雑録

福田理「1930年代前半の海軍宣伝とその効果」(『防衛学研究』第33号、2005年、69-88頁)

  • 概要
    • 第一次世界大戦後、総力戦体制の構築が求められ世論形成を行う必要があった。そのためワシントン軍縮後に海軍軍事普及委員会が設立されたのだが、宣伝内容は非政治的なものに限られたので、ロンドン軍縮の際に不十分な対応しか取れなかった。この反省を踏まえて普及委員会は1932年に海軍軍事普及部として再編された。軍事普及部は政治的な宣伝を含め、様々な媒体で世論形成を試みた。本論文の意義は、海軍宣伝の効果を実証するために、当時の新聞・雑誌などのマスメディアを分析したことである。これら出版物の分析により、軍事普及部の海軍宣伝が軍縮体制の打破につながったことが明らかにされた。だが海軍宣伝は地方のオピニオンリーダーによるパーソナルな影響力行使には限界があり大衆自身の能動的な海軍支持運動には結びつかなかった。海軍宣伝に対する大衆の意識については当時の大衆の日記等の研究が必要となる。

はじめに

  • 問題提起
    • 海軍のプロパガンダは社会的な影響力が低く、また、国民を煽動するような要素はなかったのか。

  • 本論の趣旨
    • 海軍のプロパガンダの実相を、2つのロンドン軍縮会議(第1次及び第2次ロンドン会議)における海軍兵力量確保に関する世論支持を得るための宣伝を通じて考察する。

  • 本論におけるプロパガンダの射程
    • 軍事普及部設立以降については設立時に示された同部の設立目的等から、直接的、間接的なものを含めて全て海軍自身の政治的主張を国民に理解させることを目的の1つとして行われたプロパガンダ(宣伝)と捉える。

1.海軍の宣伝活動

(1)第1次ロンドン会議時の宣伝活動

ア.活動の概要
  • 海軍軍事普及委員会(1924年4月成立)
    • 海軍軍事普及委員会は規模は小さく、政治的な世論操作はせず
      • 委員長は軍務局長の兼務であり、宣伝は政務事項の不随事業
      • 活動の主目的は純粋なPR業務(政治的主張と結びつけていない宣伝)
      • 海軍省年報統計(1929-41)における宣伝実施回数及び参加者は1930年当時にはそれ以降ほどの宣伝規模ではなかった。
      • 『官公庁図書目録』では1930年発行のパンフレットは4冊あるが、軍縮に関するものは1冊(「倫敦会議の経過概要」)のみ。宣伝冊子類全体として政治的な世論づくりを主目的に作られたとは考えにくい。
イ.海軍省軍縮宣伝対策
  • 新聞の利用の試み
    • 海軍はワシントン会議の失敗の一因が新聞と海軍の意思が疎通しなかったことにあると考えていた。第1次ロンドン会議に際し、山梨、野村、小林、末次といった海軍首脳は朝日新聞主筆緒方竹虎ら新聞社の代表を招いて小宴会を開き、政府・海軍の方針を示し支持を取り付けようとした。
    • 海軍の要望を取り入れて、大新聞は軍縮の成功を望むとともに7割は国防の制定限度であるとする主張を掲げたが、対米7割案は軍縮会議において米英の賛同を得られなかったので、各新聞は引っ込みがつかなくなってしまった。そのため、譲歩してでも会議を成功せしむべしという論説を掲げ、7割要求に固執すべからずとする主張を強く表面に出してゆくこととなり、新聞社を追い込んでしまった。

