観光、ツーリズム、旅行の定義及び旅行業の歴史

  • はじめに
    • 帝国と植民地間の人の移動について勉強しており、満洲におけるツーリズムを調べている。
    • 前回の演習では、ツーリズムや観光の定義、また戦前日本の海外渡航制度についても述べる必要があるとの指摘を受けた。そのため、参考文献を読んでいるのだが、制度そのものの実態はよく分からない。海外渡航を許される資格や制限、手順や手続きなどは法制度などが多分あるだろうから、それを調べるか・・・何か、満洲とは全然関係ない方向に行っている気がするかもしれない。
    • 今回は観光、ツーリズム、旅行の定義及び旅行業の歴史についてまとめた。

観光、ツーリズム、旅行の定義

  • 観光の言葉の定義 1969(昭和44)年観光政策審議会答申
    • 「わが国において観光の定義がされたのは、1969(昭和44)年の観光政策審議会の答申が最初であり、「観光とは、自己の自由時間の中で、鑑賞、知識、体験、活動、休養、参加、精神の鼓舞等、生活の変化を求める人間の基本的欲求を充足する行為(レクリエーション)のうち、日常生活圏を離れて異なった自然、文化等の環境のもとで行おうとする一連の行動をいう」とある。すなわち、1.自己の自由時間内、2.生活の変化を求める、3.日常生活圏外、の行為であり、仕事、ビジネスの旅行を除外して規定している。わが国では「観光」もしくは「観光・レクリエーション」の定義として概ね共通する。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.1)
  • ツーリズムの言葉の定義 世界観光機関ガイドライン
    • 「〔……〕World Tourism Organization(世界観光機関、以下UNWTO)では、ツーリズムを定義する際、世界各国が統一的に統計を整備すべく標準的なツーリズムのガイドラインを示している。「24時間以上、1年を越えない期間で日常生活圏を離れ、旅行、滞在する人々の活動」とビジネス目的の旅行も含めている。除外される行為として、通勤、通学、住居を探す行動(エスキモーや遊牧民)、軍事活動、訪問先で報酬を得る目的の活動(出稼ぎや行商など)をあげている。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、pp.1-2)
  • 「旅行」の定義
    • 日本交通社
      • 「旅行者が自らの旅行を、観光、旅行という用語に対して、どのように意識しているのかについて〔……〕日本交通社が、旅行実施者に深層面接を行い、次のことを明らかにした(日本交通社『観光調査統一化に関する研究』日本交通社、1980、pp.53-69)。「観光」のイメージは、日帰り・宿泊の日程の長さ、非日常生活圏といったことに関係なく、内容から判断をし、「鑑賞・見物」は8割前後の人が観光、「信仰・参詣」は5割前後、「ドライブ」は4〜5割、「休息・休養」、「友人との交際」、「保健・スポーツ活動」、「飲食・ショッピング」は、2〜3割の人が観光と位置づけている。「旅行」と聞くと、距離の概念が入ってきて、1泊以上は問題ないが、日帰りは半日以上をかけないと旅行とはいえないという。」(溝尾良隆編著『観光学全集 第1巻 観光学の基礎』原書房、2009、p.29)
    • 日本観光協会
      • 「1964年から隔年おきに全国の旅行実態調査を実施している日本観光協会では、宿泊と日帰りに分け、宿泊旅行では、目的に関係なく「泊りがけの国内旅行の実施」を確認したあとに、観光レクリエーション(スポーツを含む)旅行、出張・業務などの旅行、帰省・訪問・家事などの旅行とそれぞれの兼観光とに旅行目的を分け、各旅行の参加率と回数を訊ねた後に、観光旅行の実態を分析している。」(溝尾良隆編著『観光学全集 第1巻 観光学の基礎』原書房、2009、p.31)
    • 総理府国土交通省の調査(全9回、2001年調査で終了)
      • 「1960年から、ほぼ5年間隔で実施してきた総理府の「全国旅行動態調査」では、宿泊旅行は1泊以上で2か月以内の旅行として、夜行日帰りは含まないと定義したあとで、旅行の種類を、観光(レクリエーション・スポーツなどを含む)旅行、業務のための旅行、家事・私用のための旅行、帰省のための旅行、学業のための旅行、そしてそれぞれのついでの観光旅行(兼観光)とに区分している。」(溝尾良隆編著『観光学全集 第1巻 観光学の基礎』原書房、2009、p.31)
  • 現在の意味での「観光」用語の使用の起源
    • 「観光を現在の意味のように公に最初に使用したのは、1893(明治26)年に設立された喜賓会の設立目的に述べられている。「・・・遠来の子女を歓待し、旅行の快楽、観光の便利を享受せしめ・・・」である。ここでの旅行と観光の区別はわからない。喜賓会は、渋沢栄一と益田孝がパリで会い、パリが欧米人で賑わう風景を見て、「わが国も欧米人がたくさん入り込むようすにする必要がある」という点で一致して、設立となったのである。」(溝尾良隆編著『観光学全集 第1巻 観光学の基礎』原書房、2009、p.23)

