ひぐらしのなく頃に業 第24話(終)「ひぐらし業のスタッフはなぜ沙都子を主人公にしてクレイジーサイコレズを描こうとしたのだろうか?」の感想・レビュー

原作版ひぐらしにおいて物語を動かすために用意されていた装置が全て「業」で解体された話。
ひぐらし業の作品史上の意義としては、24話分かけて原作解体をやってのけたということ。
そして原作を焼き尽くして更地となった土地にキャラだけ同じで新たな作品を作りだす。
その作品とは梨花との百合エンドのためだけに沙都子自身が主体的に惨劇を引き起こすというもの。
もう「業」とか「卒」とかじゃなくて「クレイジーサイコレズ」でいいんじゃない?

原作で用意された物語を動かすための装置を全て解体したところに『ひぐらし業』の意義があった

f:id:r20115:20210319173129j:plainf:id:r20115:20210319173135j:plain

  • 鉄平に続いて鷹野も改心し、物語が始まる前から終わった
    • ひぐらしのなく頃に』の祭囃し編は全ての因果を鷹野との決戦に収束させ、一致団結して乗り越えるところに面白さがありました。しかしラスボスであった鷹野が自然に改心してしまったではありませんか。沙都子のループ能力は周辺人物にも記憶を継承させるという設定です。個人的にはこの記憶継承能力により相手がより巧妙により強くなるのだとばかり思っていました。しかしながらバッドエンドを繰り返したボスキャラ達は、強くなるどころか心を擦り減らし次々と改心していってしまったのです。前回は沙都子を虐待していた鉄平が改心して沙都子個別ルートが消滅し、今回は鷹野が改心することでグランドルート(祭囃し編)そのものが無くなってしまいました。このようにしてひぐらし業によって『ひぐらしのなく頃に』の世界観は跡形もなく消滅し、そこにはただキャラ達だけが残ったのです。それ故、ひぐらし業は原作を解体することに作品としての意義を見出すことができるでしょう。
    • では、全てが灰燼に帰し、キャラだけが残ったひぐらしの舞台で、新作はどのように描かれるのでしょうか。今度は沙都子がウイルスを入手し、任意に雛見沢症候群の惨劇を発生させることができるようになりました。沙都子が目指すエンドとは梨花と雛見沢で一緒に暮らす世界。もはや狂気となった沙都子の執着はまさにクレイジーサイコレズとしか表現しようがありません。脚本の原動力をクレイジーサイコレズだけでゴリ押ししていくひぐらし「卒」が次回から始まります!
    • 沙都子が梨花に執着する理由って、お嬢様学校に進学する手段として利用された挙句ポイ捨てされたから梨花に対して愛するが故の憎しみを抱いたという解釈でいいんですかね?これだけやってひぐらし「卒」の最後が鉄平や鷹野のようにループを繰り返した挙句、改心だったらワンパとしか言いようがないし、沙都子が本当に梨花エンドを迎えたとしても予定調和すぎます。沙都子が解放される際、脚本家が一体どのようなギミックを用意してくるのか、みんなで見守りましょう。

f:id:r20115:20210319173140j:plainf:id:r20115:20210319173145j:plain

f:id:r20115:20210319173151j:plainf:id:r20115:20210319173156j:plain