(2)第2次ロンドン会議に向けた対応

ア.組織改編
  • 海軍軍事普及部(1932年10月軍事普及委員会を改編)
    • ①軍務局の下にあった委員会を独立させる(普及部委員長は専任少将、初代は塩澤幸一)
      • 普及部委員長には、日比野正治、坂野常善、野田清が就任。国際会議随員や大使館附武官経験者であり、軍縮条約や米英の海外事情について専門的な知識を有する者が充てられた。
      • 彼らが起用されたのは、部外に向かって軍縮の具体的な情況や海軍の主張を説明すること要求されたため。
    • ②専門のプロパガンダ組織として機能充実を図る。
      • 従来のPR機能を引き継ぐとともに、世論指導機能、情報発信機能、検閲機能の3つの機能が加えられ、制度的に政治的プロパガンダを実施する体制が整う。
    • ③『海軍軍事普及事務ニ関スル件通牒』(1937年12月)
      • 軍事普及部が関連業務に関する部内の指揮統制権についても得ることとなる。

  • パンレット数の増加
    • 1930年が4冊、1931年が6冊だったのに対し、以後3年間は26、20、17冊に及ぶ。
イ.新聞報道への働きかけ
  • 軍事普及部の世論対策
    • 国内言論機関で最大の規模、影響力をもっていたのは、新聞及び各通信社。軍事普及部の働きかけは大新聞を中心に行われた。
    • 都市部を中心とする大新聞12社を直接指導することとし、その中でも東京朝日、東京日日、大阪朝日、大阪毎日の4社を特に重点的に指導(『昭和10年度海軍軍事宣伝普及実施計画』)。
    • 大半の新聞には海軍関係の報道担当者がおり、海軍省内に事務所を置いたいわゆる記者クラブである「黒潮会」に所属。この「黒潮会」を通して指導統制を行った。

  • 間接的な世論指導
    • 基本的には記事差止等の強圧的手段に出ることをせず、問題が発生する毎に座談会を開いて意見交換を行った上でやんわりと働きかけを行う方法が取られた。直接的な方法よりも間接的なアプローチにより新聞記事に影響力を与える方法を好んだ。
    • 1934年から1936年の間、海軍関係の問題について海軍は特別な関心を示さず、日本の艦隊を数字を用いて論じたものを差し止めはしたが反対意見については寛容であった。
    • 1936年1月に行われた部内軍事普及関係者の会合では、軍事普及部一課長(新聞担当)自らが軍事普及部の業務は「指導統制」ではなく「連絡総合」であるとの発言をし、また参加者から陸軍志貴の積極的な「国民について来い式」宣伝・指導についても否定的な意見がでるなど、直接的な方法をあまり好まなかった様子が示されている(海軍軍事普及部『海軍軍事宣伝普及事務打合実施経過ノ件報告』軍普二機密第6号、1936年1月29日)。
ウ.娯楽を通じた宣伝
  • イメージ宣伝
    • 庶民娯楽の利用や芸能界との提携により、庶民の娯楽を通して、国民が海軍に対する関心をもつことや親しみやすさを覚えてもらうことをねらう。
    • 海軍は自己のイメージについて特に、強さ、明るさを印象付けるよう盛んに宣伝している。
    • 宣伝手段として利用されたのが海軍記念日や観艦式といったイベント、及び雑誌、映画、ラジオといったマス・メディアであり、さらにこの時代に発展した各種大衆芸能。

  • 海軍軍事普及部以降の映画宣伝の特徴
    • 単なる戦争映画を超えた政治的メッセージを前面に出した映画が登場
      • 『海の生命線』(1933)…南洋諸島委任統治諸島の国防上の重要性を描く
      • 『北進日本』(1934)…樺太、千島の国防上の重要性を説く

  • 演劇諸団体との提携
    • 『太平洋行進曲』(1933)…宝塚歌劇団との提携の始まり。海軍記念日関連行事の一環として上演。軍事普及部の酒井少佐作詞、山田耕作作曲による全7景からなる歌劇。当時の新聞によればかなりの反響を呼んだ。

  • 婦人・子どもをターゲットにした海軍宣伝
    • 「婦人及び子供に対しても宣伝普及の目的を達成するがごとき作品特に歌劇、童謡、童話等の作成を促進す」(昭和10年度海軍軍事宣伝普及実施計画)
    • 娯楽的要素のある媒体を通じた宣伝、特に婦人・子どもをターゲットとした宣伝は海軍宣伝の特徴の一つ。

