雑録

村中亮夫「地形図と空中写真からみる呉の景観変遷」(上杉和央『軍港都市研究Ⅱ』清文堂、2012年、45-79頁)

呉市の地形図・空中写真を用いて、その土地利用の年代的変遷を論じる。

第1節 呉の地理的環境

  • 位置
    • 広島の都心から直線距離で南南東約18km
    • 広島湾の南東海域に面する

  • 「呉」の地名の由来
    • 呉市街地の北東の灰ヶ峰において、桶材や船材として利用するためのスギの榑材(=板材)が多く産出されていたことに由来(呉新興日報社編『大呉市民史 明治篇』)

  • 気候
    • 年平均気温摂氏15.9度、年平均降水量1435.1mm、年平均日照時間=2000.7時間
    • 市域全体が年間を通じて温暖で日照時間が長く、降水量も比較的少ない瀬戸内型の気候に区分される

  • 地形
    • 沈水海岸の形成(←1万年前 最終氷期後 瀬戸内海では海面が上昇し山地が沈水)
    • 広島湾南東海域
      • 江田島倉橋島をはじめとする大小の島々が存在し、海岸線が非常に入り組んでいる
    • 港湾条件
      • 入り組んだ入り江では水深が深く波が穏やかであり、陸地側の急な斜面によって風が遮断されるという良好な港湾条件
      • 呉付近では室町時代から戦国時代にかけて呉衆と呼ばれる海賊衆や小早川水軍の拠点が置かれ、江戸時代になるとイワシ漁を中心とする漁業も盛んになった

  • 住居
    • 山地の沈水によって生じた呉付近の海岸→平野に乏しい
    • 呉鎮開庁(1889)を契機に発展を遂げた呉の市街地は周囲を取り囲む山々の山肌まで拡大。傾斜地に市街地が広がるという特有の景観

  • 災害
    • 周辺の表層地質が風化の進んだ花崗岩によって形成されているため豪雨や地震災害に対して脆弱な地理的環境にある

  • 人口
    • 1898年…約8.7万人。呉鎮開庁から9年経過。
    • 1913年…約18.5万人。WWⅠ勃発前年。
    • 1935年…約26.7万人。ロンドン軍縮脱退前年。
    • 終戦直前…40万人超え
    • 終戦直後…約15万人まで減少
    • 戦後復興~高度経済成長…軍事産業から転換された重工業の発展により人口増加
    • 1975年…人口のピーク。約24.3万人
    • 石油危機以後…1973年に起こった石油危機により呉の基幹産業である重厚長大産業は勢いを失い、76年以降人口減少が始まる。

第2節 呉の景観変遷

(1)呉鎮守府設置の経緯と設置前の景観

  • 呉鎮設置まで
    • 1876年
    • 1882年
      • 朝鮮半島で壬午軍乱発生。日本政府は海軍力を増強させる方針に転換。清王朝と覇権を争い、西日本に鎮守府・造船所を整備する計画を進める。
        • 呉は湾内の広さや水深、防御に適した地形条件、海軍関連施設を建設するに足る十分な平地、鎮台の置かれていた広島との近接性の面から高く評価される
    • 1886年
      • 海軍条例制定…全国を5つの海軍区に分けたうえで各区に鎮守府を配置し沿岸防御態勢を築くことを定める。→横鎮(横浜から横須賀へ移転・設置されていた)に加え、第二海軍区の鎮守府が呉に、第三海軍区の鎮守府佐世保に設置されることとなった。
    • 1889年

  • 設置前の景観
    • 近世期の呉…農産品や海産品を取引する地方市(呉町)
    • 1886年頃の呉浦…山の斜面まで畑が広がっていた。現在の海上自衛隊呉地方総監部付近一帯に、呉浦の中心集落であった呉町にあたる住居の集合状況を確認できる。呉町の住民は呉鎮の用地決定に伴い分散転居。

(2)呉鎮守府開庁後

  • 日清戦争における呉鎮の活躍
    • 設置当初から軍艦建造や兵器の製造の役割が期待される
    • 日清戦争において海戦で損傷を受けた艦船の修理に貢献し高い評価を得る
      • →第二次大戦が終了する1945年まで沿岸海域の防御と同時に水兵の育成や軍艦の建造・修理、兵器製造の役割を担う、海軍の一大拠点としてその礎を築く。

  • 1899年測図 5万分の1の地形図「呉」
    • 呉湾の沿岸~東岸 埋め立てによる人口地形が広がる
      • 本庁舎…鎮守府の主要施設
      • 海兵団…軍港警備のほか、下士官・兵の補充交代、新兵の教育訓練を掌る
      • 水雷団…鎮守府直属の水雷専門部隊
      • 呉海軍造船廠(開庁当初は呉鎮造船部)…軍艦の建造修理を行う。1897年の通報艦宮古」進水を始めとし多くの軍艦が建造される。
      • 呉海軍造兵廠(開庁当初は呉鎮兵器部)…兵器の製造修理を行う。
      • 海軍病院…病人・けが人(軍人・軍属)の治療や医療機器・医薬品の調達、看護師の教育を担う直属の機関
    • 海軍貯水池(宮原浄水場)
      • 海軍病院の南東側。1890年、船舶への給水や伝染病予防対策を目的に、横浜市函館市に次いで日本で3番目に建造された近代的水道施設。日清戦争時にはこの水道設備により艦船へ円滑な給水が行われ、日本海軍が戦争を優位に戦うことに貢献した。
      • 施設建設当時は海軍専用であったが、1918年からは余水の分与をもって一般市民に対しても上水道による水の供給が開始される。
      • 「呉軍港」…呉鎮設置にともない呉軍港内での漁業がほとんど禁止される
      • 「呉港」…漁業禁止と同時に呉市の商港は川原石へ移転。

