内原訓練所は満蒙開拓青少年義勇軍に応募した各道府県の青少年が満州に渡る前に訓練を受けた施設。
茨城県水戸市内原にあり、現在は郷土資料館となっている。
その足跡を体感するため、現地を訪問してきたのでメモしておくこととする。
雑感
義勇軍資料館(写真は復元日輪兵舎)
- 入館前後
- 義勇軍コーナー
- 日輪兵舎の内部を象った形となっており、関連資料が展示されている。同行者が遊牧民のゲルだかパオみたいとかいう。個人的に興味を持ったのが、義勇軍手帳、訓練所の座学で使用していた各種教科書、義勇軍募集要項、。義勇軍手帳は目次のみが見られるようになっており中身が気になるところ。各種教科書もどのような学習をしたのかすごく興味があったが中身は見られない。あと当時の両面刷りプロパガンダ広報は閲覧できるようになっており、これも面白かった。4コマ漫画が載ってて「満洲マァちゃん」?(タイトルうろ覚え)とか当時の表象文化研究とか出来そう。そして、どうやらこの資料館は比較的新しい施設らしくかつては内原訓練所の碑の隣に日輪舎記念館があって、そちらで展示をしていたらしい。帰り際そのことを話すと、初老の男性から資料館ができる前に作られた「関係史跡案内図」の紙を貰う。このB4版プリントが一番気合入って作られており、パンフレットなどより遥かに充実している。図録などが欲しかったのだが、ミュージアムショップが無いような雰囲気だったのでスルーしてしまった。受付の初老男性に聞けばよかったかもしれない。しまった。
義勇軍訓練所正面跡地
渡満道路と桜並木
渡満道路と桜並木
昭和13年(1938)早春、ここ内原に満蒙開拓青少年義勇軍(略称=義勇軍)の訓練所が建設されました。
当時この一帯は松林で覆われていて道は狭く、訓練所入り口近くには道も無く、入所した義勇軍訓練生が訓練所から内原駅迄の一・七キロメートルを整備し、記念に桜の苗木を植えました。
桜花は日本人の心の花、義勇軍の門章や帽章も桜の花を象ったものでした。今でもここに残る桜は、この時に植えたもので、訓練所は無くなっても巡り来る春ごとに美しい花を咲かせています。
内原で二・三ヶ月の訓練を終えた義勇軍の人達は、訓練所で盛大に行われた渡満壮行式のあと、真新しい服にリュックを背負って鍬の柄を携え、列を正してラッパ鼓隊の先導でこの道を通り、大陸に夢を馳せながら内原駅に向かいました。昭和十三年から二十年(1945)までに、この道を通って満州に渡った訓練生は八万六千五百三十人を数えました。
このことから訓練所から内原駅までの道路を「渡満道路」と呼ぶようになったのでした。当時の訓練生は、今でも寄宿した日輪兵舎とこの桜並木を忘れたことはありません。
渡満道路は、植栽後七十有余年が過ぎ、当時を語るものとしては唯一残されている桜並木であり、義勇軍の歴史また桜の名所として保存されています。
水戸市教育委員会