雑録

林美和「呉市における戦後復興と旧軍港都市転換法」(河西英通編『軍港都市研究Ⅲ 呉編』、清文堂出版、2014年、309-332頁)

  • 本稿の趣旨
    • 敗戦後の呉市は海軍依存からの転換を目指し企業誘致と産業育成に努め成功したが、冷戦により再軍備への忌避感が無くなると軍港都市のプライドを取り戻した。しかしそれは再び海軍に依存していく契機となり、失われた30年により製造業が衰退すると呉市は観光資源として海軍遺構に依存を深めている。

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はじめに

  • 軍港都市呉の形成
    • 呉市軍港都市としての機能を備えるべく、都市整備や経済活動を市民が自発的に行うことに対して一定の制限をかけられることとなり、海軍主導の下、その軍事機能を支えることに主眼を置いた都市形成がすすめられた。
      • 【理由】鎮守府には海軍工廠が付随して設置されることが前提となっており、海軍の造船・造兵部門を支える工場地帯を必然的に形成せねばならないという地域的特殊性が存在していたため

  • 海軍に依存した市政運営からの転換
    • 海軍に従属した都市形成過程をたどった呉市は、独自の経済活動を制限されたこともあり、1945年の海軍解体に至るまでは海軍助成金に機軸を置いた財政運用を行っていた。
    • 海軍への経済的依存から脱皮をはかりたい呉市は、敗戦を迎え、海軍に全面的に依存する体質を改めるために産業立市をめざそうと動き出した。

  • 本論の目的
    • ①海軍に経済的依存をしていた呉市の戦後復興について焦点を当て、自発的な都市形成と経済活動を海軍によって制限された地域的特殊性について考察する
    • 呉市の地域的特殊性を起因とした市民の意識形成について、とくに海軍解体以後の戦後復興期を取り上げることで、敗戦によって海軍に対する意識がどのように変容したかを検討する
    • ③(A)『委員会関係書類』(「旧軍港都市転換法」制定過程において呉市が取り組んだ活動に関する書類)、(B)『呉国際自由港市建設計画関係書類』を読み解くことで、軍港都市の戦後復興が抱える問題とその特殊性について、検討していく

第1節 旧海軍関連施設の産業活用について

  • 敗戦後呉の窮乏
    • GHQの当初の対日管理方針は、日本の対外侵略の諸要因をのぞくため「非軍事化」と「民主化」を徹底すること。
    • 呉市の生産活動は停止状態に追い込まれ市民生活は混乱の様相を呈する。呉市の存在基盤であった海軍が56年間の歴史に幕を閉じ、そこに職を得ていた人の多くは露頭にまようことになった。
    • 呉市民はGHQの指示によって軍艦解体作業に従事するなどして、辛うじて生活を支えていたが、インフレ、食糧難、失業の荒波が押し寄せてきた。

  • 敗戦後の呉海軍工廠の敷地・残存設備の再利用
    • 海軍工廠は敗戦を以て兵器造修施設としての役割を終えたが、GHQの指示により企業が進出する
      • (株)播磨造船所呉船渠(ドック):旧呉海軍工廠の造船・造機部跡→沈没艦艇の引揚げ、軍艦解体、商船修理作業を実施
      • 尼崎製鉄(株)呉作業所:製鋼部跡→スクラップの鋳鋼作業を行う

  • 1947年 4市連盟
    • 横須賀市に、横須賀・佐世保舞鶴・呉の4市の代表が集まり、4市連盟による陳情運動が開始される。
    • 11月17日、舞鶴市において元軍港更生協議会開催。
      • 国(大蔵省)としては官営工場を有償で売却したいという思惑を持っており、一方4市は国から無償で譲渡して欲しいという願望が強くあった。
      • 国に対する陳情をおこなう際、呉市は他の3市との連携構築は必要不可欠であると考えた。呉市は共通の問題課題に悩む他の軍港都市との共闘体制によって、現状打開へとすすんでいくことにした。

