極東蘇聯史010 「日蘇戦争 樺太編(2) 真岡市街戦&千島編 占守島の戦い」

  • 前回の復習 国境付近(北緯50度)の戦い、恵須取市街戦
    • 国境付近は正規軍日本軍VSソ連
    • 恵須取は正規軍五本群+義勇戦闘隊(男たち)VSソ連
  • 義勇戦闘隊は全日本で組織されていたが、実際に戦ったのは恵須取のみ、

(1)樺太

(1)-1,真岡の市街戦
  • 8/20 未明 ソ連の軍艦が接近 上陸用舟艇が入港 
  • ソ連の軍艦が発砲(大砲)=空砲→礼砲説(国際的な慣習とはズレているが否定はできない)
  • 日本側が応戦 港に待ち構えているのは正規軍一部・義勇戦闘隊
    • 日本にしてみれば、戦争は終わっているのだが、ソ連軍が攻撃してきたので、自衛戦闘の命令どおり戦闘する。
    • ソ連から見ると真岡市民の男は全部戦闘員なので無差別殺戮するしかないとなってしまう→一般市民に対する殺戮。
(1)-2.第五方面軍の命令
  • 真岡の先頭はソ連軍の質の悪さも影響している
  • 日本側は明らかに日本の男たちが応戦している。なぜ応戦しなければならなかったのか?
    • 【資料No.31-10】第五方面軍に8/19 「武器の引き渡し等を実施することを得」(大本営から) 
      • 関東軍に対しては8/16に自衛戦闘をしなさいといった後に、武器引き渡しを認めたが、札幌にはきてない。第五方面軍は「自衛戦闘」命令のみ。
      • 19日に第五方面軍から第八十八師団への命令「飽ク迄自衛戦闘ヲ取り行うべし」
      • 樺太地区を死守 豊原・真岡など 上樺太は既に占領されている 
      • 戦争終わっているはずなのに、下樺太は死守せよ
  • 第五方面軍は札幌にいる 
  • 停戦はしていいけど、自衛戦闘はしなさい
  • 真岡の市街戦、日本人死者1000人
    • 郵便局に勤めていた自殺した9人も含まれている。
  • 正規軍は?
    • 正規軍は山にいるが、ソ連と戦っている
  • 自衛戦闘から武装解除容認までの流れ
    • 8/21 八十八師団から第五方面軍に電話 →武装解除容認に転換
      • 日本軍の自衛戦闘が認められて指導されていたことが、8月15日以降の戦闘の特徴
    • 8/22知取にて樺太全島の停戦協定
    • 8/23真岡の停戦 3度目の軍使 山本連隊長が停戦請合意 → 日本軍武装解除
(1)-3. 終わらぬ戦争被害
  • 8/22の知取で樺太の戦争は終わるのだが・・・・事件が2つ発生する。
    • 8/22豊原空襲 駅前 死亡者数100人以上
      • 停戦協定のあとに空襲があった!! 戦闘爆撃のパイロットの顔が見えたが、笑いながら爆弾を落としていったという証言が残されている。
    • 8/22 留萌沖で緊急疎開船 3隻が潜水艦攻撃を受ける  死者1708人
      • なぜ攻撃を受けたかというとソ連による北海道占領のためのひとつ
      • (理由)ソ連から北海道北半分占領の提示(8/15,16) → トルーマンは拒否(8/22)
  • 樺太の海軍の動向
    • 今までの文献では海軍はほとんどでてこない
    • 海軍は殆ど戦っていない
    • 8/23までの緊急租界により帰国をしている。
      • 緊急疎開の対象は女性・子ども・老人 → それを使って海軍軍人は脱出する               
    • ここまで意識が違うのは珍しい

(2)北千島 占守島

(2)-1.戦闘経過
  • 第九十一師団(柏原) 対米戦を想定 樺太には戦車は1両もないが、北千島には戦車連隊があって、64両。装備きちんとした日本軍が防衛していた。 四嶺山を奪い合う
  • 8/18未明 死者数:ソ連2500〜3000人 大量に死者をだす
(2)-2.占守島の停戦
  • 停戦までの流れ
    • 8/19 停戦交渉は、不成功(堤師団長の拒否)
    • 8/20 夕方 翌朝6:00の総攻撃を行うと師団のみなに伝える → ホントウは戦闘が行われるはずだったのだが
    • 8/21 5:50 無線により第五方面軍からの命令 武装解除を容認
    • 8/21中に停戦合意 翌22日に文書に調印
  • 停戦
    • 連絡がとれる地域でも停戦には時間がかかる 兵士たちはシベリア抑留される
    • 武装解除を条件として停戦をしている。
  • 8/21に第五方面軍が自衛戦闘から武装解除容認へと転換した経緯はいまひとつわかっていない