- 概要
- 国防と産業大博覧会は以下の文献も参照せよ
【項目】
1.国防と産業大博覧会
- 開催までの経緯
- 博覧会の性格の変更
- 他都市と競合しながら博覧会を実施する意義ないし目的として国防が前面に押し出された。博覧会の開催が、海軍に依存しなくとも自立しうる呉市を建設することであったことを考えると性格が転換した。
- 開催時期の変更
- 勧誘・宣伝事業
- 第一会場(二河公園・3万坪)
- 第二会場(川原石海軍用地・2万坪)
- 水族館、日本製鉄館を除く主要部分が海軍館・陸軍館・航空館などにあてられ軍事色を色濃く漂わせる。
- 特筆すべき施設
- 海軍館…長さ約10メートルの軍艦大型模型や45センチメートルの切断魚雷などの兵器や海兵団生活10場面・国防の要訣などの展示物がかざられており圧巻。
- 軍事作業実演場…魚雷発射や水中爆発など軍事作業実演場が設置
- 艦艇拝観…会場の対岸に軍艦"矢矧"と潜水艦を繋留。
- 博覧会の結果と経済的波及効果
- 博覧会
- 観覧者70万9588名(うち有料入場者65万4269名)、利益10万1134円
- 経済効果(1935年3月~5月)
- 呉駅利用客:前年同月に比較し36万7103名増加。
- 宿泊人員:前年同期より1万7149名増加。
- 博覧会
- 成功の要因
- 国防と産業という本来は統一できないテーマをかかげ微妙なバランスをとったところにこそ成功の秘訣。この時期はそうしたあいまいさが浮き彫りにされた時期であった。
2.「支那事変大博覧会」
- 博覧会のアウトライン
- 展示物の特徴
- 余興場は片隅におかれ、産業に関するものも郷土対支貿易館に限定
- 大部分は軍事関係展示館→戦利品館、航空館、軍事記念館、実戦パノラマ館、国産軍需工業館など
- 屋外展示→二河公園の自然を生かした模擬戦場、「等身大の人形、衣装其他も皆実物、然も動力により夫々人馬は動く、その上銃砲声の擬音は絶へず戦線場に漲つて来観者の実感に訴へ」(「呉の支那事変大博覧会」、1938年)た。
- タイアップ行事
- 博覧会の結果と経済効果
- 昭和13年4月30日、当初の予定を1週間延期して幕を閉じる。
- 入場者数は67万3618名(うち有料入場者61万197名)
- 剰余金2万円
- 支那事変大博覧会が成功した背景
- 陸海軍の全面的な協力もあって臨場感あふれる戦場が手近に再現できた
- 観覧者がまだ勝ち戦として認識しうる時期であった
- 料金が安かった(当日券大人25銭/国防博は40銭)