雑録

新海誠『小説 天気の子』(角川文庫、2019年)の感想・レビュー

ヒロイン>セカイ。愛する女の為ならば世界などがどうなっても構わない。
地球の異常気象を安定化できる少女が、セカイの為に人身御供となる。
そんな「人柱」となった少女を救う為、主人公くんは既成の価値規範に抗うのだ。
少年の背中を押すのが、少女との交流を通して築いたコミュニティの仲間達。
彼らの支援なくして主人公くんはラストバトルでヒロインの下へ辿り着けない。
故に映画版が「周回したクリアデータを持ったグランド√から開始」という指摘は的確。
構造は1周目強制BAD→個別√解放(須賀・夏美・凪)→グランド√(true/good)。

【目次】

共通ルート

  • 田舎の息苦しさから逃れるため東京へ家出した主人公くんが、マックのバイト店員に救われる話。
    • 物語は、離島の高1の主人公くんが、田舎の閉鎖的な息苦しさや封建的な父親の抑圧から逃れるため、家出するところから始まります。東京幻想というやつで、東京に行けば何かが変わるんだ!!という期待と不安・希望と恐怖がないまぜになりながら、上京するのです。セカイ系の話なので、なぜ主人公くんが父親と上手く行かなかったのか?などという詳述はいらぬ。そして、よくある話として家出少年が身元の保証もなく東京で生き抜くことなどできず、所持金も尽きかけジリ貧となっていくのです。心が折れかける主人公くんでしたが、困窮状態をマックのポタージュスープで凌いでいると、女神からの救いが!!なんとバイト店員からビッグマックを奢られるのでした。そうなんです。このマックのバイト少女こそが、本作品のメインヒロイン:天野陽菜だったのです。この陽菜との出会いにより主人公くんの物語が動き始めるのです。ボーイミーツガール。主人公くんは島を出る際に船で知り合った須賀さんに拾われる形となり、そこで学部4年の女子大生:夏美と共にゴシップ系雑誌のバイトに奮闘することになります。

1周目強制BADエンド

  • メインヒロインが自分の特性「晴れ女」に依存して、安易に承認欲求を満たそうとした結果
    • メインヒロインの陽菜は主人公くんに対し、「来月で18」と述べるのですが、実は15のJC3です(主人公くんは終局部まで陽菜が年上であることを信じ、陽菜さんと呼んで尊敬していた)。陽菜の母親は死亡し、父親の存在も不明。故に、弟と暮らしていくため、年齢を偽りバイトに励んでいたのでした。ここでもセカイ系の話なので、なぜ陽菜が弟と二人暮らしなのか?父親はどこいった?とかの問題は詳述しなくてよろしい。主人公くんが陽菜と再会したのは、陽菜がソープに身を沈めようとしていた時でした。生活の為には背に腹は代えられぬものの、お金の為に売春婦となることに躊躇していた陽菜を、お節介と言わんばかりに、助け出すのです。このことをきっかけに、主人公くんと陽菜の間に関係性が芽生え、「晴れ女」ビジネスに手を出すことになるのでした。
    • 陽菜は母親の死に際に神に祈ったことで世界と繋がり、天候を操れるようになります。この陽菜の異能を利用して、天候不順が続く東京で晴れ間を提供しカネを稼ごうと試みるのでした。事前に夏美から金儲けについて釘を刺されるという伏線がありましたが、その心配は現実のものとなります。主人公くんは、陽菜とその弟の凪と共に次々と天気を晴にしていきガッポガッポと儲けていたのですが、ついにその反動がやってくるのです。
    • 当初はカネのために始めた「晴れ女」ビジネスでしたが、依頼人たちから感謝の言葉を言われるたびに陽菜は承認欲求が満たされていきます。自分の天職は「晴れ女」にあると確信するのです。しかし、天候を操るためには代償が必要であり、陽菜の身体は次第に透明になっていったのでした。それに加えて主人公くんの家出生活も長くは続かず、ついに捜索願が出され警察に追われることとなります。陽菜たちも児相に通報されることとなり、主人公くん、陽菜、凪の3人は居場所を失います。辿り着いた先は、ラブホテルで、ここで最後の晩餐よろしく、ホットスナックを味わいカラオケや枕投げを行い、楽しいひと時を過ごします。PC版だったらここで夜伽描写入るよなーと思いつつ、主人公くんは陽菜に誕生日プレゼントの指輪を渡します。このラブホの場面では、陽菜が主人公くんに雨がやんで欲しいかどうかを尋ねるところが最大の見せ場といえるでしょう!!主人公くんは陽菜の真意に気づけず、雨やんで欲しいと答えてしまったため、陽菜は自らの命を代償に地球の気候を安定化させるのでした。
    • 翌朝、気がついた時には陽菜の姿は消えており、主人公くんもとうとう警察に捕まることとなってしまいました。どうすれば陽菜を救うことが出来る!?それは陽菜が母親の死に際に神に祈ったビルの屋上に行かねばならぬ!!と、いうことで警察から脱出し、代々木のビルに向かうのですが・・・この逃走劇において、各サブキャラの支援が必要となってくるのです。つまりは、各キャラを攻略して心情を理解していないと好感度が足らず、助けにきてくれなくて警察から逃げきれずバッドエンドとなってしまうのですね!!そんなわけで1周目は強制バッドエンドに終わるのですが、このバッドエンドを見ると、須賀さん・夏美・凪センパイの個別√が解放されます。陽菜を救うために、彼らが抱える問題を解消しに行くことになるのです。

