先週からコンテンツツーリズム論演習ではツアーガイド養成をやっています。
今回は、小樽でツアーガイド。小樽は色々な作品の舞台となっています。
今回の研究目的は、インシデンタルツーリズムの研究。
つまり、ツアー客たちが知らなくても実はあの作品の舞台となっていた!というやつです。
小樽は『星空のメモリア』の舞台となっているのです。誰も星メモのことなど知るまい・・・
『星空のメモリア』の聖地巡礼ツーリズムではなかったので、小樽駅と旭展望台しか回れていていませんが。
今回のツアーコース
- 小樽駅
- 様々なノベルゲームの背景CGとして登場する小樽駅。現在の駅舎は昭和9年(1934)に建築されたもので、登録有形文化財に指定されています。ここで教授から登録有形文化財についての説明が入ります。登録有形文化財の登録とは届け出制。1996年に、指定されたものだけでは保存が追い付かないため、緩い形で後世に残すために、「文化財登録制度」が導入されたとのこと。外観を変える際には現状変更が必要だが、内装は変えても良く、活用しながら文化財を守る事ができるのが大きなポイントであるとか。
- さらに歴史の授業。小樽駅は上野駅(1932)、満洲国の旧大連駅(1937)、台湾の台南駅(1936)・嘉義駅(1933)・旧台北駅(1935)、樺太の真岡駅(1932)と共通する建築構造です。鉄筋コンクリートの建造物として当時の1930年代における帝国日本の共通性が見られることでとても興味深いですね!!日本・満洲国・台湾・樺太で同じ構造の建造物が作られているのですよ!!
- 手宮線〜手宮公園
- 国鉄時代に1985年まで敷かれていた手宮線は、現在廃線跡を歩けるように整備されています。ここをチャリで流します。この手宮線はなんと北海道最古の鉄道で、1880年11月に手宮-札幌間が開通しました。原敬は1881年(明治14)に東北・北海道を旅行しているのですが(「海内周遊記」)、ここで原敬は8月1日に小樽から札幌までを鉄道で移動しています。つまりは、開通間もない手宮線を利用していたことになるのですね。個人的には、もうこれ小樽市総合博物館まで見たいぜと思いましたが、順路をそれるわけにはいかず、お流れ。手宮公園へと向かうのでした。手宮公園をもう少し先に行くと、『星空のメモリア』では星天宮で有名な小樽稲荷神社に行けます。私はこの演習のコンテンツツーリズムの観光地紹介エッセイの課題に動物のお医者さんと星メモを選んでいるので、また後で来なくてはならないと思いましたとさ。
- アジア諸国の人々と昼食
- 日本、台湾、中国、朝鮮の人々と昼食を摂ることになりました。出身国のメンツ、ヤバくね?と思ったのは私だけではないはず。幸い教授がいたので、和やかに食事は進みます。中国や台湾の受験制度の話に。かねてから何で北京大学や清華大学のある進んだ中国の方々が、わざわざ日本に、しかも東大じゃない所に来るのかしらん?と疑問に思っていましたが、その謎が判明。日本に来るのは北京大学や清華大学にとてもじゃないけど入れないが、日本の地方帝大は留学生だとあっさり入れるので、中国に戻ってあわよくば北京大学や清華大学にロンダしようという狙いがあるのだとか。
- あと日本の雇用形式のはなしになり、なぜ日本は院進学する者が少なく、学部生が新卒採用を希望するのかという理由の説明を求められました。そのため、かつて日本で信奉されていた日本型雇用慣行(年功序列賃金制と終身雇用制)について解説しました。戦後復興・高度成長期〜小泉改革の間、日本では、一つの会社に勤めたら定年退職するまでそこで働き、年齢を重ねれば地位と賃金が上がっていくというシステムだったことを分かりやすく述べます。もうそんな日本型雇用慣行など崩壊しているのに、旧態依然とした因習的な思考回路はなかなか変わらず、その慣行を信奉して新卒採用に拘る人々が企業にも学生にも多いのです。この説明を聞いた中国(大陸)や台湾の方々はたいそう驚かれていました。向こうでは、キャリア積みながら、スキルアップしていき、より上を目指すのは当たり前ですものね。さらに教授から補足説明として、日本式雇用慣行は、会社が新卒を自分の色に染め上げたい、盲従させたいという狙いがあったことが述べられました。
- あと教授が修士終了後、民間企業に勤めるも、専門性もクソもなく代替可能な労働力として扱われたため、博士課程に入り直し、研究職となったのも胸が熱くなる話でした。
- 旭展望台
- 電動アシスト自転車はとても便利で小樽商科大学の地獄坂もスイスイと登れます。そして旭展望台へ。ここが今回の私の研究課題であるインシデンタルツーリズムの場所なのです。Aという作品の舞台の聖地とは認識せずに、地点Bを訪れているけれども、実は地点BはAという作品の舞台だったのだ!!という意図せずにコンテンツツーリズムなっている形式ですね。だれもこの旭展望台を『星空のメモリア』の聖地だとは認識しておるまい・・・
- 旭展望台と星メモの話
- 星メモの主人公くんは複雑な家庭環境で育ったため、幼少期から母親を支えて家事手伝いに励んでいました。しかし、家庭でのストレスにより、気が滅入ることもまた事実だったのです。そんな主人公くんの癒しとなったのが、ホスピスの少女:夢さんとの交流であり、その場所のモデルが旭展望台だったというわけです。思わず懐かしさでいっぱいになったのでした。
補論
- 小林多喜二の碑
- アカではないのに見物に行って失礼にならないかしらん?と思いつつも、『蟹工船』などの文学作品の作者にまつわるスポットを訪れるのもコンテンツツーリズムの一種ということで、記念碑を見に行きました。最初、記念館があるかと思って探してしまいました。蟹工船をカニ・光線すなわちクラブビームとか言ったり、デレマスの蘭子さんがプロデューサーと呼ぶことができず、プロ・・・プロ、プロレタリア文学!って言っちゃうんだぜ!とか言ったりしながら碑の解説文を読む一行はどう見ても不審者です。
- 碑の解説文の文章を読んで、プロレタリア文学の社会主義思想に対置されるものが、日本では資本主義ではなく天皇制であるということに注目が集まりました。様々な議論が尽くされた結果、社会主義思想は既存の政治体制の暴力革命を目指すが、当時の国体が天皇制だったので、資本主義ではなく天皇制なんじゃね?という解釈になりました。
- そしてなぜか、北緯50度線にある樺太とソ連の国境の境界碑を模したものが小林多喜二の碑の近くにあり、「境界協会」の話になりました。そしてまた、なぜ小樽に樺太関係があるのかしら?という議題になり、小樽から樺太への出港が多かった?とか、引揚者が多かったのでは?とかいう説が出され、碑文では引揚者説が取られていました。