  • 海軍記念日
    • 天皇行幸を伴った国家的行事であった。
    • 艦艇、飛行機、陸戦隊等海軍の部隊装備を見せることを目的の一つとしていた。
    • 相撲、展覧会、映画、ラジオ等娯楽性のあるイベントを実施した。
      • 東京府下では海軍記念日は娯楽性の高いイベント実施の日であり、国民を挙げてお祭りムードに包まれた日であった。海軍記念日関係行事からも海軍宣伝に娯楽性重視の傾向があったことが見て取れる。

  • 観艦式
    • 1930年代前半では、1930年と1933年に実施。
    • 海軍の部隊、特にその中心である軍艦を見せるという要素が強い行事。
    • 軍艦を観するのは本来的には大元帥たる天皇であり一般国民ではないのだが、一般観衆の拝観を許可。
    • 夜間は電灯艦飾、探照灯照射を行うなどしえ多くの観光客を呼んだことが記録される。1933年8月25日の東京朝日新聞の記事によれば推定で50万人もの見物客。
エ.外郭団体による世論操作
  • 海軍協会・有終会の利用
    • 1932年10月の軍事普及部改変後、1933年に『宣伝普及に関し海軍協会及び有終会利用の件』を決定し、海軍は両者の活動を援助し、軍事普及部を含む3者が緊密な協力体制をとることで宣伝活動の効果を挙げるよう計画。

  • 有終会
    • 1913年設立。会員の殆どは退役及び予備役将校。海軍関係の軍事専門的な事項について研究し、発表することが目的。
    • 会員数(1933)…約2000人(『海軍有終会沿革史』)
    • 活動内容…月刊誌『有終』の発刊、ブラッセー海軍年鑑の翻訳、その他の海軍、海事関係図書の発刊。海軍記念日における軍事普及部が計画した講演会において実際の講演を請け負う。

  • 海軍協会
    • 海軍を中心としながらも海事知識一般の普及を目的とし幅広い人々を動員して組織
    • 1917年設立当初は退役将官の有志団体であったが、1932年に改革。
      • 各府県知事を支部長、学務部長を副支部長に委託し、海軍、逓信、農林、拓務等の海洋関係省庁の支援を受ける海事に関する総合的な半官半民団体となる。
    • 軍事普及活動実施団体であると同時に関係各省庁及び地方自治体との協力体制を築く場。
      • 1938年、海軍協会が文部省及び各府県庁と協力し2府6県450名の小学校長に対し海軍軍事講習会を行なう等、各庁間協力の場となっている。
    • 「海」に関するあらゆる団体を結び付け海軍に協力させる

  • 軍事普及推進ネットワークの構築
    • 軍事普及部は外郭団体を通じ関係省庁や海事関係諸団体を統合し、自己の統制下に置きながら互いに協力させることで、地方レベルにおける軍事普及推進ネットワークを構築した。
オ.軍事普及部の軍縮問題に関する宣伝
  • 普及委員会当時の宣伝
    • 普及委員会当時は軍政に関する事項は軍務局の所掌。
    • 普及委員会は非政治的な事項についての記者発表のみを、委員長の指示のもと普及委員幹事が中心となって行う。
    • 委員長は軍政局長の兼務であったので、同一人物が2つの役職を使い分けていた。

  • 軍事普及部以後
    • 「内外に対する所要情報の発表並に通報に関する事項」が所掌となる
    • 海軍省の報道機関としてその時々の時事問題に対して大臣談話等に依らない場合のプレス発表を行うようになる。

  • 軍事普及部の軍縮条約工作
    • 軍縮に関する意見発表は軍事普及部の重要な宣伝事項の一つ。
    • 軍縮に関する軍事普及部の意見は海軍省の意向を表すものとして新聞紙上でも重用される。
    • 防衛軍備に対する権利の平等を、記者発表等を通じ訴え、国際情勢や技術の変化によってワシントン条約における比率制度の下にあっては日本海軍は防衛が不可能であり、軍縮条約が「安心感」を損ねていると盛んに主張。

