【巡検メモ】博物館等施設見学11日目 群馬滞在編④集めろ古墳カード!第2話「西毛編」

すぐに古墳を見つけられず、ウロウロと彷徨い、古墳カードの配布場所で悠長に展示を見ていたら、瞬く間に時間が過ぎ去り、最後の方は駆け足気味でろくに展示を見ずカードだけもらう状態になってしまった。あくまでもポイントラリーは周遊のための動機付けであり、本来は地域の博物館が地元の歴史をどのように語り後世へ伝えようとしているのかを視察し比較するのが目的であったのに、ものの見事に本末転倒であった。


綿貫観音山古墳&高崎市民俗資料館

  • 6世紀前半の前方後円墳。三人童女の埴輪と横穴式石室で有名だが、現地に復元されているわけではないし、石室は閉ざされていて見ることができない。出土品の関連施設は県立歴史博物館であるが、古墳カードの配布場所は何故か高崎市民俗資料館。勿論、高崎市民俗資料館で出土した埴輪や副葬品を見ることは出来ないし、高崎市民俗資料館が推しているのは、元島名将軍塚古墳である。
  • 高崎市民俗資料館では、主に昭和戦初期の民俗資料を見ることができるが、二階の一番奥の部屋では高崎藩の展示となっており、各藩主の変遷と高崎城のミニチュアをみることができる。かつて教員養成学校に居た頃、人文地理学で城下町図と現代の地図の比較を課題レポートでやったが、ここを知っていればもっと良いものが書けたかもしれない。

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伊勢塚古墳・七輿山古墳・藤岡歴史館

  • 伊勢塚古墳は6世紀後半の円墳だが、解説には不正八角形墳とあった。八角形墳って7世紀中期以降のオオキミ家の古墳じゃなかったっけ?と時代と形に疑問を持ち、のちに藤岡歴史館の受付に聞いたが、答えは無かった。伊勢塚古墳は細い道の先にあり、民家に隣接しているので、見つけるのが少しだけ大変かもしれない。
  • 七輿山古墳は公園として整備されている。6世紀前半の前方後円墳である。藤岡市はかつて緑野と呼ばれ、オオキミ家の直轄地である屯倉が設置されたので、埋葬されたのも畿内から派遣された人物ではないかと考えられている。出土品の埴輪「7条突帯円筒埴輪」もオオキミ級の古墳の円筒埴輪しか見られないカタチであるとのこと。
  • 藤岡歴史館では、古墳以外にが中世の平井城と金山城に関する出土品が展示されている。かつて博学連携の関係上、学芸員の資格を持っていた縁で博物館で勤務したことがあったが、企画展の際にここに平井城と金山城の出土品を借りに来たことがあった。まぁ私は単なる運搬要員とドライバーであったが。その他宮崎駿の『風立ちぬ』がブームになったせいか、堀越二郎の展示もあり、その生涯と烈風改についてよく分かるようになっている。

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山上古墳・多胡碑記念館

  • ユネスコ「世界の記憶」に登録された上野三碑。山上碑は、長利という僧侶が母親の供養のために建立した碑文だが、その母親が葬られているのが山上古墳である。古墳に埋葬されている人が分かっている貴重な古墳であり、石室の奥には馬頭観音がある。
  • 多胡碑の直ぐ近くにたっているのが多胡碑記念館。多胡碑は律令制下における地方支配システム国-郡-郷-里制が述べられており、新たに多胡郡が新設されることを記念したものである。これを見た時に、じゃあ当時の上野国の行政区分はどのようになっていたのかや、多胡郡の郡衙は見つかっているのかなどが疑問に思ったが、多胡碑記念館に解説パネルがあり、疑問は解消した。郡衙も最近見つかっている。ただ多胡碑記念館は順路と展示品に問題があり、訪問者は一刻も早く上野三碑の知識を得たいだろうに、上野三碑の展示は一番最後であり、辿り着くのが大変である。世界の碑文や文字の展示も良いのだけど、訪問者は上野三碑について知りたいねん。

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簗瀬二子塚古墳・安中市学習の森ふるさと館

  • このポイントラリー最大の難所。安中市は遠い上に、古墳がある簗瀬と資料館がある上間仁田の間も結構距離がある。簗瀬二子塚古墳は、6世紀初めの前方後円墳であり関東地方で最も古い時期に作られた横穴式石室で有名。解説では「前橋市の前二子古墳と同時期で、羨道が非常に長く、玄室の内側全体にベンガラという赤い顔料がぬられている点が共通している」と述べられているが、簗瀬二子塚古墳の石室は封鎖されている。

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観音塚古墳及び高崎市観音塚考古資料館

  • 資料館は16時に閉まってしまうので注意が必要である。観音塚古墳は6世紀末の前方後円墳であり、石室の作り方が巨石を用いた奈良県の石舞台と類似している。第二次大戦の際の防空壕づくりの際に、出土品が大量に見つかったとのことである。出土品としては承台付銅鋺が有名。

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