極東蘇聯史013「満洲引揚げと残留孤児問題」

(1)残留孤児

(1)-1.満洲引揚の問題点
  • 満洲移民
    • 満洲移民は1936年国策化以降
    • 100万戸(500万人)を目標に推進
  • 「移民」か「開拓民」か
    • 1939年に満洲移民のリーダー会議があって自分たちを「移民」と言わないでくれと云った。
    • 移民にはマイナスイメージが付きまとう。
    • そのため満洲移民を開拓民と称するようになった。開拓をするという実績はない。
  • 「開拓民」とはいうけれど全然「開拓」してないので注意
    • 中国人から農地買収して耕作する。日本人開拓団に雇われて農業労働者となる。
    • 実際には終戦時に開拓民たちは27万人程度。
    • 在満日本人の人口比でいうと開拓民は少数派。多くの人々は都市に住む。
  • 北満と東満に移民団(開拓団)が分布 
    • 関東軍は開拓団を避難誘導とか指示とかしていない このことが全ての要因。
(1)-2.残留孤児の4つのタイプ(開拓団)
  • Aタイプ
    • 1942年以前に入植、年長大規模移民団
  • Bタイプ
    • 1944年以降入植、年中、小規模の移民が多い。
      • 満洲移民かなり強引に進められる。日中戦争以降景気は良くなり日本の農村では働き口があるのだが、村に割り当てが決められ、無理やり出される。※最初の方は、行きたい人が結構いた。満洲移民を送り付けるのは1945年の終戦直前まで続く。国策として農業をするよりは満洲の日本人の人口比率を挙げたかった。あと北満・東満は対ソ防衛。
  • Cタイプ
    • 年少 1941〜42年に誕生 敗戦時3〜4歳。逃避行や農民生活の記憶が少ない。
  • Dタイプ
    • 最年少 最年少 都市(元居住地/収容所まで辿り着いた!?)で中国人に渡る 
(1)-3.中国人養父母
  • 第一子として育てる(受け取る)−過半数
    • 長男長女は15人中14人
    • 最終学歴は高い 高校専門学校以上15人中8人

(2)残留婦人

(2)-1.残留者の諸相
  • 残留者の定義
    • 12歳以下(未満)(厚生省) → 残留孤児
    • 12歳以上 → 残留婦人(結婚) ※男性もいるはずだが、中国人男性と結婚して残留したので残留婦人
    • 技術者・医師など → 留用
(2)-2 残留婦人の具体例
  • 水野満江
    • 4.03haの土地持ち。(1ha≒1町歩)。日本の農家はだいたい1町歩
    • 満洲拓殖公社 2000万町歩を中国の地権者から買収→日本人に分け与える
    • 父親は死亡し、母親が中国人の男と再婚する。日本女性の面影はなく日本語も話せない。日本政府は永住帰国を拒否している。
  • 石田友枝
    • 大陸の花嫁として中国に渡り日本人男性と結婚するも動員されて音信普通となる。中国人男性と結婚して、継子を育てる。
  • 愛島孝子
    • 1945年に渡満 夫は召集 → 大阪安達開拓団 夫は終戦に伴い撤退(日本)
    • 日本人の元夫は健在、愛島孝子は中国の夫の死後、一時帰国する
  • 子どもの受け取り
    • ブローカー経由
      • 収容所で子どもを引き渡す場合、間に入っているブローカー的存在がいる
      • 危ないから中国人に預けた方がいいよ→中国人の養父母と実父母がブローカーを挟んでやり取りをする。 
      • 中国人の養父母がカネ・食糧を支払い、実父母が子どもを売り渡す。
    • 直接取引
      • 逃避行の過程で実父母の判断で中国人に引き渡す。実父母は子どもの代償にお礼として「見返り」を貰う。