- 概要
- 1930年代に拡充された海軍協会の宣伝活動により世論が強硬論に誘導され、軍縮条約体制から離脱することとなった。
はじめに
- 【先行研究】海軍軍縮条約体制からの離脱に関して、海軍の宣伝とそれに煽られ強硬化した世論の重要性を指摘したもの
- 海軍の宣伝力の源泉~海軍協会~
- 本稿の趣旨
- 1930年代の海軍の宣伝政策を、海軍がそのための国民的組織とすべく育成した海軍協会の動向に注目して論じる。
1.斎藤実の海軍協会会長就任
- 強化前の海軍協会略史
- 海軍協会の強化
- 満洲事変と国防宣伝:1931年9月の満洲事変勃発により海軍も国防宣伝の必要性が生じる。海軍は1930年のロンドン軍縮会議における宣伝政策の失敗や、陸軍の在郷軍人会を動員した国防思想普及運動の成功にかんがみ、自己の指導下に国民的組織を持つことの重要性を認識する。そうした海軍が目をつけたのが、一度は国民的組織とすることを否定した海軍協会だった。
- 支部長会議の開催:1931年11月25日、海軍協会にとって多年の宿望でありながら経費上の関係で実現できなかった支部長会議が開かれことから、海軍の宣伝が強化されはじめる。
- 組織改編:海軍協会はそれまで海軍出身者を会長にしてこなかったが、従来の慣例を破り、海軍長老で前朝鮮総督の斎藤実退役海軍大将を会長に迎えることに決定。斎藤を会長に迎えた効果は絶大。5.15事件によって斎藤に組閣の大命が下るも、海軍協会会長を辞することなく従来通り兼務。斎藤会長の首相就任で海軍協会の権威はますます高まる。
2.地方組織の整備と海軍の後援・指導
- 海軍協会の会勢拡大のための様々な施策
- 海軍協会の改革は海軍の宣伝強化策の一環
- 海軍省の海軍協会と有終会の利用
- 『海之日本』1932年7月号巻頭
- 「〔……〕過去の失敗は、主として国民の無関心に基けり。之に憤激して我協会は海、海軍並国防に関する有ゆる知識を国民に普及し、一大国民運動に依て、我海軍国策に寄与する所あらんとす〔……〕」
- 土田氏の論→海軍協会は海軍軍備の英米との「均勢」を主張し、過去において日本が英米に対して劣勢な比率を受け入れたことを「失敗」と位置付け、その失敗の主原因を「国民の無関心」に求めた。そのため、1935年に予定されていたロンドン海軍条約の改定に向けて、「一大国民運動」を起こすという。この運動は「1935・36年の危機」を煽り、ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約体制の打破を目指すものであり、まさに当時の海軍の立場を代弁していた。
3.第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉に際して
- 国民世論を交渉材料として用いる
- 国民世論は、会議からの脱退も辞さない海軍にとっては、主にその主張を貫徹するためのものであり、他方国際協調を重視する外務省や政府首脳にとっては、日本政府の主張はあくまでも国民世論を汲んだもので、政府としては国際協調主義を放棄するものではないことをアピールするためのもの。(「海軍会議予備交渉の方針に関する訓令」1934年9月7日、外務省編・発行『日本外交文書 1935年ロンドン海軍会議』1986年、111頁)
- 海軍協会を用いた世論誘導
- 政府は、軍縮会議関する諸情報を交換し、かつ会議に関する内外宣伝、ならびに世論の指導統制をはかるため、外務・海軍・陸軍の三省で連合軍縮委員会を組織。国内については「公正ニシテ信念アル輿論ヲ喚起シ、明年ノ本会議終了迄之ヲ維持スルト共ニ、将来ニ於ケル帝国ノ立場ヲ有利ナラシムルガ如キ雰囲気ヲ醸成ス」とする。(「海軍軍縮問題に関する輿論啓発の方針について」1934年10月16日、『日本外交文書 1935年ロンドン海軍会議』、121-125頁)
- 海軍協会は政府の方針を受けて宣伝活動を本格化させる。10月15日、海軍協会は海軍軍縮会議に対する決議を行う。その決議内容は反軍縮条約体制であり、政府・海軍の主張に沿ったもの。
- 海軍協会はこの決議を山本五十六代表宛に打電しただけでなく、その英訳を会議参加国米英仏伊の各海軍協会宛に送付。国内では東京を皮切りに全国各地で「軍縮問題大講演会」を開催、その主張の普及に努め、内外の宣伝に従事する(『海之日本』第109号62頁、第110号45-46頁)。
- 1935年3月、海軍協会により招かれた午餐会での山本五十六の発言→「海軍協会は会員に広く各方面を網羅して居り、従てその軍縮問題に関する意見は頗る有力である。世論を指導して吾々を後援せられ感謝に堪えず」(『海之日本』第115号58頁)
4.海軍協会の宣伝活動の内容
- 海軍協会による、組織的かつ統一的に周到な配慮をもって行われていた宣伝
おわりに
- 結論
- 海軍の主導によって海軍協会を利用した従来の軍縮会議の際には見られなかった組織的な宣伝活動が展開され、国内世論は指導、統一され、日本はワシントン・ロンドン海軍軍縮条約体制から離脱していった。
- 1936年1月日本は第二次ロンドン海軍軍縮会議を脱退したが、ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の失効を目前に控えた12月16日海軍協会は、挙国一致して国防上不安なき海軍軍備の整備に努める声明を発表。両条約の不当性を訴え続けてきた海軍協会にとって、ついにその目標が達成された。