個別√解放

須賀さんルート

  • CLANNADの朋也
    • 須賀さんは主人公くんが家出をした際に、船の中で最初に関係性を持つ人物となります。主人公くんは調子こいて甲板から落ちかけるのですが、それを助けたのが須賀さんだったのです。須賀さんは家出少年に自らを重ね、昼飯とビールをたかったあとで、困ったら連絡しろと名刺を渡すのでした。
    • 須賀さんは渚死亡後のCLANNADのトモヤ状態ともいうべき境遇でした。須賀さんはトモヤと同じように、社会から受け入れられない自分を女に受け入れてもらえたという過去を持っていたのです。須賀さんは地方の名望家の家に生まれたのですが、超優秀な兄の陰に隠れることになりコンプレックスを抱いて上京し、そこで苦労を重ねて、奥さんと結ばれたのです。娘も生まれて幸せな日々を手に入れた矢先に、これまたトモヤと同様に奥さんが死亡してしまうのです。娘を嫁の実家に預けて精神崩壊!!しかもトモヤ以上に最悪なことに、娘の親権を亡き妻の両親(=義父母)に取られてしまっていたのです。そんなわけで須賀さんは、何とかして娘に会おうと、社会更生に励んでいたのでした。
    • 須賀さんは、家出少年の主人公くんと自分を重ね、衣食住を提供しますが、警察からの捜査が入ると、社会更生の評価が下がると危惧し、主人公くんを追放します。また、主人公くんが陽菜を求めてビルを登ろうとする際、善意の上で、一緒に警察に行って申し開きをしてやると立ち塞がってきます。須賀さんを攻略していないと、ここでBADエンドになってしまうのですが、須賀さん√をクリアしていると、須賀さんの心に火をつけることとなり、警察に捕まりかける主人公くんを、身を挺して助けてくれるのです。

夏美ルート

  • モラトリアムとピーターパン・シンドローム
    • 夏美は須賀さんの兄の娘、つまりは姪です。超優秀で厳格な父親と上手くいかず、叔父の須賀さんの所に転がり込んでいます。主人公くんがバイトを始めると、その指導にあたりイロハを教えてくれるのが夏美です。主人公くんが認識した個体としては、初めての女性とも言えます。ペンギンハイウェイのお姉さん的立ち位置であり、東京に出て来た主人公くんに居場所を与え、存在を肯定してあげるのです。
    • ペンギンハイウェイのお姉さんは世界5分前仮説がテーマでしたが、天気の子のお姉さんである夏美は社会における個人の役割が主題となっています。夏美は所謂モラトリアムに揺蕩っており、社会に統合されることを躊躇しています。そんな夏美は、ビジネスよりも自分が楽しいと思うかどうかを心情としており、その天性による「コミュ力オバケ」を使って、取材の時には様々な人々の心を開いていきます。夏美は主人公くんや陽菜と接するなかで、社会における自分の役割を見出していきます。PC版天気の子の夏美√は、モラトリアムからの脱却、アイデンティティの確立、父親との和解がテーマになりそうです。夏美を大人にするために、主人公くんと肌を重ねるというノリ。
    • グランド√における夏美の見せ場は、警察との逃走劇で主人公くんを2ケツさせカーチェイスするシーン。夏美の好感度が足りないと、このバイクイベントが発生せずBADエンド直行フラグまっしぐらとなることでしょう。警察から逃げ回るなかで、自己認識を深めた夏美は、先に大人になって待ってるぜ☆と主人公くんの背中を押します。水没するバイクと共にテンプレ展開「どうやら私の役割はここまでのようだ」をする夏美もカッコいいですね。

