらの話の著者である俊頼は別当法印光清が付けることができなかった下の句を掛詞を利かせて返しており、気負わずに句を付けるべきだエンドとなる。

【漢文】 白居易『白氏文集』

白居易が官吏登用試験に際して試験対策をするのだが、自分で予想問題を作り、自分で模擬答案を準備した。まず予想問題は以下の通り。君主は賢者を登用したいと思っており、賢者は君主の役に立ちたいと思っているのに、遇わないのは何故か。これを遇わせるにはどんな方法があるのか、というもの。これに対して白居易は君主が賢者と出会わないのは、君主が賢者を見つけ出すことができないからだという回答を用意している。そしてその方法として「各審其族類、使之推薦而已」と述べ賢者を求めるには賢者のグループを見極めたうえで、その中から人材を推挙してもらうべきだとしている。その根拠は水は湿ったところに流れ、火は乾燥したところへと広がるように、性質を同じくするものは互いに求め合うのが自然であるということを事例として出している。

【参考】 これまでの共通テスト/センター試験「国語」の概要はこちら