ジョージ・オーウェル/新庄哲夫訳『一九八四年』(早川書房『世界SF全集10』内収録) の感想

一党独裁が行われている近未来の架空国物語。世界史の文化史あたりではソ連批判として解説されているので馴染み深い方も居られるのはないでしょうか。メディアと言語支配による完全な階級制度の固定化が行われている社会に対して疑念を抱いた一人の男が反逆するのだが、拷問により一党独裁に対して何ら疑問を抱かないようになるまでを描いている。個人的にはこの言語支配の設定が興味深く、言語イデオロギー的なことを卒論でやりたいのですよ。言語支配の一例として英語を簡略化したニュースピークという設定言語があるのだが、語彙を極端に減らすことにより思考の幅を狭めている。解説によると、これはベイシック・イングリッシュに対する批判なのだとか。物語内におけるスローガンは「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」で、作品独自の「犯罪中止・黒白・二重思考」設定がリアリティを醸し出している。

  • 犯罪中止(クライムストップ)とは「自己防衛的な愚鈍」である。党に反する思考そのものの考えを持たないようにするのだ。
    • どんな危険思想を抱きそうになってもその一歩手前で踏みとどまれる能力。
    • 論理的誤謬を見抜けない能力
    • 党にとって有害になりかねない最も簡単な議論でも誤解する能力
    • 異端的な方向へ導きそうな一連の思想に対してそれを撃退する能力
  • 黒白(ブラックホワイト)

敵に対して使用する時は明々白々な事実に反して黒は白いといいくるめる。党員に対して使用する時は、党の規律が要求すれば黒は白だと心から言えることを意味する。然し、それは又、黒は白と信じ込む能力のことであり、さらに黒は白だと認識する能力であり、そしてその反対を嘗て信じていたことも忘れてしまう能力である。

一つの精神が同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方とも受け入れられる能力のことを言う。党の知識人たちは如何なる方向に己の記憶を変造せねばならないかを熟知している。従って己が現実を誤魔化しているのは承知の上だ。ところが二重思考を行使することによって、彼は現実が侵されていないと自分を納得させるのである。その過程は意識的なものでなければならぬ。さもなければ十分な精確によって実行されないであろう。然し、同時に無意識的なものでなければなれぬ。さもなければ、虚偽を行ったという感情、更に罪悪感も伴うだろう。