(3)呉鎮守府拡大期

  • 「帝国海軍第一ノ製造所」
    • 日露戦争(1904~05)…呉海軍工廠(1903年に呉海軍造船廠と呉海軍造兵廠が統合)における軍艦・兵器の製造設備を急速に拡充
    • 第一次大戦(1914~18)…連合国から兵器を受注し生産
    • 軍縮期(1921~1933)…ワシントン軍縮(1921)・ロンドン軍縮(1930)
    • 軍拡期(1933~1945)…国際連盟脱退(1933)・ワシントン軍縮条約破棄通告(1934)・ロンドン軍縮条約失効(1936)で軍拡期に入る

  • 明治末期の呉軍港の様子
    • 「海軍諸官衙は宮原方面の海岸に設置せられて其の宏壯建物は幾棟となく多くあつて且無数の煙突や起重機などは天に聳へておる、又巨大なる軍艦は海に浮び、陸には造兵、造船の機関、運転の音が恰雷霆の如くに日夜断ゑぬのである、又其の黒煙は、濛々として天に漲つて晴天も常に曇天の如く夜も又大火の天を焦すが如くで実に驚くばかりである」(池田幸重『呉案内記』(復刻版)、あき書房、1984年:復刻原本1935年、14頁)

  • 1925年修正測図の5万分の1地形図「呉」
    • 呉軍港の北側~東側沿岸の埋立地が拡大し、これに伴って軍用地が広くなっている。軍の機密保持のため軍用地が白く塗り潰されており地形図からだけではこの時期に整備された主な施設の場所を確認することができない。
    • 市街化
      • 堺川と二河川との間にあった田が市街化し、平地にほとんど農地が見られなくなる
      • 呉の市街地を取り囲む山々の山肌にまで市街地が拡大

  • 呉市史 第6巻』「呉海軍工廠一般図」および「呉軍港図」
    • 大艦巨砲主義への対応
      • 三号船渠・造船船渠(1912)、四号船渠(1929)、拡張工事(1918~25、1937~38)、戦艦「大和」建造(1941)
    • ②軍器独立(軍器の素材を自国で賄うこと)を目指す
      • 製鋼工場→呉海軍工廠製鋼部(1903)、魚雷・発射管製造→水雷部(1910)
        • 呉軍港沿岸地域南部にあった烏小島まで進んでいた埋立地に位置していた
    • ③呉軍港北西側、新宮鼻付近における埋め立てによる軍用地の造成
      • 火薬試験場(1909)、砲熕部第六工場(1914)、水雷部計器工場(1919)
      • 潜水学校移設(1920呉軍港内に繋留された潜水艦母艇「厳島」内に設置→1924新宮鼻に移設→1942大竹に移転)
    • ④新宮鼻の沖合にある大麗女島
      • 島内に燃料備蓄用のトンネルが建造される。このトンネル内に造船部大麗女島工場が設置され(1945)、特殊潜航艇「蛟龍」を建造

  • 路面電車
    • 1909年
      • 広島県内初の路面電車として呉電気鉄道(株)により西本通三丁目(鉄道踏切)~本通九丁目間で路面電車の営業が開始される
    • 1925年の時期
      • 「呉駅前分岐~呉駅」、「西本通三丁目~西本通一丁目(川原石)」、「本通九丁目~朝日町」に路線拡大
      • 経営主体が広島電機(株)に変更
    • 1927年
      • 芸南電気軌道(株)、本通九丁目から阿賀・広方面に向けて路面電車の営業を開始。芸南電気軌道は呉電気鉄道の路線を買収し路線の経営を一本化する。
    • 1942年
      • 工員輸送の確保を狙った海軍の要請により芸南電気軌道が呉市に買収され、呉市交通局に経営が移行

  • 鉄道
    • 1903年
      • 呉線(海田市駅~呉駅間)が開通、物資の輸送を船舶に依存していた交通輸送体系が変化
    • 1937年
      • ロンドン軍縮条約の脱退以降の軍拡期には軍港の機密を保護するため、戦艦「大和」の建造を極秘裡に進めるため、新宮トンネルから港町小学校付近まで、呉線沿線の呉軍港側に目隠し用のトタン板が取り付けられた。

  • 道路網の整備

  • 呉市の誕生と拡大
    • 1902 宮原町・荘山田村・和庄町・二川町が合併し呉市誕生
    • 1928 阿賀町・警固屋町・吉浦町と合併し市域を拡大

  • その他
    • 1904 呉海軍工廠職工共済会病院…呉海軍工廠の労働者およびその家族に対して診療を行う。二河側東岸に開設
    • 1910 商港移転…軍港規則の改正により軍港内における20t以上の船舶の航行が規制される。商港は川原石から吉浦へ移転。

