雑録

第二次世界大戦【1】満州事変と日中戦争

(1)日本の恐慌

  • 戦後恐慌(1920):第一次世界大戦による好況の反動。株式市場は大暴落し、繊維・米をはじめとする商品価格も大暴落を続けた。
  • 震災恐慌(1923):関東大震災による東京や京浜工業地帯の壊滅で起こった恐慌。
  • 金融恐慌(1927):震災手形(関東大震災により元気かできなくなった手形)の処理をめぐって片岡直温蔵相の失言(渡辺銀行が経営しているのに破綻したと述べる)で取り付け騒ぎ
  • 昭和恐慌(1930~):世界恐慌の時期に金解禁をしてしまったがために正貨の大量流出、企業の短縮操業と倒産、賃金引き下げを招き深刻な恐慌状態を引き起こした。さらには生糸・繭価の暴落と豊作による米価下落で農業恐慌をも引き起こした。そして翌31年には東北大飢饉が起こり、農村困窮が深刻化。間引き、欠食児童、娘身売りが続出。
    • ※既成政党は政権争いを続けて国民の信頼を喪失。既成政党は既得権益を持つ社会的上層部を支持基盤としていたため、都市労働者や農民の意見を集約する政党が皆無。軍部は経済危機を大陸での支配権拡大で解決することを主張。一般国民はこれに期待をかける。

(2)1930年代日本

  • 1931年
    • 9月 柳条湖事件関東軍が満鉄路線を爆破。中国軍の行為と主張して軍事行動を開始した。
  • 1933年
    • 2月~3月 日本軍、熱河占領:満州国と河北省の中間にある軍事的な拠点。満州国編入
    • 3月 国際連盟脱退…満州国からの日本軍撤兵勧告に対して連盟脱退。
    • 5月 塘沽停戦協定…国民政府は日本の満州熱河省の支配を事実上黙認。
  • 1934年
    • 12月 海軍軍縮条約破棄 ⇒ワシントン・ロンドン両軍縮条約破棄(失効は36年12月)。海軍拡張始まる
  • 1935年
    • 冀東防共自治政府…日本が河北省東北部に設立させた傀儡政権。日本商品密輸の拠点。
  • 1937年

(3)安内攘外

  • 蒋介石の方針は「安内攘外」…国外の敵を討つためには、まず国内を平定しなければならないという考え。満州事変などの日本の軍事対応よりも、国内の統一を優先した。
  • 蒋介石の統治
    • A)関税自主権の回復(1930)…1928年の北伐完成後蒋介石は国内統一を進め、列強に対しては不平等条約の撤廃を働きかけ、30年に関税自主権を回復させた。ちなみに領事裁判権の撤廃は太平洋戦争勃発後、列強が中国の協力を必要としてからである(1943)。
    • B)瑞金制圧(1934)…国民政府軍の包囲攻撃で中華ソヴィエト共和国臨時政府の首都瑞金を制圧。
    • C)幣制改革(1935)…それまで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣は各銀行が発行していたため、通貨価値や通用範囲が不安定だった。国民政府は銀を禁止し、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を法定通貨=法幣と定め、金融的統一を推進した。これにより国家独占資本的金融支配が確立し蒋介石の権力が強化された。
  • 共産党の動き
    • A)長征開始…34年10月、南京国民政府軍の包囲攻撃を受けて瑞金を放棄して大移動を開始。
    • B)遵義会議…35年1月、モスクワ留学派からゲリラ戦を主張する毛沢東に党の指導権が移る。
    • C)八・一宣言…35年8月「抗日救国のために全同胞に告げる書」。日本帝国主義の侵略に対して、内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を訴えた。
    • D)延安到着…36年10月、陝西省北部の小都市。瑞金から延安まで1万2500㎞を移動した。

(4)西安事件 1936年12月12日

  • 蒋介石は「安内攘外」により共産党との戦いを優先させていた。当時張学良は西安共産党と対峙していたが、蒋介石が対共産軍作戦の督促にやってくると武力で監禁。共産党周恩来の説得により内戦の停止の合意が成立。以後抗日のための統一という歴史的転換が進展。

(5)日中戦争

  • ①盧溝橋事件(1937.7)…日本と中国の軍事衝突。日中戦争の発端となる。
  • ②第二次国共合作(1937.9)…国民党と共産党が協力。共産党の紅軍は蒋介石の指導下に入り、八路軍と改称。
  • 南京事件(1937.12)…南京占領に対し多数の捕虜・民間人を殺害。国際的な批難を浴びる。
  • 重慶政府(1938~46)…国民政府は南京陥落後も武漢、さらに奥地の重慶に遷都して、ソ連アメリカの支援を受けつつ、抗日戦を継続。日本は短期間で中国が屈服すると思っていたが、長期戦に突入した。
  • ⑤近衛声明 (1938)
    • 第一次(1月):トラウトマン和平工作が難航すると「国民政府を相手とせず」と唱え和平への道を閉ざす
    • 第二次(11月):戦争目的を「東亜新秩序」にあるとし日満華の提携をうたい、英米仏が優位を占める旧秩序を否定し、侵略戦争を正当化しようとした。当初は経済ブロックの形成であったが「大東亜共栄圏」にまで拡大された。
    • 第三次(12月):近衛三原則。東亜新秩序の原則を具体化。中国和平の基本方針として善隣友好・共同防衛・経済提携の3項目を示す。汪兆銘工作を本格化させ、重慶を脱出させ日満華三国による政治的・経済的提携と防共体制を呼びかけた。
  • 汪兆銘政権成立…蔣介石のライバルの汪兆銘日中戦争における共産主義勢力の拡大を嫌い、第三次近衛声明に応じて重慶を脱出。1940年3月に南京に新国民政府を樹立。日本の傀儡政権にすぎず弱体。

(6)日ソ衝突からの南進論へ

  • ①張鼓峰事件…1938年7月、ソ満国境東部で日ソが武力衝突。ソ連の猛反撃により日本は敗北。
  • ノモンハン事件…1939年5月、満州西北部満蒙国境でソ軍戦車部隊に壊滅的な打撃を受け日本は大敗。
  • ③南進論の浮上;中国東北地方・シベリアを目指す北進論に対し経済資源確保のため東南アジア進出を目指す。