雑録

群馬戦国!〜大河ドラマ『真田丸』とタイアップ!解説☆群馬県の戦国時代の歴史〜

※『真田丸』や群馬戦国については(6)「上杉・武田・後北条の三つどもえ」から読んでね!

(1)〜(5)は室町時代における関東地方の概略です。

導入


センセ、センセ、真田丸の第1話面白かったですわ。勝頼さまマジ勝頼さま。
先生は見なかったんですか勝頼さま!


ごめんフツーに日曜日の大河ドラマの時間帯は塾講の仕事でした。直前講習でセ試演してた。


先生マジ社畜。専任教諭になったうえに塾講バイトとかマジワーカーホリックですわね。
今回の大河ドラマの第1話勝頼様ファンにとっては永久保存版並みだったとの評価ですのよ。


しかし職場の指導官に聞いたらのっけから岩櫃城攻略戦だったらしくてグソマ帝国臣民超涙目らしいですね。
川越夜戦からの憲政越後落ちで長尾景虎の上野侵攻→武田との争いが川中島から上野に移り、後北条とも「みつどもえ」となる展開はどこいったん?


へー、じゃあ今日は群馬の戦国時代の歴史をやりましょう!!


まず群馬県の戦国時代を理解するためには、室町時代の関東地方情勢を知っていなければならないんだけど。
室町幕府は関東地方に鎌倉府を設置して管轄国を支配させたのは覚えてますよね?
鎌倉公方は当初は室町将軍に服属したんだけど、次第に独立を志向し、対立するようになるのです。


授業でやったわね。上杉禅秀の乱永享の乱結城合戦享徳の乱長享の乱・永正の乱・関東永禄の乱ですわ。
最初こいつら戦乱起こしすぎって思いましたわ。覚えられるかっつーのって感じです。
受験生のことも考えてくださるといいのですが。


乱の名前は確かにネック。群馬の戦国時代は以下の段階で覚えるといいとされている。

  • (1)足利持氏(もちうじ)をめぐる争乱
  • (2)足利成氏(しげうじ)をめぐる争乱
  • (3)山内VS扇谷!両上杉家の対立
  • (4)山内上杉の内紛
  • (5)上杉憲政越後落ち
  • (6)上杉・武田・後北条の三つどもえ
  • (7)秀吉の小田原攻めと家康の関東入府


真田丸』目当ての人は(6)から読んでね!!

(1)足利持氏をめぐる争乱(上杉禅秀の乱永享の乱結城合戦)

  • (1-A)まずは足利持氏を覚えよう!
    • まず中心人物は持氏。日本史は似たような名前が多くて嫌になっちまうぜ。モチウジ!もちうじ!MOCHIUZI!このモチウジに絡んで3つの争乱が発生するのです。
    • (a)最初は持氏が関東管領上杉氏を討伐するのですが・・・(上杉禅秀の乱)
    • (b)その後は逆に持氏が幕府に反発するようになります。すると当然持氏は幕府から討伐を受けることになり死亡。(永享の乱)
    • (c)しかし、それだけでは終わらず、持氏の遺児が擁立されて反乱が起こされます。(結城合戦)
    • なんともはや!寝取り寝取られヤりヤラれって感じですね。

  • (1-B)ふむややこしい。順を追って確認するわね。
    • (a)上杉禅秀の乱
    • (b)永享の乱
      • けどこのモチウジはやっぱりくせ者で、将軍職を狙ったりするのね。結局は「くじ引き将軍義教」の爆誕で駄目だったけど。このように幕府に反抗的なモチウジを、関東管領上杉憲実(ノリザネ)が諫めるのだけど、持氏は憲実を攻めちゃうの。これが永享の乱ね。足利義教が持氏討伐軍を派遣してくれたこともあり、持氏が自害して乱は終結したわね。