  • 無条約時代以降の展開
    • 日中戦争開始
      • 大本営が設置され、軍事普及部は大本営海軍部報道部と兼務となり改めて中国における海軍の作戦情況の報道も担当することとなる。
    • 1940年12月以降
      • 内閣情報部が情報局に昇格。陸海軍、内務省及び外務省の情報・言論統制検閲関係機関が統合・吸収される。
      • 海軍軍事普及部は作戦報道のみを軍令部第3部(軍令部第三部長は大本営海軍報道部長を兼務)に譲り渡して、その役割を終了する。

2.海軍宣伝の効果

  • 問題提起
    • 1932年海軍軍事普及委員会を海軍軍事普及部に改組し宣伝戦略を修正したが、戦略の変化によりどの程度の効果が得られたのか。

  • 海軍省年報』(昭和5~10年度)における軍事普及実施状況のデータ
    • ①軍事講演者者数、②活動写真観覧者数、③軍艦見学者数、④軍楽隊音楽聴者数、⑤ラジオ放送回数、⑥新聞雑誌寄稿数、⑦軍需品貸与博覧会数の7項目について、③の軍艦見学者数以外は、1930年の数値を上回る。
    • 特に1934年の伸び率が高いことについて
      • 第2次ロンドン会議及び同予備交渉に向けて、海軍がこの年に質量共に最も活発に宣伝活動を実施した結果。国民の間で海軍に対する関心が高まった結果。数量的データでは海軍宣伝戦略の修正は明らかに効果があったことが認められる。

  • プリンテッドメディア(新聞・雑誌)の分析
    • 考察方法
      • 特徴のある異なった読者層を持つ新聞・雑誌を分析することで、そこに現れた「海軍」に関する痕跡を辿る。そしてそれを元に、軍事普及部の宣伝実施に伴い、人々は海軍に関しどのような知覚を得たのかという、宣伝がもたらした効果を考察する。
    • 考察対象
      • 東京朝日新聞…二大新聞のうちの一つ
      • 政友会及び民政党の政党誌…海軍が政治行動のアクターとして直接的に重要視していた
      • 主婦の友』…宣伝計画により重点を置いていたことが明らかになっている
      • 少年倶楽部』…子どもを対象とした雑誌のうち、規模が大きい
      • 『家の光』…当時農村部で圧倒的なシェアを誇った
    • 掲載比率の分析
      • 1930年に軍縮問題として1度注目された後で低調となり、1933年以降に再び記事数が増える。マス・メディアを介して大衆の海軍に対する知覚も、第2次ロンドン会議に向けて再び増していった。

  • 各メディアを目にした人々が海軍の何を知覚したのか
    • 分析対象のメディアは政治的な面を取り扱ったがどうかで2分される
      • 政治的(東京朝日、政友及び民政の政党誌)→第2次ロンドン会議時において海軍発行のパンフレットの主張に同調し、単純な国防費削減の意見はなくなる。海軍の主張と新聞の論調は時代を下るにつれ類似の傾向を示し、海軍の意図した方向になされていく。
      • 非政治的(主婦の友少年倶楽部、家の光)→海軍を文化的イメージとして捉える。『主婦の友』では伴侶たる男性及び自分の子どもの将来像、『少年倶楽部』では軍艦、軍用機、憧れの職業、『家の光』は陸軍主体であり海軍は遠い存在として距離を置く。

  • 海軍のイメージ宣伝の効果
    • 都市部中産階級女性と少年…海軍がとった強く華やかなイメージをアピールするという宣伝戦略は効果があった。
    • 農村…効果が現れなかった。