凪センパイルート

  • 物わかりの良さと子供らしさの相克
    • 女をとっかえひっかえするプレイボーイな小学生であり、主人公くんに東京の小学生恐ぇーーと思わせる存在が凪センパイ。途中で陽菜の弟であることが明らかになります。両親不在のため精神的成長が早く達観しており、自分のせいで姉に迷惑をかけていることを自覚しています。そして姉に青春を送ってほしいと願っており、そのボーイフレンド役として主人公くんに姉を託すのです。あまりにも凪がオトナなので、主人公くんは思わずセンパイを付けて読んでしまほどです。
    • 凪√の攻略ポイントは、凪に父性を与える事です。橋本紡(ゼロ年代セカイ系ラノベ『リバーズエンド』やホスピス泣きゲーヒロインの『半月』で有名)の作品『猫泥棒と木曜日のキッチン』的な展開です。凪がどんなに達観していようと、そこはホレ、まだ小学生であり、お父さんの影を追い求めているのです。それ故、主人公くんと一緒にお風呂に入りたがりますし、ラストバトルでは大人びた風貌をかなぐり捨て年相応に、お姉ちゃんが消えたのはお前のせいだと糾弾してくるシーンがグッとくる展開になっているのです。凪の姉を思う感情は主人公くんを突き動かす一因ともなるので、凪ルートを攻略していないとPC版では非常階段で死ぬことになるのでしょう。

グランドルート

trueエンド【本編にはない】

  • ヒロインが自分の存在証明として、自分の意志で世界の存続を選び、自らの命を犠牲にして世界を救うエンド
    • 陽菜は主人公くんに雨がやんで欲しいかどうかを尋ね、主人公くんの返答を踏まえた上で、絶望のまなざしをうかべて消えていきます。主人公くんは自分の返答を後悔し、陽菜にもう一度会おうと決心します。そのため陽菜が神と接続した代々木ビルを目指し、ダッシュすることになるわけです。1周目のBADエンドを見たあと、個別√でサブキャラたちを攻略すると、彼らが途中で手助けをしてくれるという寸法です。夏美はバイクで逃走を手伝い、須賀さんは警察と戦い、凪は主人公くんを奮起させます。
    • ようやく代々木ビルの屋上に辿り着く主人公くん。ここで主人公くんもまたセカイと接続し、陽菜との再会を果たします。歓びも束の間、ここで、PC版では世界か個人かの選択肢分岐を迫られることになりそう。trueエンドでは、ここで陽菜が世界を選びます。ラブホでの夜伽の時に、主人公くんに雨がやんで欲しいかどうかを委ねた陽菜でしたが、今度は自分の意志でセカイを選ぶのです。ボロボロになっても自分のところまでやってきてくれた主人公くんを生かしたいと陽菜に思わせるのですね。こうして当初は安易な承認欲求を満たす手段として「晴れ女」をやっていた陽菜が、主人公くんのために自己の存在証明を見出すというエンドになります。自らの意志で主人公くんのためのセカイを救ったのです。陽菜先輩は消えてしまっても、己の生き様を強烈に示すという点で、trueエンドです。

goodエンド【小説版のエンディングです】

  • 主人公くんが愛の力でヒロインの深層心理に辿り着き、自分達の関係性の為ならセカイなどどうなろうとも構わないというセカイ系エンド
    • さぁ、いよいよgoodエンドのお時間がやってまいりました。小説版のエンディングです。上記trueエンドを見た後に、グランドルートを再開すると、最後に選択肢が増えるという寸法です。巷で、最後のシーンで選択肢が見えた!!という言説のアレ。90年代~ゼロ年代に青春を過ごしてきた人々の多くが「上から二つ目の選択肢を選んだ」と幻視する話題のシーン。
    • そうです。世界がどうなろうとも構わない。愛する女のためには、世界が滅びても構わない。ヒロイン>セカイなのです。二人の関係性とそれをとりまく小規模なコミュニティが全てであり、それ以外は関係ない!!失われた30年に多感な青春時代を過ごした人々の答えは、社会や国家や世界の否定であったのです。誰かを犠牲にしたうえでの平穏なんてクソくらえだ!!異常気象をもとの状態に戻すことが正しいのではなく、変ってしまった環境に対応して生きていくのが人間の生命力だ!!と言わんばかりの熱情を訴えます。地球がもともと狂っていた!?いいや、この狂った世界で生きていくことを自らが選んだのだとハッピーエンドを迎えます。