  • 1948年 海軍施設の払い下げを求めて
    • 呉市の海軍施設の払い下げの陳情
      • 既出企業(播磨造船と尼崎製鉄)の定着化と海軍施設跡地の総合的利用が、呉市の前途にかかってきていると認識され、1948年11月に呉市長名を以て、大蔵・商工両大臣あてに、海軍施設の払下げを陳情した
    • 4市長による旧軍用財産処理に関する特別措置についての請願
      • 国会で採択されるところとなったが、その具体化には政府は同意せず。

第2節 国への働きかけ

  • 呉市の深刻な不況
    • 【原因】1948年から翌年にかけて、兵器解体作業の完了にともない、賠償指定工場である旧海軍関連施設の使用制限などが迫ったため
    • 【対応】平和的な港湾産業都市の建設を未来像に定め、旧海軍関連施設の平和産業への転換とともに呉港の開放と海港を関係方面に働きかけた

  • 呉市の意識
    • 「呉港更生に対する国家的責務」→「これ以上戦犯都市などと言はれることは呉市民の名誉にとって堪えがたい」と記されており、軍港都市としての戦争責任、負い目といった感情に対する葛藤が垣間見える
    • 国家の要請によって高度な軍事機能を備えた都市形成を行ったにも拘わらず、困窮した現状から救済する動きを見せない国に対する大きな苛立ちが存在する

  • 国の対応を待つ姿勢を続けるよりも、自発的に動くことでしか道は開けないという考え方の芽生え
    • 呉港の開放と海港に向けて動き出す
      • 1947年2月6日 内閣次官会議において、横須賀・呉・佐世保舞鶴の4港を一般商港に転換するという方針が決定される
    • 呉市長鈴木術、政府・国会議員への訴え
      • 1947年10月、呉市の復興には「旧軍港施設を転換活用して自由なる商業貿易港としての発展を策する以外に道」はない
    • 運動の成果と更なる展開
      • 1948年1月1日、呉港が国際港指定を受ける
      • これを起爆剤として「呉市産業振興基本要綱」を作成。「旧呉海軍工廠跡産業利用計画」、「旧海軍工廠跡産業転換計画」などを相次いで作成。

  • 軍事都市広島への対抗意識
    • 軍都広島(広島第五師団衛戍地)であった広島市被爆地であることから優先的な国家助成がなされていた
    • 広島市呉市には決定的な立場の違いがあった。それは大量殺戮兵器である原子爆弾を投下された広島市と一方では東洋一ともいえる兵器工場を抱えていた呉市という鮮明なコントラストが存在していたこと
    • 広島市は第五師団と宇品港を抱える軍都であり、明治期から陸軍の拠点として位置づけられていたが、被爆によってパラダイムシフトした
    • 再軍備を恐れる当時の日本の国民感情軍港都市の復興に理解を示すという段階には達しておらず、呉市復興に立ちはだかる見えない大きな壁として存在していた

  • 池田勇人と特別立法化
    • 旧海軍関連施設の転用・活用の実現化に関し、池田勇人(広島県第二区選出の大蔵大臣)が特別立法化を提案。池田は特別立法化の必要を呉市経済部中邨末吉に示唆。
    • 1949年「特別法案建議趣意書」立案、冒頭に呉市を平和産業都市として再生建設するという「平和宣言」を掲示、その趣旨の実現のために「呉平和港市建設法案」と「呉平和産業都市建設法案」の両法案を提起。
      • いずれも「国有財産法」の例外規定として、平和産業都市建設のために公共団体に国有財産を譲与しうるという規定を主目的とする立案

