戦後開拓事業によってに引揚者が入植したが、全戸離農となった北海道日高郡静内町高見地区の事例。
※高見はもともとアイヌへの供与地だったが、昭和22年時にはアイヌはそこに定住していなかった(寺林伸明・劉含発・白木沢旭児編『日中両国からみた「満洲開拓」ー体験・記憶証言ー』御茶の水書房、2014年、p.356)
- 本稿の趣旨
- 満洲からの引揚者が日本でどのように生活の再構築を図ったのかを、戦後開拓事業による入植地を事例に検討する研究。
- 近年の潮流
- 日本帝国崩壊の一環として各植民地からの引揚げについての全体的な把握の試みが始まったばかり。日本帝国崩壊から、日本の戦後体制と人々の生活の再構築において、その連続性を見出そうという研究がなされるようになってきた。
- 2009年8月に開催された「日本帝国と人口移動」(北海道大学開拓記念館シンポジウム)において、戦後との連続性について蘭信三が課題として取り上げている。
- 日本帝国崩壊の一環として各植民地からの引揚げについての全体的な把握の試みが始まったばかり。日本帝国崩壊から、日本の戦後体制と人々の生活の再構築において、その連続性を見出そうという研究がなされるようになってきた。
- ブラジル移民について
- 月寒学院(八紘学園)が戦後にブラジル開拓を奨励し、多くのブラジル移民を輩出したが、八紘開拓団の引揚者からブラジル移民は出ていない。
- 全戸離農
- 今後の課題
- 北海道農政との関係については、資料分析ができていない。