小説版天気の子 個人的名シーン 抜粋

  • エンタメの供給について
    • 「こっちはそんなのぜんぶ分かっててエンタメを提供してんの。そんで読者もぜんぶ分かってて読んでんの。社会の娯楽を舐めんじゃねえよ。」(50頁)
  • 夏美のモラトリアムとピーターパン・シンドローム
    • 「私はといえば、その夏は人生でも底辺に近い場所を彷徨っているような時期だった。大学四年の夏休み。同級生たちはいくつも企業の内定をもらっているのに、私はまだ就職活動すらしていなかった。都内の実家で生活費にも困っていないくせに毎日アルバイトに通い、かといってそのバイトに熱を入れるまでもなく、なにかに抗議するような心持ちで毎日を意識的にだらだらと過ごしていた。そのなにかとは言葉にするならばたぶん「親」とか「社会」とか「空気」とか「義務」とかで、それが幼い反抗心だとは分かってはいても、私はどうしてもまだ就活をする気持ちになれないでいた。まだ早いのに、と私は思っていた。まだ早い。まだ準備が出来てない。私はまだ、なにににも屈服なんてしたくない。――要するに、私は大人になりたくなくて拗ねているのだ。我ながらダサい。そんな自分の駄目さかげんにぼんやりと途方に暮れている時に、少年は現れたのだった。〔……〕」(54-55頁)
  • 主人公くんが安易な商業主義に走らなければ、平和だったのでは?
    • 夏美「なによそれ、稼げるって。最初に大事なのは面白と思えるかどうかでしょ?〔……〕せっかく見つけた晴れ女にも、その調子で接して嫌われないようにね。これからデートでしょ?」(89頁)
    • 陽菜「まあそうだけどー……これでお金をとるっていうのがなー……」(98-99頁)
  • 祈りと信仰と乱数発生器
    • 「こんな話知ってるか?人間の感情が乱数発生器に影響を与えるって話。乱数発生器っていうのは、量子論に基づいて0と1をランダムに出力する機会でさ、どんな時も確率は1/2なわけだ。それがさ、大災害とか大イベントとか、大勢の人間の感情が大きく乱れるようなことがあると、その瞬間だけ確率がガラッと変わっちまうそうなんだ。実際にそういう現象が世界中で何度も確認されていてさ。それで思ったんだな。人間の願いとか祈莉とかってのは、現実に世界を変える力があるんじゃないか。俺たちの脳みそは頭蓋骨の中で完結してるわけじゃなくて、なんらかの形で世界全体と繋がってるんじゃないか。〔……〕」(117頁)
  • この話が周回済みであることを匂わせる伏線【1】主人公くんの場合
    • 「僕たちは特別に、そのまま六本木ヒルズの屋上に座って花火を眺めさせてもらっている。雨で洗われた空気は少しだけ涼しくて懐かしくて、僕はふと、ずっと前にこの場所で火薬の匂いをかいだことがあるという、強いデジャヴを感じる。あるいはずっと未来に、陽菜さんの隣でふたたび同じ匂いをかぐことがあるのかもしれない。そうであってほしいと、自分でもたじろぐぐらいの強さで、気づけば僕は願っている。」(125頁)
  • 「そもそも天気とは天の気分」
    • 「「天の気分は人の都合などに構わず、正常も異常も計れるものではない。そして我ら人間は、湿って蠢く天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ仮住まいをさせていただいているだけの身。昔は皆それをよーく知っておった」」(141頁)
  • この話が周回済みであることを匂わせる伏線【2】須賀さんの場合
    • 「ただ奇妙なことに――どれほど考えてみても、俺はやはり思うのだ。たとえば過去の自分にアドバイスが出来たとしても、たとえば人生を何度やりなおせたとしても――俺はきっと帆高に出会った瞬間から、同じ選択を何度でも繰り返してしまうだろう。奇妙な確信を持って、俺は今でもそう思うのだ。」(145頁)
  • 人柱とか人身御供の話が出てくるとねこねこソフトを思わずにはいられない
    • 「昼間の公園で、私が陽菜ちゃんに話したこと。「天気の巫女は人柱」だと語ったあの神主さんの言葉を、私が陽菜ちゃんに伝えたこと。それがこの雨の原因であるような気が、私はしているのだ。」(180-181頁)
  • この話が周回済みであることを匂わせる伏線【3】並行世界統合思念体
