『車輪の国、向日葵の少女』の感想・レビュー

社会的に排除されてしまっているおにゃのこたちを救うべく社会を相手に反逆を企てる少年のおはなし。シナリオはほぼ一本道で5章から成り立っている。1章がプロローグ、2章がさち、3章が灯花、4章が夏咲、5章が革命編。

さち


怠惰に為替取引だけで金を稼ぐ生産性のない少女の話。さちは幼少の頃ネットカジノに嵌り返す見込みのない負債を抱え込んだままギャンブルに明けくれていた。そのため、彼女に「時間」の概念の大切さを教え込まねば成らない。手っ取り早いのが強制的に労働に従事させることだが、そんなのは永続的なものではないため、またすぐに元に戻ってしまう。大切な事は、さちが自らの意思で、自分の時間を自分の満足の行くように社会的な価値観と照らし合わせて還元できるようにせねばならない。さちには絵の才能があり、かつては有名な賞を取るほどだったのだか、コテンパンに叩かれてもう2度と絵を描かずに怠惰に過ごすようになってしまったのであった。絵を描いたら誰かが喜んでくれると思ったという子供心に誰も喜ぶどころかクレームの嵐というトラウマが染み付いたわけだ。そんな彼女が絵を描くきっかけとなったのが、彼女が拾って妹のように育てた移民の孤児:まなの存在。なんとまなが、金で買い取られることになってしまったのだ。彼女を救うには莫大な金が必要である。その金をどこから捻出するのか。そのためには、さちが絵を描いて完成した作品を賢一が引き取るということになる。怠け癖と戦いながら山あり谷あり作品を完成させる。しかしそれは努力の甲斐も虚しく失敗に終わってしまう。哀れにも売り飛ばされていくまな。しかし、さちには絵を描きながらまなを取り戻すという目標が出来、怠惰な生活からは更生することができたのであった。

灯花


母親の京子から絶対服従を命じられている少女。だが、特に問題が発生しなければその命令は普通のしつけと同じで逸脱したものではなかった。では何故、母親の命令に絶対服従しているのか。疑問に思っているとこへ数々の事実が判明していく。まず初めに、灯花の母親は本当の母親ではなく父の姉、つまりは叔母だったのだ。本当の両親の過度の虐待により裁判所から親権が移されたのであった。その本当の両親が更生し、灯花の親権を戻したいと望んだことから事件が発生。京子は次第に精神が不安定になっていき、灯花はどちらを選ぶか思い悩む。京子自身が「行かないで」と望めば、灯花は京子の下へ残るだろう。だが、京子は灯花が幼少の頃、一度だけ虐待をしてしまったことがあり、それを負い目にかんじていたのだ。そう灯花ではなく、京子に問題があったのだ。京子は幼少の頃厳しく疎外されながら厳しいしつけを受けてきており、その時料理を作っても不味いと見向きもされなかったことから、愛情不信に陥ってたのだ。だがそんな京子に灯花の無限の慈愛が降り注ぐ。あくまでも純粋な灯花の愛情を受け取った京子は灯花と手と手を取り合って生きていく。

夏咲


夏咲は異性と接触できなくなってしまった少女。いや、異性どころか他人と接することを拒絶していた。主人公賢一が過去にまだ健という名だったころ、生きる喜びを教えてくれたのは夏咲だったのに。健は登校拒否気味で頭でっかちなところもあったため、いじめの対象となってしまっていたのだ。そんな健に目をかけ手を引き日常や学校の楽しさを教えてくれたのである。内乱も生き残り明るく元気な彼女が変わってしまったきっかけは冤罪による長期の拘留生活と虚偽の自白を強要されたこと。夏咲はそのオンナとしての淫売により地主の息子を誘惑した云々とレッテルを貼られててしまう。そんな彼女に降り注ぐのは裏切りの連続。いじめられるようになってから情けをかけてくれた少女は実はかつての夏咲を羨んでおり、いざというときに夏咲をいじめの渦中に突き落とす。また、色々と便宜を図ってくれた寮のオジサンが徐々に強姦しようと性的接触を図ってきた。嗚呼、人は信じられない。卑屈になって猫背になりながら誰からも必要とされず、周囲を窺うようにそろりそろりと生き残る毎日。その腐った日常は死んでいるように生きている姿。そんな死んだような日々に何故夏咲が耐えられたかというと、それは両親と健の存在。だがしかし、そんな夏咲に両親死亡のお知らせ。とうとうついに、賢一は自分が健であることを告げ、夏咲の支えとなることを誓う。今こそ、かつて夏咲が健を救ったように賢一が夏咲を救う時だ!!どんな状態になっていても夏咲という個こそが大事だ!!と励まし夏咲の明るさを取り戻す。

璃々子


だれからもその存在を認知されないという制約を負った少女。何人も彼女を見かけたとしても、認知してはいけないという「存在の抹消」という過酷な状態。賢一とは血の繋がらない姉であり、幼少期には影に日向に鍛えまくっていた。革命編での一番の見せ場を作り出す。彼女の主張は以下の通り。世の中のことについて多くのことを「仕方がない」と済ませてしまうのが日常である。そう全ては個人個人は社会というものに組み込まれた車輪の如く、自分の意思で決めていると思っていても、その意思は何かしら社会に組み込まれた範囲内での出来事。つまりは生きることに意味を見出せない、生きることに幸せを見出せない状態は決して甘受していていい状態なのではない!!ということを説いている。現在の世の中は、思考を指定されてしまっているのだ云々と。嗚呼あと特筆すべき点は、「お姉ちゃんと社会の変革に挑む」を選ぶと修正社会主義的な思想を垣間見れます。