旅行業の歴史

旅行業の誕生
  • 観光と国際的地位向上
    • 「明治期は、開国による外国人の流入に伴って国際観光政策が萌芽した時代である。国際観光の振興により文明国としての日本を示し、国際的地位の向上を目指した。その意味において、国際観光は、外交政策の補助機能を期待されていたといえよう。1893(明治26)年3月には、日本最初の外客誘致機関である「喜賓会」(Welcome Society)が設立され、英語・中国語による日本地図やガイドブックを作成するなど積極的な誘致活動が行われた。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.127)
  • 観光と外貨獲得
    • 明治40年代に入ると、日露戦争後の不況によって、国際社会の中での日本の地位向上を掲げて出発した国際観光振興に、外貨獲得による日本の経済発展という新たな目的が加えられた。折りしも、喜賓会は財政難に直面し、その状況に対処すべく、鉄道院を中心としてジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTBの前身)が創設され、喜賓会の業務を継承することとなった。1915(大正4)年に東京駅に案内所を開設したことを契機に、外国人旅行者を対象に切符の代売、旅行小切手の発行を開始、外国の鉄道及び船会社との提携を広げると同時に、鉄道旅行ブームを支えるべく邦人客への切符販売やクーポン式遊覧兼の代売も開始し、わが国における旅行業の基礎を築いていった。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.128)
  • 日本初の旅行斡旋業の開始
    • 「1905年、日本旅行会(現日本旅行)が〔……〕日本初の旅行斡旋業が開始された。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.128)
昭和前期の旅行業
  • 大衆の旅行参加と旅行斡旋業務の展開
    • 「大正から昭和にかけて、鉄道や道路の整備が進むとともに勤労者階級を中心とした旅行が発展〔……〕1934(昭和9)年、ジャパン・ツーリスト・ビューローは改組を機に内外旅客に対する旅行サービスおよびその普及機関としての性格を明らかにし、国内各地方に支部を設け、鉄道省より移管された団体旅行斡旋業務を推進する体制を整えた。」
    • 日本旅行会は台湾へ初の視察団を派遣(1928(昭和3)年)、団体旅行の斡旋に力を注いだ。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.128)
  • 戦時下と観光
    • 「太平洋戦争の勃発により、1944(昭和19)年には娯楽のための旅行は禁止され、旅行会社も各社廃業の憂き目に遭った。東亜交通会社(旧ジャパン・ツーリスト・ビューロー)も兵員や中国・朝鮮半島からの労働者の輸送業務に終始したが、中でも出稼ぎ労働者の多い満州支部の業務量は激増した。そして終戦直後の1945(昭和20)年には、推計600万人超の引き揚げ邦人の受入れ輸送と、朝鮮半島などへ帰還する外国人輸送が並行して行われた。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、pp.128-129)
  • 戦後復興と外貨獲得
    • 終戦とともに、疲弊した経済を復興する一方策としての外貨獲得を目指して国際観光事業振興の機運が高まり、1945(昭和20)年に運輸省(現国土交通省)の鉄道局内に観光係が設置されたのを皮切りに、戦時中に休止していた地域の観光関連事業が相次いで復活した。〔……〕国際的動向では1947(昭和22)年、6月に民間貿易が再開されたことを契機に、外国資本の航空会社・汽船会社の営業が開始され、外国人による国内旅行の斡旋業務が復活した。」(林清『観光学全集 第6巻 観光産業論』原書房、2015、p.129)

年表

  • 1854 日米和親条約
  • 1858 日米修好通商条約
  • 1860 日米修好通商条約批准のための遣米使節が派遣される。
  • 1866 江戸幕府、「海外渡航差許布告」で一般民衆の渡航を許可。国際的に認められる旅券作成の検討に入る。
  • 1867 パリ万国博覧会 曲芸師一団が異国巡回のための免許状を取得する。幕府、慶喜の弟昭武を将軍名代として派遣。
  • 1869 外務省創設。海外渡航に関する所管が引き継がれる。
  • 1871 岩倉遣欧使節団派遣
  • 1874 外国人内地旅行允準条例制定。「外国人旅行免状」が発給され、外国人の日本国内への旅行が始まる。
  • 1878 英人女性旅行家イザベラ・バードが日本を旅行する。
  • 1893 渋沢栄一により、外客誘致を目的とした喜賓会が設立される
  • 1905 日本旅行会(現日本旅行)により、日本初の旅行斡旋業が開始される。
  • 1911 内閣諮問機関「経済調査会」、国際観光事業の必要性を提言。
  • 1912 喜賓会が発展して、外国人観光客向けの旅行案内所として、ジャパン・ツーリスト・ビューローが創設される。→「本会ハ外客ヲ我邦ニ誘致シ且是等外客ノ為メニ諸般ノ便宜ヲ図ルヲ以テ目的トス」
  • 1928 日本旅行会、台湾へ初の視察団を派遣。団体旅行の斡旋に力を注ぐ。
  • 1930 鉄道省が外客誘致のため「国際観光局」設置。
  • 1931 財団法人国際観光協会が設立される。
  • 1934 ジャパン・ツーリスト・ビューロー改組。鉄道省より移管された団体旅行斡旋業務を推進する体制を整える。
  • 1944 娯楽のための旅行が禁止される。
  • 1945 敗戦後、外貨獲得のため運輸省(現国土交通省)の鉄道局内に観光係が設置される。
  • 1947 6月に民間貿易が再開されたことを契機に、外国資本の航空会社・汽船会社の営業が開始され、外国人による国内旅行の斡旋業務が復活する。
  • 1964 日本人の海外観光旅行が自由化される。