こづかい万歳50話で描かれる衰退国日本の表象~「平凡」な暮らしは令和において追い求めるべき「社会的ステータス」であることについて~

財布を落とした主人公がこれまで出会ったこづかい超人たちのスキルを応用しながらゼロ円生活にチャレンジする話。
今回はなんとこづかいゼロ円の生活を送る超人が登場する!だが彼は最近までは月に2万程度使っていた。
驚いた主人公がその理由を尋ねると、彼は求めていた「平凡」な暮らしを手に入れたのだという。
ゼロ円超人は、妻子と共に円満な家庭生活を送ることに、人生における安寧を見出したのだ!
規則正しい生活、栄養バランスのとれた3食の食事、8時間の睡眠、妻子との団欒、健全な娯楽。
これらがあれば嗜好品など必要なく、こづかいなど使う機会は減っていくという持論が展開される。
だがそこで描かれる理想とされる「平凡」な暮らしは昭和平成の理想像であり、令和日本で実現するのは大変難しい。
昭和平成の「平凡」な暮らしは、令和では追い求めるべき「社会的ステータス」となっているのだ。

衰退国日本のディストピア!「平凡」な生活という桃源郷

「平凡」を求める男性の現実的な生活

これまで「ステーションバー」や「会社推しおじさん」など様々な題材から衰退した日本をコミカルに描き出してきたこづかい万歳。今回は「平凡」な生活を理想とするおじさんが題材となる。

シナリオの流れとしては以下の通り。財布を落としてショックを受ける主人公の前にこづかいゼロ円超人が現れる→彼の人生観に刺激を受けた主人公が自分もゼロ円生活にチャレンジ→これまで出会ってきたこづかい超人たちのスキルを活用しながら彼らの人生を振り返るという総集編的な展開になっている。

では、こづかいゼロ円超人とは一体どのような人物なのか。彼はいたって「平凡」な様子で描かれる。円満な家庭で規則正しい生活を送り、栄養バランスのとれた食事を3食きちんと食べ、8時間しっかり睡眠をとり、妻子との団欒や健全な娯楽で時を過ごすという人生を送っているのだという。だがこれまでの彼は昼食で菓子パンやジュースを飲み食いし、ストレスによる飲酒で月2万浪費してしまっていた。どうしてこづかいゼロ円でもやっていけるようになったのか?彼は規則正しい生活を送るようになってからはカネを浪費する必要がなくなったのだという。

家族との円満な生活があればこづかいなんていらない

そんなゼロ円超人に対し思わず主人公はツッコミを入れてしまう。カネを使わずに生きる人生に何の楽しみや喜びがあるのかと。生きていて虚しくないのかと。超人は答える。自分は「平凡」な人生を送ることが夢であったので、今が十分幸せなのだと。ここで映し出されるのが、孤独な生活を送っている中年独身男性の世界線。彼が結婚できなかったルートである。たった2コマだけなのだが、なかなか衝撃的なものがある。PCの前で寂しく食事を摂りろくに掃除もしない汚部屋で眠るその姿。これこそが衰退した令和日本の一般的な男性の全てなのである。

昭和平成における「平凡」な暮らしというものは、もはや理想とすべき幻想にしかすぎないことを示唆している。だからこそ、令和では「平凡」な暮らしが「社会的ステータス」となっており、それは夢見て追い求める桃源郷だという事実が抉り出されるのである。直截に言えば、令和衰退期日本で昭和平成のような「平凡」な暮らしを送るということは、とても困難な贅沢であることを示しているのだ。

主人公はこのゼロ円超人を模範にしながら、これまで出会ってきたこづかい超人たちの人生を振り返り、そのスキルを応用して、自分もカネがなくとも幸せになれるのだと実感していく。ただこづかい万歳はちゃんとオチがついている。財布が見つかった途端、ゼロ円生活は主人公の頭から抜け落ち、ウッキウキとなってこづかいを使える喜びに思いを馳せるのである。