  • (1-C)しかし、永享の乱のモチウジの死だけでは、彼をめぐる争乱は終わらなかった!
    • (c)結城合戦
      • なんとモチウジの遺児を擁立して結城氏朝が挙兵し上杉憲実と対決する。結局幕府軍が結城氏を討伐し、遺児二人は斬られるのだが、一人は偶然助かり成氏と名乗って次のステージの主人公となる。ちなみに室町将軍義教はこの後、結城合戦祝勝会で、カモの赤ちゃんカワユスに釣られて赤松満祐に暗殺されてしまう。

  • (1-D)嘉吉の変
    • この足利義教が赤松満祐に殺害されるのがが嘉吉の変(1441)ね。ちなみに義教はくじ引きで将軍になったから恐怖政治してカモの赤ちゃんに釣られて暗殺というネタは鉄板ね。くじ引き×恐怖政治×カモネタ!と受験生は覚えることが多いわ。

(2)足利成氏をめぐる争乱(享徳の乱)

  • (2-A)鎌倉府の再興
    • 次のステージは結城合戦での生き残り、モチウジの遺児成氏(シゲウジ)が主人公です。モチウジにシゲウジなんて覚えにきぃーったらありゃしません。で、永享の乱の後に鎌倉府は一時断絶してしまうんだけど、やっぱり関東統治は難しいんですね。そんなわけで1447年に鎌倉府は再興されます。関東管領には上杉憲実の子;憲忠(ノリタダ)が就任します。

  • (2-B)上杉憲忠足利成氏に殺害される(享徳の乱勃発)
    • そしてまたもや鎌倉公方関東管領の対立ですか?懲りませんわねこいつら。憲忠は成氏邸に誘い出されて謀殺されてしまうのですわ。この享徳の乱は、これまた受験生が錯乱するのだけれど、旧暦の問題で年数がずれるのよねー。享徳3年はまぁ大まかにいって1454年だから用語集とか年表には1454年って書いてあるのが多いんだけど・・・享徳3年12月27日を西暦になおすと1455年1月15日になるのだわ。マジ受験生錯乱。こういうところを先生はちゃんと教えてステータス異常を治すべき。

  • (2-C)関東地方は応仁の乱に先んじて戦国時代に入った!
    • 成氏(シゲウジ)が憲忠を殺しただけでは享徳の乱は終わりません。この後、成氏VS上杉氏・幕府軍の戦いが始まるのです。よく教科書なんかでは関東地方は応仁の乱(1467年)より先に戦国時代に入ったと説明されますね。そしてこの享徳の乱はまた複雑な展開を見せるんですよね。

  • (2-D)足利成氏、古河に逃れる(古河公方)
    • 憲忠(ノリタダ)のあとを次いで上野守護・関東管領になったのは上杉房顕(フサアキ)。このフサアキとシゲウジが戦っている最中に、シゲウジは幕府軍駿河守護今川範忠に鎌倉府を制圧されてしまうの。シゲウジは古河に逃れて古河公方と名乗るわ(1455)。古河はどこか分かる?下総っていうとチーバ君や俺ガイルを思い出すけど、館林のすぐ近くだわ。鶴舞う形のぐんまけんの首の先っちょに近いところだわね。現在の茨城県。ちなみに渡瀬遊水池周辺は群馬・栃木・茨城・埼玉の県境が密集している面白い地域ですわね。

  • (2-F)十子の戦い 上杉房顕死す
    • 上杉フサアキは五十子に城砦を築いて陣を敷き抗争するんだったわよね。だけどフサアキは1466年に五十子の戦いで戦没してしまうのだわ。フサアキの後を継ぎ、次のステージで主人公となるのは上杉顕定(アキサダ)です。・・・こう見ると足利成氏に上杉氏はノリタダ・フサアキって二人も殺されてることになるのね。