(4)第二次世界大戦終結前後

  • 呉空襲
    • 呉軍港(3月17日、7月24日、7月28日)
    • 海軍工廠(6月22日)
    • 呉市街地(7月1日~2日)

  • 1949年応急修正の5万分の1地形図「呉」
    • ①1945年に廃止された呉海軍工廠跡地
      • 造船部・造機部跡地→播磨造船所呉船渠
      • 旧製鋼部跡→尼崎製鉄作業所
    • ②市街地
      • 広い部分に「戦災地域」が見られ、空襲による被害が旧呉鎮の関連施設のみならず市街地までに広がっていた
    • ③道路網:魚見山隧道
      • 1941年建設開始。呉市街と吉浦町のアクセス向上と空襲の際の防空壕としての役割が期待された。
      • 1945年戦時中建設中止。第11海軍航空廠の工場として利用される
      • 1946年建設再開。1947年竣工
    • ④鉄道
      • 1930年呉線全面開通
      • 芸南電気軌道により阿賀・広方面までの路面電車も営業開始

  • 枕崎台風(1945年7月17~18日)
    • 呉市では洪水や斜面崩壊による大被害が発生
    • 被害を大きくした間接的要因→戦時中の食糧難を補うべく山の斜面まで広がっていた畑、松根油の採取、防空壕の構築、空爆などによる山肌の荒廃

(5)高度経済成長期

  • 高度成長期の展開
    • 呉は造船・鉄鋼・機械・金属工業を主要産業とする臨海工業都市海上自衛隊の一拠点として発展
    • 各企業の動向
      • 呉造船所…播磨造船所時代に進水していた一番船「とかち」完成(1954)、海軍潜水学校跡地(新宮鼻の埋立地)に新工場建設(1962)
      • NBC…当時世界最大のタンカーであった「ペトロ・クレ」(1952)を進水
      • 日立製作所日立工場呉分工場…旧呉海軍工廠砲熕部・軍需部跡地に操業開始(1959)
      • 神戸製鋼所…尼崎製鉄を吸収合併し神戸製鋼所呉分工場となる(1965)(1987年に閉鎖)

  • その他
    • 1956 天応町・郷原村・昭和村と合併
    • 1968 国から旧呉鎮司令長官官舎が払い下げられ呉市入船山記念館が開館する

(6)20世紀末~21世紀初頭

  • 産業構造の転換を目指して
    • 衰退の始まり
      • 重厚長大型産業を基幹としていた呉市は1973年の石油危機を契機に衰退し始める。
    • 衰退への対処策
      • 先端産業の振興
      • 道路交通基盤の整備(広島中央テクノポリス計画)
      • 物流拠点の整備
      • 臨海部の整備(呉マリノポリス計画)
      • 呉市ホテル等設置推奨条例」制定→観光産業の振興と雇用の増大

  • 交通基盤の整備

第3節 広・阿賀

(1)呉鎮守府の開庁と拡大

  • 位置
    • 呉市街の東側にそびえる休山を挟んだ東側の地域

  • 近代広・阿賀の変遷
    • 近世期
      • 農業・漁業の盛んな農漁村
    • 1889
      • 呉鎮開庁以後、広・阿賀は呉鎮を中心に市街地化。旧宮原村、荘山田村、和庄町、二川町の郊外としての性格を強める。
    • 1921
      • 呉海軍広支廠設置 造機(艦船の主機械や汽缶等の製造)および航空機製造を中心とする
    • 1923
    • 1931
      • 上記広分遣隊、呉海軍航空隊となる
    • 1932
      • 横須賀に海軍工廠設置。広は造機・素材研究・工作機械実験などの中心地域として発展
    • 1941
      • 航空機の増産を目的に広海軍工廠から航空機部が第11海軍航空廠として独立
    • 1945.5.5
      • 海軍工廠が空襲により破壊され、第11海軍航空廠に吸収合併される

  • 道路
    • 1930 呉~広間道路竣工(1925起工)

  • 路面電車
    • 芸南電気軌道の延伸
      • 1927:本通九丁目~先小倉
      • 1930:先小倉~広工廠
      • 1935:広工廠~長浜

  • 合併
    • 1928:阿賀町が呉市と合併
    • 1941:広村、仁方町と共に呉市と合併

(2)第二世界大戦後

  • 軍転法以前の旧第11海軍工廠跡地
    • 1945年11月 川南工業広製作所、船舶補機の制作が開始
    • 〃年12月 広島鉄道局工機部広分工場、機関車の部品製作が開始
    • 1950 軍転法と朝鮮特需 → 東洋パルプ呉工場(1952)、中国工業(1950)、広造機(1952休業していた川南工業広製作所が再開)、寿工業広製作所(1956)
    • 1964 連合軍家族住宅レインボービレッジ(旧呉海軍航空隊施設・広燃料置き場)、工業団地への転用許可が得られる。多くの企業が進出した。