【感想】ひぐらしのなく頃に 卒 第3話「沙都子と梨花以外全部マペット」

梨花がどんなに惨劇を回避しようとしても沙都子の掌の上で転がされる様を眺める話。
ふたりの百合的関係性のためだけに他のキャラの悲劇がスナック感覚で消費されていく。
ひぐらし(ゼロ年代)が単なる沙都子の復讐の道具となってしまっているのがとても悲しいなぁ。
OPで彼らが沙都子に対して怨念を向けるのはある意味しっぺ返しかもしれない。
フツーに考えると沙都子に呪詛返しが来るオチなんだろうけどそれだと短絡すぎか!?

沙都子と梨花以外のキャラが全部マペットにしか過ぎない

f:id:r20115:20210709212011j:plainf:id:r20115:20210709212016j:plain

  • クレイジーサイコレズに囚われる沙都子に救いはないんですか
    • 結末を一度見せた上で、その裏事情を別視点から提示するのが「明し」シリーズ。今回はレナサイドが提示され、レナの狂気と梨花ちゃまカウンセリングの陳腐さが描かれました。いくら梨花があがいても沙都子によりバッドエンドになってしまうという構造が示されたのです。祭囃し編を履修している梨花が、従前の知識を活かして、しめしめうまくいったと思ったところで、しまいには梯子を外されてこんなはずではなかったするところを見るのが趣旨なのかもしれない。
    • 惨劇を防ごうとする梨花に対し、あらかじめ答えを知っている沙都子が任意に雛見沢症候群を起こして妨害し、梨花の心を折る戦い。それがひぐらし業&卒。ゼロ年代同人版ひぐらしが面白かったところは、運命に囚われていた梨花に対し、本来ならば舞台人形にしか過ぎなかった圭一が運命を変える力を見せたことでした。つまりはマペットであっても運命を変える鍵となったところがミソだったわけですね。
    • しかし、20年代ひぐらしを見ていると、登場人物たちはみんな紙人形。沙都子に利用されているに過ぎず、彼らが沙都子のクレイジーサイコレズの呪縛を説くことは無さそうです。以前の「騙し」編シリーズを見ていると、どんなに梨花が頑張ってもバッドエンドになることは確定しているので、ここから全部沙都子によって惨劇が引き起こされていく様子を視聴させられるかと思うとちょっとしんどいね。
    • 圭一たちによって沙都子が改心するのは道徳的すぎますし、だからと言って圭一たちが全ては沙都子の仕業と知って沙都子を白眼視するのも予定調和すぎるオチな気がします。梨花が心を折って雛見沢から出たいという気持ちを失い沙都子大勝利ということにはお話的にならないでしょう。そうすると残るは梨花が沙都子の真相に気づいて対決するという展開になるのでしょうが、高校行ってからの梨花の酷さを知っている視聴者からすると、素直に梨花を応援することもできません。名作をいじくり回して台無しにすることだけは避けて欲しいところですが、スタッフは20年代ひぐらしを復活させた意義を示せるのかどうか。

f:id:r20115:20210709212050j:plainf:id:r20115:20210709212056j:plain