- 概要
- 1914年のシーメンス事件により海軍に対して国民の不信感が募ったため、国民の海軍離れを防ぐべく、国民に身近な存在として通俗的なアピールをする必要に迫られた。そこで海軍軍拡のための国民的組織として1917年に設立されたのが海軍協会であった。だがその前に軍拡の見通しが立ったので(1916年度予算で長門、1917年度予算で陸奥・加賀・土佐・天城・赤城の経費が帝国議会を通過)、国民的組織化路線は変更される。
- 1922年、ワシントン軍縮により世論対策が軍拡から軍縮へと変化した。軍縮の不当性を世論に訴える必要があった。それ故、海軍軍事普及委員会を設立することとなった。だがこの普及委員会時代は世論誘導の側面は少なく、通俗的な海軍理解を目指すものであった。
- 転機となるのが1930年のロンドン軍縮条約。ここからプロパガンダ政策が積極的に行われるようになり世論誘導が目指された。そのために海軍軍事普及委員会は海軍軍事普及部となり、国民世論を味方につけるため様々な方策が取られる。本論文では海軍省パンフレットの分析が行われる。海軍省パンフレットは専門性が高かったので一般国民を誘導するほどの理解度は得られなかったとし、海軍は国民との距離感を埋めることに長けていなかったと評価できると結論づけている。
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一 海軍省海軍軍事普及部の設置経緯
設置経緯
- シーメンス事件による民衆の海軍離れ
- 海軍協会
- ロンドン軍縮による転換
- 海軍軍事普及部規定 (「海軍軍事普及部規定 昭和7年10月1日」、海軍省編『海軍制度沿革 巻二』原書房、1971年)
- 目的 →「第一條 海軍軍事二関スル宣伝普及ヲ図ル為海軍省内二海軍軍事普及部ヲ置ク」
- 業務内容 →「第二條 海軍軍事普及部ハ軍事宣伝、普及二関スル左ノ事項ノ研究、調査及立案ヲ掌ル」
- 一 海軍二対スル内外世論ノ指導及宣伝二関スル計画
- 二 内外二対スル所要情報ノ発表並二通報二関スル事項
- 三 宣伝及普及二関スル各方面トノ連絡二関スル事項
- 四 諜報及宣伝ノ防衛二関スル事項
- 五 内外新聞、雑誌及写真ノ検閲二関スル事項
- 六 部外二発表セントスル諸原稿二関スル事項
- 七 一般軍事普及二関スル計画
- 八 宣伝用図書類ノ作製及配布二関スル事項
- 九 部外海軍見学者其ノ他ノ指導二関スル事項
- 林氏の評価
二 海軍協会・海軍有終会との連関性
- 海軍関連組織
- 海軍協会…上述参照。1917年に設立された海軍を支持する民間団体。機関紙は『海之日本』。
- 海軍有終会…財団法人という位置づけで1913年に設立。退役した海軍軍人が海軍をめぐる世界情勢や政治的動向を知る役割を担う。機関紙は『有終』
三 関根郡平大佐と海軍省パンフレット
- 海軍人事普及部の人材
- 海軍省パンフレットとは
- 軍縮問題に対峙するための思想誘導の一環として作成されており、海軍軍事普及部に改編されてからは、関根を中心とした委員が執筆
- 外交および対外問題を重視しており、国民精神の先導(ママ)を企図した内容は薄い
- 関根の言説の分析
- 関根の文章を4つ紹介
- 『国防画報 海軍篇』(1931年12月)、『帝国の国防と海軍 海洋力の影響』(1932年10月)、『海軍々備縮小に関する帝国政府の新提案に就いて』(1932年12月)、『帝国の連盟脱退と国際情勢』(1933年5月)
- 林氏の評価
- 関根の言説には一貫して対外平等性への訴えが存在している。海軍は自国をめぐる世界情勢を客観的かつ現実的に受け止めていることが窺い知れる。
- 海軍省パンフレットの内容は専門性が高いことから、一般国民を思想誘導するほどの理解度は得られなかった。
- 関根の文章を4つ紹介
おわりに
- 1930年代のプロパガンダ
- ロンドン軍縮の重要性
- ロンドン海軍軍縮条約がおよぼした政治的波紋はかなり大きく、軍部の暴走化、政党政治の衰退の引き金の一つにもなった。そのことに加えて満洲事変の勃発という複合的な要因が作用することで、軍部が急速に台頭し、政治介入をすることが可能になった。