人生の苦役に対し、女による自己肯定で救いを見出そうとするはなし。
卑屈すぎる主人公くんの自然主義的な醜いまでの内面的葛藤に共感できなくもない。
ヒロインと自己を比較し苦悩しながらも、ありのままの自己を受容するのも良いかと思う。
しかし現実には自分を受け入れ救済してくれる女性など存在しないのである。
困難や挫折は自分で乗り越えねばならず、事実私はそうせざるを得なかったしそうしてきた。
その点で、安易に女により救済されることに関しては色々と複雑な感情を抱いてしまう。
あと1周目の日向子√では主人公の謎とか物語構造はあまり解き明かされずに終わる。
雑感
- 卑屈な主人公くんの内面的な葛藤
- 主人公くんは将来の選択肢に悩める少年です。自分に何ができるのか、気ばかり焦って袋小路にとらわれてしまいます。特に、周囲と自己を比較してしまい、仲間たちが前に進んでいくのをみて、置いてけぼり感を感じてしまいます。そんなわけで主人公くんは勝手に精神崩壊して自滅してしまうのでした。この他者との比較による自己卑下は丁寧に描写されており、その気持ち悪さは(受け入れられない人も多いでしょうが)一読の価値ありだと思います。主人公くんの負け犬根性っぷりをご覧ください。主人公くんが無意識のうちに見下しており安住の根拠としていた日向子が成長するや否や、取り乱し始める主人公くん像は破壊力抜群です。
- 日向子√は謎しかない
- 日向子√では回収されない主人公くんの伏線の張られ方がすさまじい。若者復帰支援プログラムは主人公くんのために作られたユートピア的なユメセカイ?主人公くんは死んでいる?主人公くんの存在は二重の存在で、ヒロインによって肯定されると存在が確定されるという展開なのでしょうか?また主人公くんが抱えている心の闇や「学級委員」というワードがPTSDの引き金になることなどが投げっぱなし。ミリャという少女と主人公くんがどっかに旅立った後、唐突に若者支援プログラム編は終わります。日向子とミリャは幼少期に病院で出会っていた友人であることは判明するが、主人公くんとミリャの関係はいったいどのようなものなのでしょうかね??そして最後はいきなりミリャと日向子がルームシェアを始めてエンドを迎える。ちょっと良く分からない。
- 女による自己肯定をめぐる問題
- 卑屈な主人公くんが勝手に自滅していくのを防ぐのはヒロインの存在。特に日向子は主人公くんがへたれっぷりを遺憾なく発揮すると、その方が人間っぽくていいよと、弱い自分を受け入れてくるのだから、フラグは成立さ。覚醒版日向子先生本当に最強。しかし、この後が、ちょっと安直。今まで自分を受け入れてくれる存在がいなかった主人公くんにとって、安心できる居場所となったのが日向子。アタッチメント?衣食足りて礼節を知るではありませんが、足場が固まって初めて主人公くんは自立できたのです。こうして主人公くんが辿り着いた結論が、選択肢そのものについて知ること。自分の適性を見つけることに拘りすぎて、将来に本当にやりたいことは何か?という自分探しに始終したから駄目だったんだ!!と悟ります。「今までは将来を選択できる程の心の準備が、俺にはできていなかったことに気づいたんだ」!!そんなわけで、まずはどのような選択肢があり、その選択肢はどのようなものであるのかを正確に理解することが肝要であると思い至るのでした。こうして女に自己肯定されて救済された主人公くんでしたが、物語の謎が解明されないまま日向子√は幕を閉じるので、どうなったんじゃい?って感じになります。