アストラエアの白き永遠「水ノ瀬琴里」シナリオの感想・レビュー

水ノ瀬琴里シナリオは「ボッチ系孤高ガールにありがちなこと」。
家族問題からココロを開くことがトラウマとなった少女を解き放て。
自己肯定感がテーマで自分を受け入れる話しにありがちな定型文。
「自分は自分で良いんだと自己肯定できたから周囲から祝福をしてもらえた」
最後の最後で自分の気持ちを相手に伝えられないというのも『かにしの』すみかシナリオ。

水ノ瀬琴里のキャラクター表現とフラグ生成過程


  • ぼっち系孤高ガール
    • 水ノ瀬琴里は孤高ガール。孤独を孤高と読み替えて独りで世の中を斜に構えて生きています。現在の生活に虚無感を抱いており、上から与えられた仕事をただ暇潰しとしてこなすだけの毎日。そんな薄っぺらい生き方をしている琴里を受け入れてあげればフラグは成立さ。打ち込むことのない琴里にとって主人公くんとの異能バトルはかけがえのないものとなっていきます。何事も「勝負」と設定しながらやっていることはどうみてもデートであり、街の見回りとか称して一緒にお散歩します。こうして打ち解けていく二人ですが、ことりはどうしても自分の感情を素直に表現することができません。また、過去に家族に捨てられたというトラウマから全てを切り捨てて生きてきたことにより、どうしても最後の部分で人間関係を信じることができなかったのです。そのため仲の良い生徒会長から「友人」と言われてもその関係性を否定し、主人公くんに好感度MAX状態でも近寄られれば遠ざかり、遠ざかれば寄ってくるという奇妙な関係を展開していくのでした。


  • 家族が好きすぎるからこそ
    • 琴里のトラウマとなっているのも家族問題なのですが、粗製濫造された物語の世界では家族問題はいつだって性善説すぎらぁと思うくらい家族っていいね!という思想が背景にあります。どんなに疎遠になっても対立していてもココロのどこかでは通じ合ってるという考えがあるわけですね。毎回書いてますが、私には受け入れられないので、『暗夜行路』してたくせに『和解』しやがってと思わざるを得ない。そしてとりわけ『かにしの』のすみかのように自分で勝手にファビョって両親は自分のことを好きなのに一方的に家族仲が悪いと思い込み、すれ違いはただの誤解であったという展開になるともうね。琴里も同じで自分は異能を持ったので両親に捨てられたと思い込んでいます。だがそれは琴里が孤独に生きていくために自分で思い込んだ結果だったのです。琴里の家系は居合道の道場を営んでいますが、経営難で琴里に満足な教育を施せませんでした。故に両親たちは琴里を手放し、異能と引き換えに生活や学習環境を保障してくれる機関に預けたのでした。両親が好きすぎる琴里は孤独の寂しさに耐えるために捨てられたと思い込んで自我を保ったのです。主人公くんは家庭問題について思い悩ぬぐちゅぐちゅしている琴里に付き合い、発破をかけ、理解し、支えていきます。こうして家族問題を乗り越えた琴里とフラグ成立。現実を受け入れられるようになった琴里は今まで否定してきたこの世界を受け入れることができ、無事に高校を卒業。卒業式の日には自分がこれまで歩いてきた道のりを振り返り、自分のこれまでの人生を肯定できたのでした。