  • 海軍軍事普及部への改組と宣伝戦略の修正がもたらした成果
    • 【結果】
      • 政治的事項に関心のあった人々に対し、より海軍の立場を理解させることに成功。
      • 今まで海軍に対して政治的な興味がなかった人々に対しては海軍に対する理解を深めることに成功した←人々が海軍に対して持っていた潜在的なイメージを強調し自己とのつながりを知覚させることによって海軍に対する何らかの共感を得る。
    • 【地域差】都市部では効果があったが農村では効果はいま一つであった。
      • 都市部…海軍が意図した世論の盛り上がりにより政治的中枢にいる人々に圧力をかけるという行為は、実際に政治行動の各アクターの意思決定に作用した。
      • 農村部…海軍に対する認識や存在意義に対する理解が低く、宣伝効果が十分であったとはいえない。当時の物流基盤やリテラシー程度では、新聞・雑誌といった印刷媒体の地方における浸透能力には限界があったことも、地方特に農村部における海軍宣伝の効果が低いことの要因となった。

3.世論形成モデル中での海軍宣伝の位置づけ

  • 海軍宣伝の最終的な形
    • 政治的主張…対外関係の悪化に対して相応の軍事力を保持することにより解決しようとする強硬論。
    • 宣伝手段…なぜ海軍力が必要なのかマスコミを通じて繰返しはっきりと示すことで国民の理解を得ようとする。
    • イメージ宣伝…一般的な海軍に対する理解向上を促進し、人々に対して海軍をより身近で好ましい感じのする存在として認識させる。

  • シンボルとステレオタイプ
    • 海軍が軍艦という力強さを象徴する意匠的なシンボルを持っていたことや海軍士官がエリート階級と考えられていたことは国民の意識の中で「海軍」に対して明確で良好なイメージを形成することを助成する働きをした。
    • 海軍の政治的主張の宣伝とイメージ宣伝は、受け手の中においては両者が「強い海軍に対する身体」というキーワードで結びついて意識され、海軍に対する一種のステレオタイプを形成した。

  • マスメディアの利用
    • 娯楽的な要素を含む様々なメディアで総合的に宣伝を行うことで、海軍は自分の意見を大量に国民に露出することに成功し、海軍の主張は世論において支配的意見となっていった。

  • 海軍宣伝の限界
    • 単にマスメディア上において支配的意見を形成したに過ぎなかった。
    • 沈黙を守り何らかの意見を公然と表明しない大衆については、彼らを反対意見から切り離すことには成功したが、完全に自己の意見の影響下に置いたわけではなかった。
    • 国民の間に積極的に何らかの海軍支持運動を起こさせるという意味においては必ずしも成功したとはいえなかった。
    • 国家総力戦に向けて国民の精神を動員するという意味では十分ではなかった。

  • パーソナルな影響力の欠如
    • 海軍には一般の受け手にパーソナルな影響力を行使できるオピニオン・リーダーが不足していた。
    • 海軍は陸軍と違って実際の部隊と一般国民との接触自体も少なかった。
    • マスメディアの普及率の低かった地方においては知覚の程度も低かった。

おわりに

  • 海軍宣伝の成果:世論誘導による軍縮体制からの脱退
    • 海軍の宣伝活動は第2次ロンドン会議に向けたキャンペーン活動として十分に機能。
    • 予備会商を含む同会議時には、マスメディア上における国内世論は「比率主義」による英米海軍と英米海軍との格差を撤廃し、「軍備平等権」を米英に認めさせることによって会議参加国が「国防の安全感」を得ることを目標とすることで合意が形成される。
    • 比率主義を撤廃するためには既存のワシントン軍縮条約を破棄する必要があり、1934年12月に破棄通告を行うが、国内的には大きな反対論も出ず比較的スムーズに実施することが可能であった。

  • 今後の課題
    • 今回内容分析を行った媒体は、当時発行されていた新聞・雑誌のうち代表的ではあったがごく限られたもの。海軍宣伝の影響力分布上の精緻な地図を作るためには、さらにより多くのメディアを調査する必要があり。
    • マスメディアが有効な範囲でしか海軍宣伝の影響力を示せず。地方の大衆の海軍に対する意識を知るためには、大衆がその意識を綴った日記等の媒体を複数発掘し分析する必要がある。