  • (2-G)長尾景春の乱で上杉氏は五十子から撤退!
    • この享徳の乱は、なかなか決着がつきません。その後、五十子を攻撃しようとしたシゲウジは、金山城に籠もった横瀬(由良)国繁に阻止されたりしています。そんな中!この戦乱の戦局を変える人物が現れます。それが長尾景春です。長尾氏は山内上杉家の家宰職の家系なのですが、この上杉氏の家宰職の人事に景春が不満を抱くのです。1476年、五十子で長尾景信(【白井】長尾家)が死ぬと、家宰職は【総社】長尾家の忠景が継承することになってしまうんですね。面白くないのは【白井】長尾家で景信の子の景春というわけです。1477年、長尾景春の乱が勃発。景春は五十子を急襲し上杉勢は五十子を退去することになります。
    • こうして古河公方シゲウジと上杉氏は1477年に和睦し、さらに幕府とシゲウジも82年に和睦します。ここまでが享徳の乱です。30年近く戦乱してるんですね。

(3)山内VS扇谷!両上杉家の対立(長享の乱)

  • (3-D)越後上杉家の救済!
    • ここでたしか越後の上杉が助けにくるんですよねー。なんと越後上杉家は長尾能景を派遣。これによって形勢は逆転し、1505年には上杉朝良は降伏。1507年には山内・扇谷両上杉の同盟が再びなるのですわ。

(4)山内上杉の内紛(永正の乱・関東享禄の乱)

  • (4-A)なぜ山内上杉家で内紛は起こったか。
    • 山内上杉家扇谷上杉家の対立が長享の乱で解消されたと思ったら今度は山内上杉家内部で内紛が起こります。原因は山内上杉家の顕定(アキサダ)が死亡したことと、山内上杉家古河公方と結びついていたことが挙げられます。
    • では最初にアキサダの死から見ていきたいと思うのですが、それには越後国の内乱が関係しています。なんと越後国では、越後守護代長尾氏により、越後守護上杉氏が下剋上されてしまうのです。この時アキサダは救援要請されており、越後守護代長尾氏を討伐するために、遠征するのですね。しかし1510年、アキサダは永森原の戦いで撃破され死んでしまった。この後がさぁ大変!

  • (4-B)上杉顕定死後の後継者争い 永正の乱
    • アキサダは古河公方と結びついて養子をとっていたので後継者争いが起こるのですね、永正の乱。アキサダの後は、古河公方から養子にとった顕実(アキザネ)が継ぐのだけど、これに挑戦するのが憲房(ノリフサ)ですわね。さらに古河公方の後継者争いとも結びつき、顕実には2代古河公方政氏が、憲房には3代古河公方となる高基がつくのだわ。結局、顕実と憲房の争いは憲房が勝利し、1512年に山内上杉家家督を継承、15年には顕実の死により関東管領職もゲットするの。

  • (4-C)上杉憲房死後の後継者争い 関東享禄の内乱
    • この【古河公方の子を上杉家の養子としたために山内上杉家の後継者争いが起こる】という構図は再び繰り返されます。ノリフサは古河公方の養子として憲寛(ノリヒロ)を迎えており、1525年のノリフサ死後にはこのノリヒロが関東管領になります。古河公方の養子であり関東管領になったノリヒロに対しこれまた山内上杉家内部から挑戦を受けるのです。ノリヒロに対したのは憲政(ノリマサ)。さらに永正の乱と同じように、古河公方内部でも継承争いが行われ、高基に対して晴氏が勝利をおさめます。構図が似ている永正の乱と関東享禄の乱ですが、後者の方が古河公方山内上杉家の結びつきが弱かったのがポイントです。

(5)上杉憲政越後落ち

(6)上杉・武田・後北条の三つどもえ

  • (6-B)群馬県戦国大名の草刈り場!
    • 長尾景虎の関東遠征によって謙信と信玄の対立が川中島から群馬県に舞台を移すのですわ。1561年、長尾景虎は憲政から関東管領を継ぎ「上杉」を名乗るにいたったのだけど、武田勢も西上野侵攻作戦を開始するのね。そして上杉勢は北条氏の小田原城を包囲攻撃しても結局は落とせず、北条の籠城が成功しているのだわ。こうして群馬県は北条・上杉・武田が激突する舞台となり、「草刈り場」と俗称されるの。こりゃ大河ドラマになるわけね。真田幸隆・昌幸が岩櫃城を攻略したのは1563年ね。これから武田の西上野侵攻は快進撃を続けるのよ。1565年には安中の松井田城、高崎の箕輪城、吾妻の嵩山上、総社の蒼海城が武田に落とされているわ。

