雑録

ヘッセ(山本洋一訳)「クリングゾル最後の夏」『ヘルマン・ヘッセ全集』第11巻 臨川書店 2006年 137-197頁

暇つぶしに読む。文学のことはよく分からん。
筋書きとしては、既に名声を得た芸術家が絶えず挑み続けることに煩悶しながら、ついに遺作となる自画像を描きあげるというおはなし。というような感じ。

  • メモ
    • 「実際のところ、こんな絵に価値があるのだろうか?」 「しかたがないから描いているだけのことさ、ねえきみ。気に入った娘をひざの上に抱いて、今日きみの口に合うスープが皿についであったとしたら、そんな狂気じみた子どもの遊びなんかで苦労することはないだろうね。自然には何万という色があるのに、ぼくらはその色調を二十段階に還元させることを思いついてしまったんだ。それが絵なのさ」(147頁)
    • 「僕らの芸術はすべて、単なる代用品でしかない。やりそこなった人生、失った野生、果たせなかった愛を埋め合わせるために、苦労して何十倍も高い代価を支払って手に入れた代用品なんだとね」(149頁)
    • 「誰にでも自分の信仰がある。ぼくが信じているのは唯一没落だけだ。ぼくたちは一台の馬車に乗って、深淵を越えて走るのだ。だが、馬がおびえてしまった。ぼくたちは没落の途上にいる。みんな死ななければならない。そして再び生まれなくてはならない。大いなる転機が訪れたのだ。いたるところで、同じことがおこっている。大戦争が起こり、芸術において大きな変化が見られ、西洋の諸国家が大きく崩壊している。ぼくたちの古いヨーロッでは、かつて自分たちにとって良かったもの、自分たちに固有だったものがすべて死んでしまったのだ。ぼくたちの機械は弾を撃ち続け、爆発することができるばかりだ。ぼくたちの芸術は自殺だ。ぼくたちは没落して行くのだ。友よ、それが運命なのだ。清茢な音調が聞こえ始めた」(174-175頁)
    • 「でも、何のために?何のために、ありったけの紙に絵の具をいっぱい塗りたくるのだ?こんなに苦労して、こんなに汗をかいて、こんなにつかの間の陶酔した創作の喜びを感じるのは、何のためのなのだ?救いがあるのか?安らぎが、平和があるというのか?」(186頁)