- 本稿の趣旨
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第2節 国への働きかけ
- 呉市の深刻な不況
- 【原因】1948年から翌年にかけて、兵器解体作業の完了にともない、賠償指定工場である旧海軍関連施設の使用制限などが迫ったため
- 【対応】平和的な港湾産業都市の建設を未来像に定め、旧海軍関連施設の平和産業への転換とともに呉港の開放と海港を関係方面に働きかけた
- 呉市の意識
- 国の対応を待つ姿勢を続けるよりも、自発的に動くことでしか道は開けないという考え方の芽生え
- 軍事都市広島への対抗意識
第3節 特別立法の実現に向けて
- 呉市の苦境とその打開策
- 法案要綱の決定まで
- 1949年10月19日 各市理事者協議会開催
- 要点:旧海軍の残存施設の平和目的への活用を国有財産の特別処理によって進めるという点
- 参議院法制局に依頼して法文化がはかられていくこととなる
- 同年10月27日の旧軍港市長会議を経て、翌28日に法案要綱が決定される。
- 1949年10月19日 各市理事者協議会開催
- 法案要綱について
- 法案要綱後
- 軍港都市選出国会議員による国家に対する法案化への働きかけが本格化する
- 最終的には平和産業都市の構築と転換法案の立法化という意見で一致をみる
第5節 「旧軍港都市転換法」の制定
- 1950年の動き
- 1月 懇請書作成
- 2月27日 GHQによる承認を得る
- ←懇請書項目4におけるGHQに対する配慮。国際条約によって他国の海軍基地が設置される場合はそれを妨げないという趣旨が込められていた
- 3月5日 呉市民大会開催
- 旧軍港都市で市民大会を開催し、更なる法案成立の促進をはかる。
- 3月18日 「旧軍港都市転換法案」参議院に上程
- 3月20日 4軍港市長名による参議院議員に対する法案国会通過のための懇願書作成
- 3月28日 衆議院へ法案上程、両院の委員会審議が重ねられる
- 審議のポイント→この法案が産業の誘致に実効があるか否かの点
- 4月7日 参議院本会議において全会一致で議決
- 4月11日 衆議院本会議で賛成多数をもって可決される
- 4月16日 呉市で「転換法通過感謝市民大会」開催。翌日には市内全小学校生徒による旗行列が全市を練り歩く
- 6月4日 市民投票、圧倒的多数の市民の同意を得る(賛成8万1355票、反対3523票、無効3115票)
- 6月28日 公布・施行
- 朝鮮戦争の特需による復興
- 英連邦軍撤退問題