  • (6-C)上杉・武田・北条の間で同盟が結ばれたり破棄されたり
    • こうして西上野一帯を支配するようになった武田信玄信濃の大半も領国化したことから、南進策に転じます。1568年に駿河侵攻を開始するのですね。こうして甲駿同盟は破綻します。これを見た北条氏康は、武田から上杉へと外交を転換して、69年に越相同盟を締結します(甲相同盟の破綻)。この同盟によって群馬県は上杉氏の本国であることから上杉に譲渡されるのですが、あっさりと氏康が死亡(71年)。越相同盟を主導していた氏康が死ぬと、氏政は早々に越相同盟を解消し、再び武田と結びます(第二次甲相同盟)。1572年には武田勢の真田幸隆・信繁が群馬県渋川市白井城を占領しています。

  • (6-D)上杉謙信の死 群馬県は武田VS北条 ハイパー真田昌幸タイム!
    • この後1573年に信玄が死んだり、75年に長篠の戦いで勝頼が敗北したりしているのだけど先に手を引くのは上杉なのよ。1578年に謙信が死ぬと、上杉氏は後継者争いである御館の乱が発生するのだわ。これに武田と北条が絡むのが面白いところね。武田は景勝を、北条は景虎を支援することになるの。勝頼は景勝と越甲同盟を結ぶことで上野をゲットしたとするし、御館の乱景虎が敗北すると後北条氏上野国支配権の継承を表明するのですわ。
    • こうして北条と武田は上杉が手を引いた後の上野国支配をめぐって対決していくのよね。ここから始まるハイパー真田昌幸タイム!1579年昌幸は名胡桃城に入り沼田城攻略の拠点とすると、翌80年には沼田城を攻略することに成功するの。ちなみに厩橋城も79年に勝頼方に降り、武田の上野制覇の拠点ともなっているのよ。

(7)秀吉の小田原攻めと家康の関東入府

  • (7-A)小田原攻めの口実は「名胡桃城」
    • 一部の群馬県民にとっては常識なのだけど、秀吉の小田原征伐の口実となったのが真田領であった「名胡桃城」なのですわ。1587年に秀吉によって関東にも惣無事がだされると沼田城問題に決着がはかられるの。沼田城を含む利根川以北が北条領になるのね。けど、後北条氏は89年に真田領であった名胡桃城を攻略しちゃうの。こうして惣無事でてんのになんで攻略するのさ?ああん!?という感じで秀吉の小田原攻めの口実になるのですわ。

  • (7-B)北条氏滅亡後の群馬
    • 1590年に北条氏直小田原城を開城し、秀吉の天下統一が成ったとされています。戦後処理として徳川家康が関東に入府するとともに、沼田城は真田伸幸が支配することになります。で、ここからは皆さんがご存じの通り、昌幸は伸幸を徳川、信繁を豊臣につけてお家存続をはかる展開に。こうして沼田城は真田家が五代に渡り支配していきます。

  • (7-C)沼田真田家のその後
    • けど、沼田真田家は五代で改易されてるのですわよ。しかも信利(澄)の改易理由が磔茂左衛門だから上毛カルタプレイヤーにとっては胸熱な展開ね。磔茂左衛門は沼田城主:真田信利の過酷な年貢・夫役の要求に怒り、幕府に越訴したというの。一揆は全藩一揆にまで発展し茂左衛門は磔刑になったけど、真田信利も改易されたの。こうして真田五代にわたる沼田支配は終焉を遂げたわ。