第3節 特別立法の実現に向けて

  • 呉市の苦境とその打開策
    • 苦境
      • (株)播磨造船所呉船渠→1948年5月、沈没艦艇の引揚ならびに解体作業が2、3ヶ月もすれば完了する見通しとなり、事業が大幅に制限される
      • 他の工場→賠償指定工場という制限に加え、行政整理や経済不況が重なり、軒並み縮小や閉鎖においこまれた
      • 連邦軍占領軍の引揚が続く→1947年以降続く。英連邦占領軍関連業に職を得ていた人々が露頭に迷う。
    • 打開策
      • 横須賀・佐世保舞鶴の3市と協力して旧海軍関連施設を平和産業に転換することを目的とする特別立法の国会通過を目指す

  • 法案要綱の決定まで
    • 1949年10月19日 各市理事者協議会開催
      • 要点:旧海軍の残存施設の平和目的への活用を国有財産の特別処理によって進めるという点
      • 参議院法制局に依頼して法文化がはかられていくこととなる
    • 同年10月27日の旧軍港市長会議を経て、翌28日に法案要綱が決定される。

  • 法案要綱について
    • 目的
      • 「この法律は旧軍港都市(横須賀市呉市佐世保市、及び舞鶴市)を平和産業並びに港湾都市に転換し、そのため巨額なる国の投資による旧軍の残存施設及び財産を利用して困窮の極にある旧軍港市民の更生を図ると同時に日本再建に寄与することを目的とする」
    • 呉市長鈴木術の証言
      • 「ねらいは軍港都市の平和転換により再軍備のおそれを除く[……]その重点は国有財産の処理ということになる[……]従来の軍港における依頼心を一掃して自力更生が含まれている」という考えがある
      • 平和産業都市としての再生は、不況からの復興のみならず、旧軍港都市にむけられる国民感情を払拭したいという願望も込められていた

  • 法案要綱後
    • 軍港都市選出国会議員による国家に対する法案化への働きかけが本格化する
    • 最終的には平和産業都市の構築と転換法案の立法化という意見で一致をみる

第4節 GHQへの諒解工作

  • 広島県呉市の軋轢
    • 【原因】1949年7月8日、広島市役所で行われた衆院運輸委員との共同会見の際、港湾修築問題に関して広島県の飯田土木部長が、呉は良港であるが占領地域で使用できない旨を運輸委に進言し宇品港改修を先決して支持したため

  • 国会への働きかけ
    • 1949年12月1日 参議院議員会館において旧軍港都市転換促進委員会が結成。
    • 同年12月15日 国会とGHQに積極的に働きかけるという運動方針を確認
    • 同年12月22日 7人の促進委員がGHQのウィリアム国会課長を訪問。ウィリアムは好意的な態度を示すが肝心のGHQの承認がなかなかもらえず運動は暗礁に乗り上げる。
      • 【原因】GHQ内で法案成立により今後他国の海軍基地の建設などに支障をきたすのではないかという懸念が生れていたため

第5節 「旧軍港都市転換法」の制定

  • 1950年の動き
    • 1月 懇請書作成
      • 参議院所属の協力議員によって法案成立のための懇請書が作成され、立案の経緯や呉市の現状を国会議員たちに配布
    • 2月27日 GHQによる承認を得る
      • ←懇請書項目4におけるGHQに対する配慮。国際条約によって他国の海軍基地が設置される場合はそれを妨げないという趣旨が込められていた
    • 3月5日 呉市民大会開催
      • 軍港都市で市民大会を開催し、更なる法案成立の促進をはかる。
    • 3月18日 「旧軍港都市転換法案」参議院に上程
      • 参院において呉市出身の佐々木鹿蔵議員が提案理由を説明。
    • 3月20日 4軍港市長名による参議院議員に対する法案国会通過のための懇願書作成
    • 3月28日 衆議院へ法案上程、両院の委員会審議が重ねられる
      • 審議のポイント→この法案が産業の誘致に実効があるか否かの点
    • 4月7日 参議院本会議において全会一致で議決
    • 4月11日 衆議院本会議で賛成多数をもって可決される
    • 4月16日 呉市で「転換法通過感謝市民大会」開催。翌日には市内全小学校生徒による旗行列が全市を練り歩く
    • 6月4日 市民投票、圧倒的多数の市民の同意を得る(賛成8万1355票、反対3523票、無効3115票)
    • 6月28日 公布・施行

