夏海公司『ガーリー・エアフォースⅥ』(KADOKAWA、2016年)の感想・レビュー

世界設定考察系その3。歴史の道標と神の箱庭。現実はシミュレーションのやり直し?
主人公くんたちは「人類を生存させるシミュレーションゲーム」のただのコマ。
もう既に何回も何回も繰り返し、ゲームオーバーを何度も見たことが示唆されている。
「少しでも間違えれば即死エンドの選択肢」が何故か回避されるということは何を意味するのか。
それはグリペンは駒を操るプレイヤー側でバッドエンドを繰り返し見ているということ。
いつ消えるか分からないという焦燥を意識した主人公くんはついにフラグ構築に成功する。
複座型のイーグル機が発見されたことは別の世界線ではイーグル√だったのか?
(グリペン√は必然であり、イーグル√などなかったことが7巻で判明する)

フジリュー封神演義的展開

  • 歴史の道標と神の箱庭
    • 自分たちが生きている世界は実は神の箱庭のセカイで、主体的な意思を持って物事を決めていると思われる自分たちも所詮はゲームのコマに過ぎない。神によって予め発生するイベント(出来事)は決められていて、諸条件ごとにどのようなエンドを迎えるかを観測されているのみ。そして決められた時間軸を経過させられたら、時間は巻き戻されて別の条件を付与されてもう一度歴史を辿って分岐を観測され、別の世界線が発生する。神にとって一番都合のよいエンドが迎えられるまで永遠に繰り返される。これが歴史の道標と神の箱庭理論であり、このシナリオ技法が使われたことで有名なのがフジリュー封神演義です。ガーリー・エアフォースの6巻は、まさにそれを彷彿させるような展開でした。
    • 主人公くんたちはモンゴルで1000年前のオーパーツを発見します。それはなんと未来の時間軸に作られるはずであろうイーグル機だったのです(現在では設計図段階)。なぜ1000年前にこれから作られるはずの機体が存在したのでしょうか。謎が謎を呼びますね。この時に提示されたのが「この世界はシミュレーションに過ぎない」という仮説だったのですが、これを読んだ時にみんな大好きフジリュー封神演義!と突っ込まずはいられなかったのは私だけではないはず!!
    • で、セカイの真相に気づき始めた主人公くんは焦燥感に駆られる一方で、グリペンちゃんからどんなバッドエンドを迎えても最後まで必ず傍にいると告げられ、ついに陥落します。グリペンちゃんと思いを通わせフラグを立てるのですね。こうして束の間の青春体験をする主人公くんですが、これまでグリペンちゃんが「様々なデッドエンド直行まっしぐらな選択肢」を神業のように回避してきたことから、今の時間軸が1周目ではなくn周目の繰り返しなのでは?ということを体感するのですね。
    • そして発見されたオーパーツのイーグル機が複座型だったのも重要な伏線となりそうです(いやもう既に続刊は発売していますが)。作中でファントムが複座型なのが普通で、単座が異常なのだと唱えるのですが、そうすると前の周回では主人公とイーグルがフラグを構築したシミュレーションだったことが匂わされています。(※後述:1周目ではイーグルは虐待を受けいていたことが判明するが、パートナーは主人公くんではなく、イーグル√などなかった・・・)

本文より

世界の修復装置(25-26頁)

「ザイとは人間の集合的無意識である」〔……〕「環境汚染、資源の枯渇、生態系の破壊。今の人間は地球を散らかしたい放題だ。乱開発と人口爆発で日々、母なる星を痛めつけている。みんな、このままじゃだめだと思っている。なんとかしなければ、どこかで立ち止まって自然を回復させねばと。だが人類全体の憂いは個人の欲得を前に容易に押し潰される。結果我々は世界を壊し続け、自滅に向かい突き進んでいる。」〔……〕「自浄作用と言い換えてもいいな。増えすぎた細胞を減らし悪性の腫瘍を切り捨てる。病気の治療を考えてみるといい。自分の命を救うためならば人は思い切って臓器や骨を切除するだろう?捨てられた細胞に意思があればたまったもんじゃないが、少なくとも人間は生命を維持するために許容する術を知っている。同じことを人類全体ができないと考えるわけがどこにある」

歴史の道標と神の箱庭(178頁)

「劇中劇という意味だよ。要はシミュレーションの中にもう一つシミュレーションを作って、外側が内側をどう扱うか演算させたんだ。世界の行く末についてより世界を扱う者がどう振る舞うか計算させた。これがどういう意味か分かるか」〔……〕連中はオーバーマインドと呼んでたがな。要は神様の行動解析だ。この世界は大いなる者の意思によりねじ曲げられている、コンピュータゲームのように条件・難易度を変え観測され続けている。アニマもドーターもそして俺達も、その条件の一つでしかない、とな」

主人公くんのために神の行動解析へ反逆するグリペンちゃんとフラグ構築(242-244頁)

ベルクトのデータにあったシミュレーション、神様の行動解析と言っていたか?それとさっきの八代通の話を組み合わせればおのずと一つの仮説が導かれる。自分達は大いなる存在、神のようなものに突き動かされている。自由意思はない。あたかもチェスの駒のように目指すべき結末に向かい黙々と行動している。そしてグリペンこそはゲームプレイヤーの代弁者、あるいはプレイヤーそのもの。だからこそ、都度都度、出所不明の知識を披露しては自分達の行動を左右している。馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすのは簡単だ。だが先ほどの彼女の言動は明らかに妙だった。いやさっきだけではない。ベルクトの記憶を取り戻した時も、厚木基地でシャンケルのゲームに付き合った時も彼女の振る舞いはおかしかった。知らないはずのことを知っている。分かるはずはない事実を理解している。もはや誤魔化すことはできない。あいつは何かの意思に基づき、何かの意図を持って行動している。もし彼女が人類を破滅に誘おうとしているなら?人の命をゲームの駒のようにすり潰そうとしているなら?俺はどうする。あいつを拒絶するのか。おまえの言うことには金輪際従わないと言い切るのか。ノイズを遮断し、感情を切り捨て、そして。(自分の意思で行動する?)いや。今までだって本音を押し殺していたわけではない。命の危機の一つ一つに自分は必死で対処してきたし、それ以外の選択肢があったとも思えない。時々の思考回路さえ超常的な力に冒されていたと言われれば否定もできないが、であれば何を考えても無駄ということになる。少なくとも自分は自分の信じる道を歩んできたし、八代通も同様だろう。〔……〕各々が各々の立場で最善を尽くしている。その成果を全て神の御業ととらえるのは人という存在に対する侮辱だ。運命なんかに行く末を決められてたまるものか。俺達の歩みは俺達自身のものだ。そこまで考えてはっとなる。かつて上海から生還した時、グリペンはなんと言っていた。自分たちの出会いは運命ではないのかと訊ねられて。『私は多分運命を信じない』迷いつつも答えた。『運命のおかげで彗と巡り会えたなら、運命が邪魔したならあなたを見つけられなかったことになる。それは受け入れがたい』(ああ)なんだ、既に答えは出ているじゃないか。あいつはレール通りに走る性格ではない。気に入らないルールがあったら引っぺがして別のルートに向け変えるタイプだ。そんな彼女が唯々諾々と破滅への道を受け入れるはずもない。