- 概要
はじめに
- 本稿の課題
第2章 海軍班の設置
第3章 海軍班(部)・分会の活動と「陸海一致」
第1節 海軍班(部)の活動
- 活動内容(海軍班は1933年に海軍部と名称を変更するが活動内容に大差はない)
- 『海軍人事部報』『点呼参会者の為に』などには、動員業務補助、簡閲点呼補助、慰問、葬式、軍事普及、海軍記念日行事の開催、軍艦旗の掲揚、志願兵勧誘、海兵団入団者予備教育、海軍軍事訓練、廃兵器の下付・貸与の申請、献納など。在郷軍人会の事業の中でも特に海軍に特化した内容を行っていた。
- 特に海軍の軍事普及業務を行っており、映画班・講演官派遣要請の方法や、廃兵器下付の申請方法は『海軍人事部報』に掲載され、広く周知された。
- 海軍班長(部長)対象の講習会も鎮守府ごとに実施。佐世保での開始は不明だが、横須賀では1929年から、呉では1932年からほぼ毎年各鎮守府において2日もしくは3日かけて講習会が実施されている。実施内容は年ごとに異なっているが、主たる内容である鎮守府司令長官の訓示、海軍人事部員による講演、最新兵器(飛行機・潜水艦・軍艦など)の見学を含めた軍港・工廠の見学は毎回実施されている。
- 陸軍との問題と海軍の不満
- 海軍班の設置によって、陸軍側には海軍軍人のみで海軍の事業を行うという誤解が、海軍側には陸軍の事業を行わずに海軍の事業のみを行えば良いという誤解が発生。陸軍との関係の中で問題をかかえることになる。
第2節 海軍分会の設置と挫折
- 海軍分会の成立
- 上記の海軍の不満を解消するため、1936年10月在郷軍人会規約改正によって成立。海軍分会は連合分会の下で、通常の陸軍軍人と共同で運営していた分会から分離し、海軍軍人のみの分会を作ることができるとした制度。だが、この海軍分会は、通常の分会としての業務も行うものとされ、海軍のみの事業を行う団体ではなかった。
- 海軍分会は実質的に陸軍の下におかれる組織
- 陸軍の下におかれる組織とした背景には在郷軍人数が少数である地域への配慮がある。海軍分会設置により、海軍に関する事業は海軍軍人のみでやるものと考えられてしまうと、海軍軍人が少数で海軍分会を設置し得ない地域においては、海軍に関する事業の実行が困難となることが想定され、こうした状況に配慮して陸軍の下におく組織としたと考えられる。
- だが陸軍の下におかれている状況に、海軍軍人は不満を抱くこととなった。
- 海軍分会の廃止と海軍部への一本化