  • 「旧軍港都市転換法」制定後のGHQとの交渉
    • 最大の障壁→GHQによる旧海軍関連施設の接収
    • 1951年8月 市長・市議会議長連盟による嘆願書提出、接収地の開放または返還を要請
    • 1952年4月 講和条約発効するも米英の駐留は継続される

  • 朝鮮戦争の特需による復興
    • 1950年6月25日 朝鮮戦争勃発
    • 朝鮮特需は不況にあえいでいた呉市の企業が息を吹き返す役割を果たす
    • 「旧軍港都市転換法」制定と特需ブームを背景に旧海軍関連施設への企業誘致もようやく軌道にのる
    • あいつぐ企業進出により50年代前半には呉市広島県の中核的企業となり、復興もようやく軌道にのったかのようにみえた……

  • 連邦軍撤退問題
    • 問題の発生
      • 1955年1月 呉市駐在英連邦朝鮮派遣軍が部隊の縮小と約4000名の日本人労働者の解雇を発表
      • 1956年2月 年内には部隊の全面撤退と労働者の2000名への縮小を明らかにする
    • 問題の克服
      • 広島県の協力を得て政府に緊急対策を要請し新たな企業誘致を進める
      • 呉市は造船と鉄鋼を中心とする産業港湾都市として復興を遂げた

  • 呉市復興の要因
    • 軍関連施設や産業に依存することなく民間企業主導による工業都市化を実践してきたこと
    • 以前に海軍との依存的関係によってもたらされた弊害を教訓とし、自力更生を推進した結果の表れ

おわりに

  • 呉の再軍港化
    • 逆コース
      • 朝鮮戦争の勃発によりGHQは日本の再軍備化へと政策転換をはかる。呉には海上自衛隊が配置され、再び軍港としての機能を備える。現在の呉港には大小さまざまな艦艇が停留している光景が広がる
    • 観光と海軍
      • 旧海軍に関する観光資源として扱われ、それらを求めて全国からたくさんの観光客が集まるようになった。「海軍」を全面に押し出すことにより、呉市は観光地としての新たな地位を確立した
    • 製造業の衰退
      • 平和産業への転換による戦後復興に未来を託した呉市だが、地元工業の主力である造船業の衰退が著しく、人口減少も顕著になっているなどの諸問題を抱えている。

  • 呉市の特性の変化まとめ
    • 戦前:海軍に依存することで都市化が進む。自然的都市条件を具備したものではなく市財政のありかたが海軍の施策に適応し国家目的によって総ての協力を求められた人工都市として形成された
    • 敗戦期:海軍がいなくなった呉市を襲った深刻な不況を乗り切るため旧海軍関連施設の平和産業利用をおこなうことで自力更生を果たした。呉市が陥った経済不況は海軍のみ依存した他力本願と生産的施設を認めなかった旧軍時代の政策が主因であると認識され、これを教訓に戦後復興がすすめられた
    • 再軍備朝鮮戦争を契機として、再軍備に対する国民の抵抗感が薄れ、呉市を含む旧軍港都市は再び軍港としての機能を備えていく

  • 呉市民のプライドと海軍再依存
    • 再軍備に対する反発が薄れると、おのずと呉市民たちの深層心理に存在する「海軍を支えてきた」という自尊心が表面化していく。
    • 海軍を支援した都市として認識され、後ろめたい思いを呉市民にとって、過去を再評価されたことは呪縛から解き放たれた瞬間
    • しかし呉市民のプライドは再び「海軍」に依存していく契機を生むことにもつながった