    • 「雪が雨に戻ったのか、窓の外からはふたたび強い雨音が聞こえてきていた。でもそれはもう、以前のような暴力的な音ではなかった。もっとずっと柔らくて親密で、まるで僕たちのためだけに奏でられた、遠い太鼓の音色のようだった。遠い場所から長い時間をかけて届く、特別な太鼓だ。その音は僕たちの過去も未来も知っていて、どんな決意も選択も決して責めず、すべての歴史を黙って受け入れてくれるのだ。生きなさい、とその音は言っていた。生きなさい、生きなさい。ただ、生きなさい。」(199頁)
  • セカイ系できなかったことへの後悔
    • 「なぜ、天気なんてどうだっていいんだと言えなかったんだろう。晴でも雨でも、君さえいればそれでいいのだと。なぜ言えなかったのだろう。ねえ、陽菜さん。君のために――僕に出来ることはまだあるの?」(249頁)
  • セカイ系する
    • 「「もういい!」僕は怒鳴る。陽菜が驚いた顔をする。僕は決めている。他のことなんてどうだっていい。神様にだって僕は逆らう。言うべきことはもう分かっている。「もういいよ!陽菜は晴女なんかじゃない!」見開いた陽菜の瞳に、激しく明滅する稲妻が映る。雷鳴に振動する雲間を抜け、僕たちは積乱雲の下をまっすぐに落ちていく。眼下には輝く東京の街がある。街と陽菜に、僕の手は近づいていく。僕は陽菜に叫ぶ。そう、言うべきことは分かっている。「もう二度と晴れなくっていい!」陽菜の瞳に涙が沸きあがる。「青空よりも、俺は陽菜がいい!」陽菜の大粒の涙が風に舞い、僕の頬にあたる。雨粒が波紋を作るように、陽菜の涙が僕の心を作っていく。「天気なんて――」そしてとうとう僕の手が、「狂ったままでいいんだ!」陽菜の手をふたたび掴む。陽菜がすかさず、僕のもう片方の手を取る。僕たちは両手をきつく握り合う。視界が、世界が、僕たちの周囲を回っている。めくるめく世界の真ん中で、僕たちは手を握り合って舞っている。陽菜の顔がそこにある。お互いの呼吸が近い。風に躍るその長い髪が、僕の頬を優しく撫でる。涙が溢れ続けるその瞳は、僕だけが知っている秘密の泉のようだ。太陽と青空と白い雲、光を浴びて輝く陽菜と眼下の街を、いっとき、僕は目に焼き付ける。そして微笑んで、彼女に言う。「――自分のために願って、陽菜」陽菜も微笑む。そして頷く。「……うん!」僕たちは目をつむる。握った両手をお互いの額に押しつける。そして願う。僕たちの心が言う。体が言う。声が言う。恋が言う。生きろと言う。」(265-267頁)
  • 不完全な社会や自己を受け容れるということ
    • 「すごすごと戻ってきた僕を、両親も学校も不器用に――それでも温かく迎え入れてくれた。あれほど窮屈だった父も学校も、戻ってみればそこは当たり前の生活の場所だった。僕自身が不完全であるのと同じように、大人たちもまた等しく不完全なのだ。皆がその不完全さを抱えたまま、ごつごつと時にぶつかりながら生きているのだ。僕は、気づけばそれをすんなりと受け入れていた。そのようにして、僕は島での高校生活を再開した。」(275頁)
  • 主体的な意志決定によるセカイ系の実現
    • 「違った。そうじゃなかった。世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ。あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを。世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただともに生きていくことを。」(290-291頁)
  • 「あとがき」より セカイ系上等!
    • 「〔……〕自分なりに心を決めたことがある。それは「映画は学校の教科書ではない」ということだ。映画は(あるいは広くエンターテイメント)は正しかったり模範的だったりする必要はなく、むしろ教科書では語られないことを――例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いを――語るべきだと、僕は今さらにあらためて思ったのだ。教科書とは違う言葉、政治家とは違う言葉、批評家とは違う言葉で僕は語ろう。道徳とも教育とも違う水準で、物語を描こう。それこそが僕の仕事だし、もしもそれで誰かに叱られるのだとしたら、それはもう仕方がないじゃないか。僕は僕の生の実感を物語にしていくしかないのだ。いささか遅すぎる決心だったのかもしれないけれど、『天気の子』はそういう気分のもとで書いた物語だった。」(295-296頁)